泡沫のベルカ   作:てんぞー

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英雄譚

 ―――夜空に咆哮が響く。

 

 闇が支配する平原へと視線を向ければ、その先には機竜が、鉄の巨人が、刃を握った兵が、戦艦が地平を埋める様に進んでくるのが見える。そのすべてが死地に立つ死兵としての心得を纏っているせいか、異様な気配が遠く離れたこの場所からでも伝わってくる。そう、彼らは敵だ。倒さなくてはならない敵だ―――この国の敵だ。侵略者であり、そして守護者たちだ。彼らは己の国を守るためにこちらを滅ぼす。そしてこちらは此方を守る為に相手を滅ぼす。極限まで無駄であり、無価値ではある。

 

 だが兵士にそれを問う事はない。

 

 意味や理由は、上の人間が作るものだ。

 

 今までそうだった―――だが今は違う。理由はある。与えられたものではない。自分で選んで決めた、裏切ったのだ。その代償を理解している。しかし、それでも選んだ。一つの結末を、そして可能性を。英雄の物語は総じて死によって完結される。であるなら、その物語は消え去った方が良いに決まっている。物語の演者達はハッピーエンドを求めているのだから。だから鋼鉄に包まれた両手を強く、強く握る。そのまま装着している鋼鉄のガントレットを破裂させるように握りつぶす。もう、だめだった。この程度の武器では本気の握力に耐えられなかった。だからもう、武器(拘束具)はいらない。

 

「ぉ―――」

 

 口を開く。声が漏れ出る。腹の底から吐き出すのは慟哭だ。無力感、悲しみ、怒り、期待、様々な感情が混ざり、それを咆哮に乗せて口から吐き出す。感情が体の中で爆発し、それを抑えられそうにもない。あぁ、そうだ、それでいいのだ、と思う。お利口さんは終わったのだ。そう決断したのは自分だ―――そして選択には常に責任が伴う。選択したのであれば、最後まで己を貫かなければならない。

 

 なぁ、そうだろ―――クラウス。

 

 足を前へと突き出し―――大地を踏む。大地が陥没し、装着していた脚鎧がゆがみ、砕ける。いらない。もう、これはいらない。必要もない。だから脱ぎ去る様に、次の一歩を踏み出した反対側の足も鎧から解放し、左手で鎧を掴む。粘土の様に指によって曲がった鎧はそのまま引きはがされ、紙の様に破り捨てられながら体から外れる。

 

 死地。

 

 死兵。

 

 それは、敵だけじゃない。

 

 体が軽い。責任は捨てた。立場も捨てた。そしてたった一つの可能性を選んだ。遠く背後、見えない程離れた場所では軍が迎撃の為に待機している。この位置からでは見えないほどの後方だ。だが、そこにまで到達させてはならない。到達してしまえば”始まってしまう”からだ。己の役割は簡単だ。時間を、時間を作るのだ。

 

 説得の、勝利の為の時間を。

 

「―――ぉ、ぉ、おぉお、ォォオオオ―――」

 

 咆哮を吐き出しながら―――大地を砕いた。

 

 体を全力で前へと飛ばした。一歩目ですさまじい距離を踏破し、ステップを取る様に踏み込んだ脚で大地を砕き、さらに前へと体を飛ばし―――”敵”へと到達する。

 

 そのまま、まっすぐと、目の前から、

 

 着地をする前に右拳を振う。

 

 人知を越えた筋力から放たれた拳が鎧を纏った姿を血風へと変えた。

 

 そのまま、殴り抜いた衝撃が背後へと抜け、鉄の巨人の下半身を消し飛ばし、機竜を翼を残して全身を消し飛ばし、その背後にいる存在を跡形もなく血風へと変換させながら殺戮を始めた。理性を捨てて。完全な狂戦士として血肉を消し飛ばす拳を持って、戦争を始める。遠く、軍のさらに向こう側、感じる。クラウスと、そして彼女の、

 

 聖王の、

 

 ―――オリヴィエの魔力を。

 

 ”ゆりかご”の静かな魔力を。

 

 オリヴィエと、クラウスの衝突を、この距離からは感じれるはずもないのに、なぜか伝わってきた。二人は戦い始めた。言葉で語り合える程覚悟は安くない。だからあとは戦い、そして誇りを奪うしか道は残されてはいないのだ。その誇りの奪い合い、その時間を全力で作る。それは今、ここで、己にしかできない。だから裏切った。そしてそれでいいと思う。たった一つの可能性に賭けるのだから。

 

「死、ぃぃぃ、ね、ぇ―――!」

 

 踏み込む。迷う事無く撃ち込まれてくる戦艦の砲撃に対して拳を叩き込み、弾丸を横へと殴り飛ばす。仲間を巻き込むことを恐れぬ、自爆とも言える砲撃がそこから連続で放たれ、鉄の巨人も機竜も兵士も恐れる事無く襲い掛かってくる。それを最大数殺せるように全力で体を動かす。殴りかかってくる巨人の腕を片手でつかみ、握り潰しながら引き寄せ、鈍器の様に一回振り回してから投げ飛ばし、とびかかってくる人型を蹴りで血風へと変える。着地と同時に砲撃が爆裂を起こし、体全体が炎と鉄によって焼かれる。

 

 だが超頑強とも言える程に頑強なこの体はそれでは死ねない。皮膚の焼ける音と、自身の魔力を吸い上げながら勝手に治って行く体の悲鳴の音を聞きつつも、全力で拳を振う。衝撃が戦艦を正面から叩き、砕く。そのまま両腕の動きを止める事無く、交互にマシンガンの如く拳を放つ。面白い様に戦艦が正面からへこみ、抉れ、そして砕けて爆散する。命が大量に失われてゆく。だがそんなことはどうでもよかった。この一秒一瞬に、人生のすべてをかけている。

 

 きっと、それが友情という奴なのだろうから。

 

「砕けろ! くたばれ! 消えろ! 死ね! 殺す! 殺してから殺す! また殺すッ!」

 

 殺意を込めて、そのまま虐殺を続行する。攻撃の余波で体がちぎれ、内臓が宙を舞う姿が見える。目玉が、糞が、内臓が、血が、肉が、鉄が、火薬が、毒が。様々なものが戦場に溢れる。だが無駄に頑強で、そして強靱なこの肉体はそう簡単には死なない。だから狂戦士の様に、命をつなげる事に魔力のすべてをささげ、理性を消し飛ばして暴れる。拳を握ってひたすら暴れる。それしかできなかった。クロゼルグは怪我でずっと見ていないし、ヴィルフリッドも軟禁されているから話すことはできない。残ったのは一番の馬鹿二人、

 

 自分とクラウスだった。そしてやり方はこれしか知らない。

 

 だからこれで通す。ベルカの戦争は、ゆりかごの起動―――そしてオリヴィエの死によって終焉するだろう。何故だ。何故こんなことになってしまったのだろう。許せない。許してはいけない。だからこそ戦って、祈っている。クラウスに勝って欲しい。そう思い、理性を焼き切れながら脳裏に浮かび上がるのは、

 

 ―――遠い過去の情景だった。

 

 

 

 

 己は家も親もない子だった。

 

 と言ってもそう珍しいものじゃない。そんな子供はどこにだっている世の中だったのだから。

 

 ―――戦乱の時代。

 

 それがベルカに訪れていた。と言っても大規模ではなく、小競り合いが多い。それでも家は焼かれ、人は殺され、そして家なき子供たちは生まれる。長引けばそれもまるで常識の様に存在している。己もそんな子供の一人だった。何時からかは解らない。だが何時の間にか路地の奥で暮らしていた。学も無く、芸もない。その日を生きるのに必死であり、森へと出ては狩猟でもしなければその日を生き残る事は出来ない。そんな子供だった。その日その日を必死に生きるだけだった日常に変化が現れるのはまだ幼いその頃に、

 

 出会った人物がいたからであり、

 

 思えば、その人物こそがすべての元凶だと言っても過言ではないのかもしれない。

 

「―――君には天を取るだけの資格(才能)がある。それをここで腐らせるのは実に惜しい。実に実に惜しい、私はそう思うのだよ、少年よ」

 

 そう語る男に出会った。何とも胡散臭い男だった。根城にしている路地裏に魔術師らしい、貴族らしいローブ姿で現れ、そして唐突にこちらにそう告げたのだ。まるで最初からすべてを知っているかのような、そんな声で、その男は語りかけてきた。

 

「無知は罪である、と人は言うだろう。ならば既知であることは正しいのであるか? 成程、”知っているからこそしなくてはならない”事があるのであろう。だが同時に”知っているからこそ見えている”ものもあるのだろう。故に私は思うのだ、機会を潰すというのはあまりにも勿体なく、そして何とも無情なのだろうと。故に私は君に機会を与えようと思う。きっと、それが最大限の慈悲であり、そして君に与えられる最大の祝福(呪い)なのだろうから」

 

 男は綺麗な身なりをしていることからおそらくは貴族なのだと思うが―――なぜか、その顔だけはよく覚えられなかった。見える、見えている筈なのに、まるでそこだけ影がかかったかのように覚える事が出来なかった。ただその長ったらしい話方はものすごく特徴的で、魔術師の存在は忘れる事が出来なかった。その言葉は全てが脳に刻まれて行く様だった。

 

「―――騎士になり、王を目指しなさい」

 

 そう言った。

 

「この街から東へと進んだ先に森がある。魔獣の住まうその森を抜けた先にある山、そこには一頭の猪が存在するだろう。だがこの猪は魔猪とも呼べる存在であり、幾多もの騎士を、そして魔導士を殺し、潰してきた猛者だ。君はそれを殺し、その死体を持って凱旋すると良い。その手柄を王宮へと見せつけ、騎士になる事を望むのだ。だが、間違いなく君の実力はその時、疑われるであろう。故に今度は西へと向かうが良い。西の湖には水竜が存在している。この水竜は昔、王家の宝である聖杯を呑んでしまった。故にその水竜を殺し、その腹の中にある聖杯を得ると良い。それを水竜の首級と共に己の証明として持ってゆけば、騎士としての道が開けるであろう」

 

 それは預言者の言葉だった。何をどうしたらいい、最善の未来を得る為にいったいどんな行動をとればいいのか、それを影法師は伝えてきているのだ。胡散臭い言葉であり、信じられない内容だったが、それは何故だか真実として受け入れる事が出来た。或いは男の不思議な気配がその原因だったのかもしれない。だが一つ解るのは当時の己は子供であり、学のない子供だった。無論、学校へと通った事も教育を受けた事もない。故にひっそりと残飯を漁り、狩猟をして生きるだけの子供だった。

 

「騎士となったら常に友と己に誠実であれ。今、君には良い巡りが来ている。その巡りの女神は誠実な者にしか微笑まない。故に―――」

 

 男は告げる。

 

「―――一つ、汝友を裏切ってはならぬ」

 

 告げる。

 

「―――二つ、汝王道から背向くべからず」

 

 告げた。

 

「―――三つ、汝姦淫をしてはらなぬ。この三つを守っている限りは女神は君に微笑み、君の通る道を王道として守り続けてくれるであろう。ただし、道を歩み始め、そして一度でもその誠実さを裏切れば―――君の物語はそれで終わる。君は全ての地位を失い、名誉を失い、そして築き上げた友情もすべて喪失する。君は再び、今と同じ状態へと戻るであろう。君はその時までに関わっていた者全ての記憶から完全に消え去る」

 

 男の言葉の意味は良く分からなかった。ただ、

 

「せいかつはよくなるの?」

 

「あぁ、勿論。君が裏切りさえしなければやがて、ゆりかごで眠る聖王の時代の王として君臨する事も出来るだろう。今のみすぼらしい生活とは無縁、生活な服、新鮮な食べ物、暖かい寝床、そして何よりも苦楽を共にできる友人も生まれよう。断言しよう、王道を歩むことで君は幸せを知る事が出来るだろう。その才を発揮し、見せつけたまえ、君の物語を」

 

「じゃあやる」

 

 子供の頭では難しい事は解らなかった。ただ生活が良くなるという事、そしてやるべく事とやっちゃいけない事だけは解った。命令されるままに動くのは慣れていた。だから素顔の見えない影法師へと視線を向ける。

 

「おにいさんありがとう。えーと……」

 

「私の名前かね? あぁ、それにしても”ありがとう”、等という感謝の言葉は軽々しく使うものではないよ。君の物語は未だ始まってすらいない。故にすべてが終わったとき、その時再びで向かわせてもらおう。そしてその時、改めて私を恨むか否か、その返答を聞かせて貰おう。私は―――」

 

 そこで一旦間が置かれ、

 

「―――”アルハザード”、或いは”マーリン”と呼ばれている者だよ、ただ私を良く知っている者はこんな風にも呼ぶがね。無限の欲望(アンリミテッド・デザイア)、と」

 

 舞台の観客に名乗るかのように、影法師はそう名乗った。

 

 

 

 

 そして、冒険が始まった。

 

 といっても、やっていることはほとんど日常と変わりはしない。防具なんてものはない。武器なんてものもない。

 

 この身一つだけが持っている物の全てだった。

 

 服はぼろぼろ、靴なんてない。そんな状態で森の中へと入って行く。最初は生きるために必要だったから。誰も来ないこの森の中であれば自由に狩猟し、それを食料にする事が出来るから。それは歳を得ても変わりはせず、そのまま、身一つの状態で魔獣の住まう森の中へと入り込んで行った。もはや疑う事もなく、影法師の助言に従う形で、森を抜けた先の山を目指して進み始める。これがちゃんとした魔導士であれば空を飛んで一瞬で山へと向かう事が出来たのだろう。

 

 だが生憎と、魔法の使い方も、魔力の使い方すら教育されたことのない子供だった。

 

 それゆえに移動手段は歩く事のみだった。それも森を歩く事には慣れていた。そしてその程度自分にできないわけがない、そういう自信ではなく”常識”が己にはあった。だから森の中を歩き進みながら出現した虎の様な魔獣、正面から此方を獲物の様に思って噛みついてくるその姿、拳を握りタイミングを合わせて顔面へと叩き込む。牙が折れながら殴り飛ばされた虎は三バウンドしてから転がり、力の差を理解してか、一瞬で逃げ出す。その姿が消えるのを見届けてから、歩き出す。目的地は変わらず、森を抜けた先の山へと。それ以外に今回の目的はないのだから。故に襲ってきた魔獣を狩る事もなく、血を流さぬように気を付けつつも森を歩き、そして走って駆け抜けた。血が流れればそれだけで魔獣達は興奮し、群がる。故に血を流してはいけないという制約が存在する。普通、飛行できないのであれば接敵は必須であり、戦いは避けられない。

 

 それでも己にはそれは関係なかった。

 

 生まれからして強靱な、魔獣を赤子扱いできるだけの肉体があった。

 

 地を蹴って前へと進もうとすれば大地が砕ける。

 

 力強く手を握りしめれば粉々に砕けてしまう。

 

 天性の肉体、そうとも言えるものを持っていた。幼い頃は疑問にも思いもしなかった。そうであるのが当たり前だった。考えるだけの頭がなかった。今考えればそれが原因で親に捨てられたのかもしれない。だが当時には考える無駄な事だった―――故に飛行以外では長時間かかる筈の森は、庭も同然のようであり、苦労する事もなく抜けられた。

 

 襲撃はあっても、それが命を脅かす事はない。それを己は日常から良く理解しており、

 

 また、アルハザードも、それを良く理解していたからこそ助言に躊躇もしなかった。

 

 そうやって、傷つけられることもなく、散発的な襲撃を受けつつ山へと到着した。魔導士たちの様に飛べれば1時間か2時間だっただろうが、朝に出て到着する頃にはすでに夜、暗い時間となっていた。

 

 そんな時間になって、闇が世界を支配しようとも、それでもその存在の息遣いは感じられた。森の草地から山の岩肌へと変わり始める頃、漸くその巨体が見えてくる。

 

 闇の中でさえ輝く黒の毛並み、家よりも大きな巨体を持ち、そして全身のいたるところの剣や槍ををまるで勲章の様に突き刺してある姿は、まさしく怪物の名に相応しい姿だった。魔猪と呼ばれるその怪物は超高速で目の前に出現し、

 

 そのまま衝突してきた。

 

 出現し、目前に移動してくるまでの時間は存在しなかった。

 

 幾多の騎士を一撃でバラバラに粉砕したただの突進が正面から叩きつけられ、体が弾き飛ばされ―――意識が覚醒する。背後にあった大木に叩きつけられるも、即座に目を見開いて体を引きはがす。その瞬間には既に踏み込んでいた魔猪の姿が正面にあった。迷う事無く両手を前へと突き出し、

 

 そして正面からぶつかった。

 

 大地が抉れ、衝撃で木々が折れ、体が一気に押される。が、それでも吹き飛ばされない。痛みはある。それに傷もある。だが体内の魔力を吸い上げながら蒸気を漏らすように傷口は修復されてゆく。故に痛みをかみしめて堪え、正面から押し込まれてゆく魔猪の突進に耐える。がりがりと音をだてながら大地がめくれ、裸足の底の皮が破け、押し込まれた道が赤く染まって行く。が、それでも耐え、活力を全身に回し、息を吐きながら、

 

 堪え切った。

 

「―――か、ぁ―――」

 

 そのまま動きの止まった魔猪の鼻を掴み、千切れるほどの握力で指をめり込ませ―――その存在を持ち上げた。まともに剣や槍が突き刺さらないその硬い毛皮なんてものは人体の神秘、その極点とも言えるこの身には、たとえ子供の身であっても通じはしなかった。故にたやすく握りつぶしながら、完全に力任せで、咆哮を吐き出しながら魔猪を持ち上げ、

 

 そのまま山の岩肌へと投げつけた。

 

 勢いよく投げられた魔猪の体が大岩に叩きつけられ、突き刺さっていた勲章(武器)がさらに深く体の中へと抉りこまれて行く。クレーターを生み出すように叩きつけられた魔猪の姿がワンバウンドで跳ね上がり、その姿を追う様に地を砕く様に体を前へと飛ばし、岩肌で挟み込む様に全力で魔猪の頭を殴った。

 

 その拳はまるで抵抗を無視するかのようにその頭を貫通し、頭蓋骨を砕き、脳を潰し、

 

 そして反対側へと通じる風穴を生んだ。血風が頬を撫で、噴出される血液が次の瞬間には上半身を赤く染め上げる。殺した、これを解体したらしばらくは狩猟もせずに暮らせそうだなぁ、何て感想を抱いていた。だがそこでアルハザードの言葉が脳裏を過る。何故だか、あの男の言葉には従わなくてはいけない、そんな使命感があったのかもしれない。或いは誰かに命令された通り、考えずに動くのが楽だったのかもしれない。食べる事をその場で諦めて、自分の数倍は大きい魔猪の牙を掴み、軽く指が食い込む様に強く握り、

 

 巨体を域ずるように来た道を戻って行く。

 

 荷物がある分、遥かに遅くなるだろう。

 

 血の匂いで溢れる道程になるだろう。

 

 しかし、襲われることはないだろう。

 

 荒ぶる魔猪を殺した怪物を襲おうとするほど魔獣達は能無しではないのだから。

 

 

 

 

 そして、時間をかけて再び街へと戻ってくる。今、あの頃の自分を評価するのであれば”若く、そして馬鹿な少年”に尽きるだろう。何せ、一切報告も遠慮も警戒も迷いもなく山から魔猪の死体を引きずり、街中を闊歩したのだ。一種の地獄的な風景だと評価してもいい。騎士を食い殺すと有名な魔猪を少年が、それも片手で引きずる様に連れてきているのだ。明らかに普通の光景ではない。当たり前の話だが、そんな光景の前に人が感じる感情は―――恐怖である。それが当時の己には理解できなかった。だからこそ、馬鹿だったと言える。言われたことを信じて当たり前のように大通りを歩いた。

 

 そして王宮の前で仕留めた魔猪の死体を放り投げ、門番たちへと見える様に捧げた。

 

「―――たおした」

 

 そうやって示せばいいのだろう、という程度の子供の考えで、見せ、伝え―――そして牢屋へと放り込まれるまでに時間はかからなかった。

 

 当たり前の話だが、人間は疑う生物であり、そして未知に対しては恐怖を抱く生き物だ。そういう性質だからこそ鍛える、という概念を生み出せたのだ。鍛える、或いは磨くという概念は未知に、恐怖に対する備えとして存在するものなのだ。そしてそれを前にした場合、人間という生き物は”安全”と”安心”を選ぶのだ。

 

 何が何だかわからないがこいつは怖い、ならば拘束しよう、と。

 

 至極当たり前で、そして真っ当な理由で己は牢屋に入れられた。

 

 普通ならそこで取り調べを受け、そしてしかるべき対処を受けるのだろうが―――アルハザードの預言は外れない。アルハザードの助言は守っている限り、絶対に正しさを証明する。当たり前の話だが子供が魔猪を仕留めたと言っても誰も信じない。特に尋問に来た老騎士は頑固な性格をしているのもあって、自分が倒した、騎士になりたいと言っても嘘をついていると判断し、頑なに真実を伝える様に尋問し続けてきた。全ての情報がその男で止められている為、言葉はそこから広がらない。

 

 だが、それでも、アルハザードの言葉は外れない。

 

 英雄の物語とは”理不尽”なのだ。

 

 英雄という存在そのものが理不尽であり、能力が理不尽であり、その運命もまた、理不尽なのだ。

 

 ある日唐突に力を与え、またある日唐突に祝福し、そして最後の最後で唐突な幕引きを与える。

 

 それが英雄という存在なのだ。

 

 故に―――その法則は己にも適応された。

 

「―――君の名前はなんていうんだい」

 

 牢屋の中で数日過ごしたとき、初めてそう言われた。

 

 その時自分に話しかけてきたのはあの頑固な騎士ではなかった。もっと身なりの良い、若い少年だった。年齢は己よりも上で、おそらくは十五程、それぐらいの少年だった。ただ普通の貴族や騎士と比べ、遥かに覇気、或いは雰囲気とも言えるもの持っていた。まるで生まれ持った勝者、そういう気配がこの少年にはあった。多くの敗者が羨むであろう存在だ。だが子供のころの己はそういう事にさえ頓着しなかった。世間とズレていたのは認める。いや、だからこそ、普通に接する事が出来たのだろう。

 

「ないよ」

 

「そうか、それは悪い事を聞いてしまったな。それで……君は騎士になりたいんだったな」

 

 少年の言葉に頷いた。それ以外の言葉がないのだから。そしてその言葉に少年は成程、と頷いた。

 

「ではあの魔猪は君が倒した、と」

 

「うん」

 

「たった一人で」

 

「うん」

 

「何人もの騎士が挑んでは返り討ちにされたあの怪物を」

 

「うん」

 

「信じがたい―――が、君の眼は嘘をついていない。ならば君は野生の英雄、或いはそういう存在の卵なのだろう。ありえない事ではない、ありえなくはない……」

 

 殿下、と後ろで控えていた騎士が声を出す。が、殿下、と呼ばれた少年は楽しそうに笑みを浮かべ、片手でほかの騎士達の動きと言葉を制する。そしてそうやって生んだ沈黙の中で、口を開く。

 

「私は強くて、信頼できる騎士を探している。もし、君にその素質が、才能があるのであれば、魔猪を屠ったように、また私に君の力を見せてくれるかい?」

 

 その言葉に頷いた。

 

「にしのすいりゅうをたおして、せいはいをとってくる」

 

 その言葉に少年は驚いたような、しかし楽しそうな表情を浮かべてから振り返り、そして騎士達へと言葉を向けた。無論、即座に反対の言葉が少年へと戻ってきた。だがそれを強引に捻じ伏せ、支配者の様に少年は”我”を通した。そうやって、牢屋から己は解放され、

 

「私の名前はレヴォーグ―――レヴォーグ・ゼーゲブレヒト。王にもなれないただの王族だよ。さ、行こう、名もない英雄の卵。きっと君は当たり前のようにこの困難を成し遂げてくれるのだろう。さっさと”お使い”を終わらせ、君を騎士にする為の準備を始めよう」

 

 それは絶大な信頼であり、そしてまるで決定された言葉の様なものであった。少年は、レヴォーグは決して失敗するとは思ってすらいなかった。

 

 

 

 

 そして、レヴォーグの言葉通り、その信頼に応える様に水竜との戦いは早々に終わった。湖へと飛び込み、近くへと寄ってきた水竜の首へと抱き付き、そのまま首を抱き、折って殺した。そのまま湖から死体を引き上げ、その腹を拳で引きちぎって聖杯を引き抜いた。そうやって、己は戦える、資格がある、素養がある、それだけの恩がある、と、アルハザードの助言通りに示す事が出来た。レヴォーグの前であり、そしてレヴォーグの護衛の騎士の前で行った手前、もはや天性の肉体に関して疑う存在はいなかった。

 

 王宮へと戻り次第、レヴォーグは服を与えてくれた。まずは人間らしくある為に。

 

 次にレヴォーグは名前をくれた。それが人間という生き物が己を証明する為に。

 

 そしてレヴォーグは師を与えてくれた。学問、そして武道と、騎士としての教養を満たす為に。

 

 レヴォーグはそうやって、約束通り騎士としての道を手伝い、示してくれた。あの路地裏でぼろ布を服代わりにし、森へと狩猟の為に出かけていた少年の姿は数日の間に大きく変わってしまった。清潔な服装に体作りの為に与えられるバランスの良い食事、そしてまともに寝る事の出来る自分だけの部屋とベッド。家財なんてほとんど存在しない質素な部屋だが、記憶にある限りは、全てが初体験だった。無論、日中は厳しい師がついている。騎士の剣術、教養、礼儀作法、一般常識。そのすべてを時間ギリギリまで教えてくる厳しい師がいる。

 

 だがそれを入れても、生まれて初めて感じる”充実”出会ったのは間違いがない。

 

 名前もない子供の浮浪者。

 

 それが、やっと人間になれたのだ。不思議な感覚だった。そして人生で初めての”楽しさ”も覚え始めた。それだけ、自分が今までいた環境とはまるで別の世界だったのだ。

 

 そうやって生活し、まともに会話が出来る様になり、人としての常識を覚え、そしてみすぼらしかった肉体は、鍛え上げられてゆく。そうやって少しずつ人間へと変わって行く自分の幼年期、この幼年期の物語を締めくくるのは一つの出来事だった。

 

 ―――その出会いは唐突だった。

 

 騎士としての道を歩み始め、その修練に身を置く事になり始めた頃、王宮の窓から抜け出すように飛び出してくる一人の少女の姿を見た。年齢はおそらく己と同じぐらいであり、そして肩を出したドレスの様な服装を纏っていた。金髪はまとめられており、光に反射して美しく、その可愛らしい表情に一瞬で心を奪われた。しかし、それ以上に視線を奪ったのはその両手だった。

 

 ドレスの袖、そこには中身が存在しなかった。

 

 この少女は、両腕を欠損していた。

 

「あれ、初めて見る方ですね……? あ、解りました! 貴方がお兄様の言っていた方ですね! まだ若いのに将来を期待されているという! 名前は、えーと、確か……」

 

「―――コルト、コルト・”バサラ”です」

 

 名乗ったところで彼女は笑みを返す。

 

「初めましてバサラ騎士見習い、私はオリヴィエ―――オリヴィエ・ゼーゲブレヒトです。実は同年代の友達をずっと探していたんです! もし良ければ、私とお友達になりませんか?」

 

 オリヴィエ・ゼーゲブレヒト。

 

 後の聖王。

 

 後に己が裏切ることになる少女。

 

 ゆりかごの中で生まれ、そしてゆりかごで生を終える、最後の聖王。

 

 これが彼女との出会いであり、そして子供の―――幼年期の終わりだった。




 全3話構成、1日1話更新で3日で完結。年末企画です。

 ベルカのお話は色々とめんどくさいものがあるので、解りやすくまとめつつお話にしてみよう、という感じのアレで。ともあれ、全3話構成なのですさまじくサクサクっとした内容です。

 若干、アーサー王伝説に見立てている部分もある訳で

アルハザード=マーリン
オリヴィエ=アーサー
レヴォーグ=ケイ
主人公=ベディヴィア/????

 と、まぁ、それではまた次回。
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