白日終点   作:てんぞー

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 ―――先に殺されるのが俺で良かった。

 

 血反吐を吐き出さずに口の端から溢れ出す血を噛みしめながら後ろへ、テレジアを庇う様に倒れて行く。これで俺とテレジアが即死したと誤認して逃げ出してくれれば良い所だ。俺の死体がテレジアの姿を隠して、それで死んだと判断してさえくれれば……それで良い。そうすれば俺のこの死も無駄にならないだろう。

 

 あぁ、そうだ、これは致命傷だ。

 

 だけど先に俺が致命傷を受けたことでテレジアへの即死は防げた。

 

 心臓に真っすぐ刃が突き刺さってから、それがそのまま貫通してテレジアへと届かないように体をずらした。それで心臓への直撃コースを肋骨で弾きながらずらし、心臓への直撃は何とか外せた。まあ、その代わり俺が即死する事になったがそこは問題ない。俺が死んだところで偵察はScoutがいるし、戦闘はOutcastがいる。他の分野で補ってくれる仲間がいる以上、俺が死んだところでバベルという組織全体に対する影響は薄い。だがテレジアは違う。テレジアだけは変えの効かない存在なのだ。だから絶対に、俺の命と引き換えにしてでも助けなくてはならない。

 

 だから体は素直に力を失って後ろへと倒れて行く。背中にテレジアを隠すように二人そろって壁に張り付き、そのままずるずると血の跡を壁に描いて落ちて行く。床には胸から噴出する血が噴水を描きながら溜まって行き、血の匂いが部屋に充満する。だがそれで満足する事のない暗殺者は引き抜いた剣を再び切り払う為の動きを作り出す。流石プロフェッショナル、首を落とすまでは絶対に安心しないか。

 

「……」

 

 直後、横からインターセプトするようにアーツの黒弾が暗殺者と俺達の間を遮った。視線だけを横へと向ければアーミヤが片手を持ち上げて放った攻撃用のアーツだった。恐らくはLogos辺りに仕込まれた自衛用のアーツなのだろう、戦場に持ち出しても使えるだけの殺傷力のあるものだったが、そもそもの戦士としての経験がアーミヤには存在しない。先読みや追い込み抜きのただの攻撃で命中する筈もない。

 

 理解したくはない事実だが、相手はこの厳重なバベルの警備を超えて侵入してきた相手なのだから。

 

 ただアーミヤの奇襲によって相手のフードがはがれ、それで相手の素顔が露出する。それだけで相手がサルカズであり、どこかで見たことのある顔―――あぁ、カズデルでテレシスに仕える聴罪師であったのを思い出す。あそこにいる手練れは何も”剣聖”ばかりではなかったという事なのだろう。心臓に空いた穴のまま、テレジアを隠すように倒れた状態で、血溜まりを生み出しながら暗殺者を見る。アーミヤからの攻撃を回避した先、

 

 その視線はアーミヤを見た。先にアーミヤを始末してから此方を確実な殺害確認するつもりなのだろう。

 

(おれ)から目を背けたな」

 

「なっ―――!?」

 

 今度こそ驚愕の声が漏れた。心臓と片肺を潰したサルカズが起き上がるのだから当然だろう。だが俺としてはこの程度で動ける事に違和感はない。そもそも隠密技術の為に生命力を極限まで削ってほぼ死体と同じ状態のまま活動するなんて事だってやっているのだから。それでさえ心臓の完全停止なんてやってないから、やっぱりこれは死んだとしか言えないが。流石に心臓と肺が潰れたら生物的に死んでおけって話だ。

 

 あぁ、人生最後の瞬間だというのによく戯言は脳内で回る。

 

 素早く腕を振るって軍刀で空間を薙ぐ。驚愕したとはいえ手練れ、即座に反応して斬撃を回避するも、その姿はバックステップで回避すると同時に僅かに揺らめく様に体を崩しかける。斬撃が狙ったのは致命傷ではなく、逃がさないために角へのヒットを求めた。故に斬撃は空振りながらも角を撫でた。それによって脳への衝撃が通り、相手の姿が崩れかける。

 

 そこに一気に接近し、軍刀を手放しながら前へと手を伸ばす。脳を揺らされながらも反応する暗殺者が軍刀を逆手に構えるとそれを首筋に突き刺してくる。それを無視して接近し、片手で首を掴みながらワイヤーを手首に巻きつける。締め付けながら首を絞め、残された命の火の全てを燃やしながらテレジアから距離を開けるように一気に押し込み、入口の壁に叩きつける。

 

「アーミヤ、テレジアを、頼んだ、ぞ」

 

「G、Grimさ―――」

 

 言葉が最後まで聞こえる前にざくり、ざくりと何度も突き立てられる刃を無視して掴んだ首を扉に叩きつける。一度、二度、三度、首に突き刺さる刃の感触を無視して何度も壁に叩きつけて限界を超えた命を燃やし尽くす力で扉を陥没させ、捻じ曲げ、そのまま吠えながら叩きつける。握りしめる首から罅の入る様な音がする。それは此方も一緒だが、締め付けたワイヤーが手首を切断する事で軍刀が首に突き刺さったまま追撃がなくなる。

 

 だがそれで力が衰える事なんてなく。

 

 扉を粉砕しながら廊下へと暗殺者の姿を叩き出し、首を握っていた手を顔面へと切り替え、その顔を何度も何度も廊下の壁へと叩きつけて、投げつけるように壁に放つ。壁に叩きつけられた姿が酸素を求めるように口を開き、俺の口から血反吐が吐しゃ物の様に溢れ出す。それでも壁に張り付く暗殺者の首を掴み、顔を一気に寄せる。

 

「祈れ。終わりを」

 

 姿を床に叩きつけて首に足を振り下ろす。ぐくり、と完全に命を絶つ音が足の裏から響き、完全な殺害を確認する。それが終わればいよいよ酸素が足りなくなる。頑丈に生んでくれた父と母に今日だけは感謝しなくてはならない。お陰で死んだ後でも十分に叩け、テレジアを守る事が出来た。ふ、と笑みを浮かべながら死体を放置して力を失くした両手をだらりと下げ、重い足取りで議長室へと戻る。

 

 そこでは泣きじゃくるアーミヤの頭上で輝く源石の王冠を幻視した。

 

 一瞬、一瞬だけそれが見えた。だが次の瞬間にはそれはなかった。何か、何かをしたというのは解った。だがもう脳が正常に働かない。死の淵を気力のみで耐えていたが、致命傷を受けている事実に変わりはない。アーミヤが無事な姿を確認し、片肺をやられているがまだ生きているテレジアの姿を見る―――致命的に見えるが、ケルシー達であればまだ治療可能な範囲だ。

 

 もはや鉛の様に重く感じる足を引きずるように前へ、出来るだけテレジアへと近づこうとして足を前に押し出して……前へと向かって崩れ落ちる。

 

「よか、った」

 

 前に倒れる姿が、倒れた状態のままのテレジアに抱き留められる。折角、綺麗な服を着ているのに俺の血で汚してしまっている。だというのにテレジアは涙でもっと、汚している。泣かせているのはきっと俺なんだろう。何を言っているのかは聞こえない。だけど悲しい事をさせてしまった、と思う。俺が始めた内戦なのだから、俺が最後まで決着をつけなくてはならなかったのに……でも、まあ、一度死んだ人間だ、また死ぬだけだ。

 

 怖いけど……満足、かな。

 

 抱きしめられて暖かい筈なのに、柔らかい彼女の感触をこの体で感じられるはずなのに―――意思に反して、体はどんどん冷えて行く。鼓動が波打つはずの場所を重ねているのに、俺の胸にそれはもうなくて、彼女の鼓動のリズムだけを全身で感じられる。それが心地よく、気持ちよく、視界が霞んで行く。体の先から感覚が消えて行く。もう、何も感じない。考えるのもおっくうになってきた。眠る前の凄く、意識のあいまいな感じ。あぁ、懐かしいな―――2回目だもんな。

 

 あぁ―――。

 

 そうだ―――。

 

 ―――シエスタ、楽しみにしてたんだけど行きそびれたなぁ。

 

 

 

 

 気づけば闇の中にいた。着慣れたバベルの戦闘服。バベルに来た時に支給された装備。それを着て闇の中にいた。

 

 だが足元を見てみればそこには美しいガラスタイルの絵図が広がっている。見覚えのないそのアートワークに一瞬目を奪われるも、それが何であるのかを即座に理解した。それは確かに見たことのない芸術品。だけど広がっている1つ1つの作品を繋ぎながら生み出されるのは人生というものの形だった。足元に広がっている色鮮やかな芸術品は、俺の人生だ。ガラスタイルという形で表現される俺の人生には大量の赤が溢れていた。

 

 戦火の赤。

 

 血の赤。

 

 罪の色。

 

「いっぱい殺したな―――ろくでもねぇ人生だったわ」

 

 は、と笑い声を零して立ち上がる。まるで罪を象徴するような美しさだと思った。邪悪なものほど美しく見え、そして正しい事程苦しくおぞましく見える事がある、そういう言葉をどこかで聞いた事がある。俺の人生はまさにそれだ。俺の新たな人生、サルカズの女としての人生はまさしく美しく、華やかな見た目とは裏腹に血と罪で彩られている地獄だった。一体どれだけの罪を犯してきた?

 どれだけの犠牲を強いてきた? どれだけの幸福を自分の為に消費してきたんだ?

 

 覚えてない。覚えていられない。たくさんたくさん悪いことをした。殺す事も奪う事も、誰かが飢えると解っていて飯を盗んだ時もあった。そうしなければあのカズデルのスラムでは生きて行く事さえもできなかった。だから足元に広がるアートワークが俺の罪の証だと言われると、苦笑しながら認めるしかなかった。

 

「親と変わんないロクでもない奴だったな、俺は」

 

 いっぱい殺していっぱい血を流した。それで正義の味方面なんて不可能だ。須らく行った事に対する報いを受けなくてはならない……だから、まあ、こんな結末は当然何だろうと俺は思う。振り返れば少しずつ、明るくなって行く道が見える。ガラスタイルが少しずつ照らされていく道が。だがきっと、俺にその道は相応しくはないだろう。だから光刺す道に背を向け、

 

 更に深い闇が待つ方へと視線を向けた。立ち上がり、そっちへと向かって歩き出す。

 

 まあ、なんだ―――良い人生だったとは思う。それなりに意味のある事は出来た。俺という存在がなにか、或いは誰かの世界に光を照らすことが出来たのであればこれ以上なく嬉しいと思う。出来たのだろうか? 俺に? それがちょっと不安だ。他のエリートオペレーターたちにも迷惑をかけちゃうし。

 

 後Wだ、Wの事。さよならも言えなかった。

 

「素直になれない可愛い子……W、本当は心の中は感情と情熱でぐちゃぐちゃなのに」

 

 良くそれを欠片も顔に出さず、猫の様にいると思う。だけどWはそういう所がかわいいんだよなぁ、というのが個人的な見解。もう少し素直になれば彼女と寄り添える人がぐっと増える気がするんだけど……期待するだけ難しいかもしれない。結局のところ、Wが心を開いているのは俺とテレジアだけだった。そんな俺が今、死んだのだ。後はもうテレジアになるからちょっと不安かもしれない。このまま拗らせなければ良いんだけどなぁ、なんて思ったりもするけどちょっと難しそうかもしれない。

 

 彼女はバベルとは肌が合わないだろう。多分俺が死んだら出て行くだろう。俺だけが彼女の楔になっていた。カズデルの頃もそうだったし、今もそうだろう。いや、でも変わったかもしれない。かつてのWは糸の切れた凧だった。

 

 数多くのサルカズの様に。

 

 サルカズ達は揺蕩う種族だ。血と闘争に身を任せ、死を纏って流されて行く。テレジアが望んだのはそれを変える事だった。サルカズ達は自分で自分の道を選んで良いのだ。それをテレジアは伝えたかった。そしてWはきっと、俺とテレジアからそれを学んでくれた。彼女は賢い子だ。だからきっと、変わってくれる。変わっている筈。死と喪失を乗り越えて、それで変われる筈だろうと信じ居ている。

 

 だから、心残りは1つだけ。

 

「テレジア」

 

 ごめんなさい。

 

「テレジア」

 

 俺を許さないで欲しい。

 

「テレジア、テレジア」

 

 どうか、全てのサルカズよ俺を許さず憎んで欲しい。

 

「テレジア、テレジア、テレジアテレジアテレジア……」

 

 お前の為に人生を狂わせてしまった。お前の為に人生を狂わせてしまった。お前の為に多くの人生を狂わせてしまった。俺の人生は間違いなくお前という魔性の女と出会った事で壊れてしまったんだ。あの日、あの時、スラムでお前と出会った瞬間にきっと俺は、

 

 ―――君に、恋をしたんだ。

 

 結局、俺が一生をテレジアへと捧げて贈り物をし続けた事はそれが理由だったんだろう。報われようとは思わなかった。そして報われたいとは思わなかった。ただただ、あの時、スラムに無邪気に迷い込んだ君の姿が美しくて、愛らしくて、だけど今にも消えてしまいそうな幻想の様で……そんな君に俺は恋をしたんだ。あぁ、そうだ、ずっと君のこと好きだったんだろう。それに狂わされてきたんだ。だけど……だけどこれで良かったのかもしれない。

 

「そそのかしたのは俺だった」

 

 だけど。だけどな?

 

「己の意思を持って、自分で道を選んで戦う事を決意したお前は綺麗だったよ」

 

 何よりも輝いて見えた。ただずっと心配だった。潰れてしまわないか。俺が余計な事をしてしまっただけに。だけどきっと、大丈夫だろう。俺がいなくても大丈夫だろう。だから眠ろう、消えよう。解る。この先にあるのは完全なる死だ。永劫の先。死という完全なる終焉。これがこの闇の奥にある。

 

 そこから俺を招くような声はない。魅力の様なものも存在しない。死の先は確かにあったんだ……だけどその底にあるのは静けさと永劫の終わり。ただ終わりを迎えるべくして人生を終えた者達が眠り続けるだけの場所。

 

 だから他のサルカズ達の様に終わらせよう。

 

 そう思ったのに。

 

「”あなた”」

 

 呼ばれた。振り返ればテレジアが直ぐそこにいる。手を伸ばせば届く距離に彼女がいた。何時も通りの美しいドレス姿の彼女を見て、つい表情を崩してしまう。

 

「テレジア、ダメだよ。俺は」

 

 俺は、終わったのだ。死という運命を受け入れた。だからこのまま沈むのだ。死の深淵へと向かって。だというのに、テレジアは此方へと向かって手を真っすぐと伸ばしてきた。

 

「駄目です」

 

「どうして」

 

 その言葉にテレジアが微笑んだ。

 

「まだ―――シエスタに連れて行ってもらえてませんから」

 

 テレジアのその言葉にぽかん、とあっけにとられてしまう。だけど生きて欲しいとか、やる事があるとか、そういうありふれた言葉じゃなくて……もっと古い、どうでも良い約束を持ち出してくる辺りが実に彼女らしくて、思わず本物の様だと思ってしまって、敗北を認めてしまう。テレジアが伸ばしてくる手を、迷わず握ってしまう。

 

「ほんとしょうがないなぁ……」

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

 そして、

 

「ありがとう―――大好きでしたよ」

 

 

 

 

 目が開くと同時に感じる事は眩しいという事。そして全身が死ぬほどだるくて重く感じる事実だった。だがそうやって目を開けてみれば、直ぐ横で座っていた姿が目を大きくして驚いていた。その疲れ切って憔悴したような姿からは普段見る様な余裕や強気な態度が一切見えなかった。

 

「Grim? 起きたのか……?」

 

 そう言って脈拍や瞳孔を素早く確認するのはケルシーの姿だった。そのよれよれっぷりからはどれだけ頑張ったのかが伺える。

 

「俺以外だったら誰ってんだ……けほっ、けほっ」

 

 ケルシーの安堵するような表情に目を閉じる。どれぐらい眠っていたのかは解らないが、あまりの眩しさにちょっと直ぐに目を開く事は出来なかった。頭が回らない。直前まで肌で感じていた濃密すぎる死のイメージが体から剥がれない。あの深淵に片足突っ込んでた状態から戻ってきた弊害だろうか、今でもあの闇の中へと沈めそうな気がする。

 

「あぁ、喋るな、動くな。辛い様ならもう一度眠れ」

 

「そうさせて貰うわ」

 

「あぁ、それが良い……おやすみ、Grim」

 

 ケルシーの顔を見てもう一度目を閉じ、眠りに落ちる。

 

 それからどれぐらい時間が経過したか解らないが、再び目を覚ます。今度はケルシーの代わりにワルファリンの姿がベッドの横にあった。

 

「おぉ、起きたか。意識の混濁は?」

 

「肉が食べたい」

 

「大丈夫そうだな。ただ肉はダメだ。バレたら妾が怒られる」

 

「流した分の血を補充してぇ」

 

「輸血したからそれで我慢せい」

 

 ワルファリンの態度から俺の容体が峠を越えて安定したのは解った。全身が重くて動かしづらい事実に変わりはなく、相当リハビリを積む必要がありそうだなぁ、と思う程度には頭は回り始めている。ただ解からないのは状況だ。あの後、暗殺者をブチ殺した後テレジアがどうなったのかを知らなくちゃならない……まあ、テレジアがやられたのは肺だけだ。あの程度だったら元来の頑丈さと生命力、後はバベルの医療技術でどうにかなる範囲だろう。

 

「というか良く俺の治療が間に合ったな。完全に彼岸に渡る所だったんだけど。心臓移植でもした?」

 

「同胞の血が流れておる事に感謝しておくんだぞ? ブラッドブルードの血を継いでなかったら確実に間に合わなかったからな」

 

「頑丈なウェンディゴの血と、死に辛いブラッドブルードの血……まさかこんな所で役立つ日が来るとは思いもしなかったわ」

 

「世の中何が功を奏したか解らないものだ……脈拍も安定してる。キッチンに何か食べ物を持ってこさせよう。リクエストはあるか?」

 

「肉」

 

「粥か、まあ待っとれ」

 

「肉ぅ……」

 

 病室を去って行くワルファリンの背中姿を名残惜し気に肉コールしながら見送るが、しばらくは肉を食べさせてはもらえないだろうなぁ、と思う。まあ、でも炎国式の粥に揚げ物とか入れるの俺は結構好きだしー? あ、でもやっぱ揚げ物って禁止されそうだなこの状態。Scoutに頼んだらこっそり肉持ってきてくれないかな。無理だろうなぁ。まあ、なんだ。

 

 果たすべき約束もあるし、そう簡単には死ねないという話だった。

 

「ふぅー……心臓移植とか未知の領域だっただろうしケルシーとワルファリンには感謝してもしきれないな……」

 

 周り始めた脳で漸くまともに状況を捉えられる。俺なんて心臓と肺が完全に両断されて使い物にならない状態だったんだ。ワルファリンの様な純血で不老不死のブラッドブルードとは違う、混血だからそんな特殊特性はない。それが心臓潰されたらもう死が確定するという領域だ。本当に生きていることがミラクル以外の何物でもないだろう。

 

 それでも心臓の移植には代替となる心臓が必要だ。それをどこで調達してきたか、というのが非常に気になる話だ。臓器移植の話で思い出すのは最近保護されたRosmontisの事だが、バベルではその手の技術には疎い上に地球みたいなドナー制度がない。だから心臓を調達するとなると滅茶苦茶大変なはずだ。それをどこで調達してきたのか……というのが一番の謎だ。

 

 まあ、でもカズデルに死体なんて腐る程あるし、ワルファリンも謎の繋がりがあるって話だし。そこら辺から調達してきたのかも?

 

「ふぅー……テレジアは大丈夫かなぁ」

 

 死の淵から彼女によって引き上げられてしまった。もう少しで楽になる所だった。そう思いながら自分が寝ている病室の外、廊下側の壁に張られたガラスへと視線を向ける。そこにはテレジアの姿が見えた。

 

「テレジア、無事だったのか……無事だよな、あの時ずらして致命傷回避できたし……あぁ、良かった……」

 

 アレは会心の対応だったと思うぞ。同じことをもう一度やってくれと頼まれても二度と出来ないレベルで上手くやれたと思う。いや、心臓がぐちゃぐちゃにされるとかもう二度と経験したい事ではないのだが。まあ、それもテレジアの無事な姿が見れたのなら良い。ガラスの向こう側に居るテレジアは傷が見えない姿を見せていて、あの議長室での惨劇が嘘のようだった。流石ロイヤルブラッド、肺を潰しても治療さえ受ければすぐに回復するのは完全に人類卒業してると思う。

 

 あぁ、だけど良かった、生きていて。

 

 この胸の中にある感情を言葉にする事は許されないけど。それでもせめて、この身が役立ったのならそれで良いんだ。

 

 はぁ、と溜息を吐きながらベッドに倒れ込んでいれば、ガラスの向こう側、廊下をケルシーが歩いてくるのが見えた。前起きた時とは違い、ちゃんと休みを取ったのかよれよれだった姿はいつも通りのぴしっとした姿に戻っている。服装の乱れはそのまま、心と体の乱れを証明するものでもある。それが整えられているという事は少しは余裕を見つけたという事でもあるのだろう。

 

 ……良かった。

 

「起きたかGrim、気分の方はどうだ」

 

「腹減ったわ」

 

「ふぅ……そんな事が言えるようなら元気なようだな。意識の混濁やだるさは?」

 

「あー、漸く頭が回ってきた感じ? 思ってたよりも意識ははっきりしてる。ただやっぱ体全体が重くて動かしづらさは感じるな。俺、どれぐらい眠ってたんだ?」

 

「半月」

 

「半月もかぁ……」

 

 そりゃあ筋力も衰えるか、とケルシーの言葉に納得する。そんな長く眠った経験は初めてだがそうか、失血と心臓と肺でそこまで長く眠っていたのか。これで脳にダメージがなかったのが奇跡と言える領域なのだろう。ふぅ、と息を吐いてベッドに倒れたまま、ケルシーに軽く頷く形で頭を下げた。

 

「助けられたわ、本当にありがとう」

 

「気にするな……とは言うだけ無駄か。私も医者だ。命を救う事には全力を尽くすのが私の役割であり、役目だ。目の前に救える命を放りだす様な事は私のプライドと誇りに賭けて絶対に許さない……それだけの話だ」

 

「ケルシー、態度で誤解されるけど物凄い善人だよな」

 

 そう言って小さく笑うとケルシーが心外だと言わんばかりに顔を顰める。そんな風にケルシーは嫌がるかもしれないし、そう言う風にふるまうけどさ。俺はケルシーがわざと偽悪的にふるまっているというのは良く知っているんだぞ。誰かが怪我をしたら即座に駆け付け、治療し、そして絶対に治すという信念をケルシーからは感じているんだ。そういう所、純粋に尊敬している。

 

「やれやれ……ワルファリンが今食べられるものを持ってくる。医者としてしばらくの間は肉の類は許可できないのは理解しておけ。後傷口が開くかもしれないから面会も禁止だ」

 

「傷口なぁ……」

 

 自分の体を覆っているシーツを軽く持ち上げる。ベッドの中に納まっているのは包帯に巻かれた裸体の自分の姿だ。包帯によって胸部は隠されているものの、そこには傷口が残っているようには見えない。綺麗に傷跡まで消え去っている事に生命の神秘を感じる。だが胸部とは違い、首の方には傷跡が残されている。こっちは軍刀で滅多刺しにされた影響もあるのかもしれない。

 

 逆に言えばそれだけ綺麗に胸の方はぶった切られていたという事だ。あのサルカズ、やっぱ相当な手練れだったんだな。あそこで相打ち覚悟で殺しに行って正解だった。手段は解らないがマジでバベルにまで侵入してこれるレベルの手練れ、それも暗殺を遠さに通せる強さの持ち主を生かしておくと後々バベルの他の人間を殺されていたかもしれない。ただでさえ人材不足なのに、これ以上減らされるのは本当に困る。

 

「ふぅ……少し疲れたかも」

 

「あぁ、しばらくは休んでろ。今までが激務続きだったからな。しばらくは休んでいても誰も文句は言わないだろう」

 

 ケルシーの言葉にそうするよ、と小さく笑いながら頷き、軽く機器の確認を行ったケルシーが去ろうとする。それに合わせてあ、と声を上げる。

 

「ケルシー」

 

「どうしたGrim」

 

「ありがとう」

 

 去ろうとするケルシーに感謝の言葉を告げると、ケルシーが立ち止まりながら気にするなと言葉を返してくる。

 

「さっきも言ったが私は医者だ。治療するのは当然の事だ」

 

「いや、俺の事じゃなくてさ」

 

 苦笑しながら続ける。さっきまでは廊下にいたんだが、もうそこに彼女の姿はない。ケルシーが来るのを見て逃げ出してしまったのだろう。なんだかんだで面会禁止状態だったし。状態を考えれば当たり前なんだろうが。

 

「テレジアの方も治してくれただろう?」

 

 その言葉にケルシーは出口へと向けていた足を止め、此方へと振り返る。

 

「面会禁止なのにさっきそこまで居たんだよ。もうちょっとセキュリティ見直したほうがいいんじゃねぇのか?」

 

 廊下へと視線を送り、それからケルシーは視線を此方へと戻した。近づいてくるとベッドサイドのスツールに座り込んだ。ケルシーは困ったような、どうすれば良いか解らない様な、そんな表情を浮かべてから顔を手で隠した。

 

「……なんだ、そのリアクション。何か俺が寝ている間にやらかしたか?」

 

「いや、違う……違うんだ、Grim」

 

 ケルシーの尋常じゃない様子に心臓がその存在を主張する様に胸を打った。ケルシーは言葉を見失ったような様子を見せ、その姿に嫌な予感を感じていた。いや、或いは既に理解していたのかもしれない。視線をケルシーから外し、再び廊下と病室を隔てるガラスを見る。

 

 ガラスの世界に俺の姿は反射されず、映されていなかった。

 

 その代わりに、俺があるべき場所にはテレジアの姿が見えた。

 

「Grim、本当ならもっと後に伝えるつもりだった」

 

 あぁ、なんだ。

 

「伝えるべきかどうか、悩んだ」

 

 そうか。

 

「お前を生かしている心臓は、テレジアのものだ」

 

 それは、なんだ、つまりは、

 

「テレジアは……テレジアは亡くなった」

 

 俺の為に死んだのか。

 

 この心を残して。

 

 俺をぐちゃぐちゃに壊して。

 

 俺を生かす為に。

 

 どう、して。

 

 ―――テレジア。




斬首行動
 テレジア暗殺に関してなぜ、どうしてという疑問は尽きないけど幾つかの考察は存在する。その上で一番有力なのはドクターとテレジアの共謀であり、最初からテレジアの暗殺はテレジア本人によって仕組まれていたという説。カズデルの内戦を自分の死で終わらせる為、という説。またはそもそもテレジアの鉱石病が末期で先が長くない事を察して自分の死を利用したという説。どちらにしろテレジアの暗殺は不明な点が多い。

 この時疑われたドクターをケルシーは庇い、同時にドクターを疑ってもいた。その態度が本編でのドクターに対するケルシーの態度に繋がるんだろうけど、ケルシーの内心凄まじいレベルでぐちゃぐちゃなんだろうなぁ……。
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