ロードやマシンに相性がある
ように、走る者同士にも相性
というものがある。
私の今の走りの相方は、私が
高校生の時のクラスメートの
奴以来相性が良い。
高校の時の親友は、その後全
日本選手権で戦績を残して国
際A級になり、全日本から世
界戦である鈴鹿8耐を走り、
さらにはマン島TTレースに出
場した。かつてポニーキャニ
オンから彼の挑戦の映像作品
も出ていた。
鈴鹿への遠征の際には二人で
どつきあいの喧嘩もしたが、
公道では奴と二台で走る時が
私は一番楽しかった。
細かい技法は異なるが、全く
同じような乗り方、走り方で
峠も街道もド快適走行だった
からだ。
現在、共走りする相方との
走りも、その高校時代から
の親友に並び等しく極めて
楽しい。
細かい技法はそれぞれ異な
るが、走りの中味がほぼ全
く同じだからだ。
やはり、元コースライダー。
私はタイヤは前後輪とも
エッヂの端まで使い切っ
ている。私は前後ミシュ
ラン。
友人の履き替えたばかり
の前後新品ピレリタイヤ
は「くそ面白い程よく滑
る」との事だ。
私が後ろの時に高速コー
ナーでビタリと真後ろに
つけていたが、右コーナー
ではかなり寝かしていた。
サスは十分すぎる程に沈
んでいるが、ややバネレ
ートが高い動きを見せて
いた。
真後ろから見たその状態
をつぶさに指摘したら、
走行後の休憩時にオーリ
ンズのセットアップを変
更していた。
友人のマシンも私の車同
様、走行後にタイヤから
溶けた異臭がしていた。
二輪においては人によっ
て走りの相性というもの
は確実にある。
今の相方の友は私に言う。
私と一緒に走っている時
が一番安心できるし、一
番信頼できるし、一番楽
しい、と。
それは私も全く同じだ。
たぶん、同じ目線で、同
じロードを、同じような
アプローチで、同じよう
なタイプの走りをしてい
るからだろう。
やや異なる点は互いに刺
激し合い、なぜだろうと
考察して吸収し合ってさ
らなる技量のステージに
互いに行く。
彼は居合剣士であり、斬
鉄剣小林康宏も差料にす
る士だ。
元サバゲーマーでもある。
そして、走り人(はしりび
と)である。
全く走りに関する哲学と
方向性と技術的理論解釈
と走りの実体は私と同地
平。目線が同じ。コーナ
ーを抜ける視線の先は同
一だ。
ただ、奴は走行中にすれ
違うライダーから挨拶合
図を出されても一切対応
しない。「嫌いだから」と
言う。
そこが私と異なる。
私は「ヤエー」なるもの
は大嫌いだ。その現代感
覚もその捉え方もやり方
も。
だが、二輪走行者同士の
挨拶は1970年代の大昔か
らあったし、私から走行
中に挨拶をする事はまず
無いが、挨拶をされたら
挨拶で返す。
それは、両刀をたばさむ
者がすれ違う際には目礼
を互いにするように。
西部劇でいったら、ハッ
トのつばを片手でやや引
いて敬意を示すように。
(本来は米国においても
男子は脱帽して例を取る
のが本式。これは日本の
武士の世界でも同様だっ
た)
なお、私の走りの相方の
友人は、見ていると室内
ではきちんと脱帽する。
大人でも子どもでも当た
り前の事なのだが。
着帽のまま室内で飲食を
するような日本刀佩用者
は存在しない。
理由は剣士である以前に
日本人であるからだ。
人に礼を取る時と室内に
入室および室内飲食の時
には男子が脱帽するのは
常識だ。
着帽のまま礼を取ってよ
いのは、軍人の軍帽着用
の作戦時および任務時間
内のみだ。
この脱帽に関する礼法は
民間人でも同様であるの
だが、現代は礼儀知らず
が恥を知らぬまま大手を
振って着帽のまま過ごし
たりしている。
それは食卓に土足の足を
投げ出す非礼無礼に等し
いのだが、日本人の礼儀
は現在は崩れ切っている。
特に男性がひどい。
私は街中で葬儀の参列が
通行する際およびその場
に出くわした場合、徒歩
で着帽していたら脱帽し、
歩行をやめてその場に立
つ。
地方ではよく位牌と遺骨
を納めるために徒歩で道
行く集団もみられるが、
街中でその人たちに出会
った時には、私は立ち止
まり、道の端に寄り、脱
帽して帽子を胸に取り、
こうべを垂れて目礼する。
そういうのは人として常
識だ。
仲間同士での二輪の集団
走行は編隊走行なので、
ある程度自制と規制がMC
でも隊内には生じる。
何もサインもインカムで
の指示も出さずとも、ご
く自然で円滑な集団走行
が上級者同士の編隊走行
では生まれるが、集団で
はバトルライディングは
無い。
だが、息の合う二台同士
だと、当然にして「カメッ」
のバトル風味の走りにな
っても、危なげな走行状
態での絡みというのは全
く発生しない。
二輪の走りにおいても、相
方を持つというのは大切な
事なのかも知れない。
投手と捕手のバッテリーの
ように。互いに刺激し合い
ながら、互いに学び、互い
に育ち、互いに老いて行く。
あるいはそれはまた、長年
共に自分と暮らしている女
房のように。
そして、真の夫婦がそうで
あるように、真の友は互い
に相手も自分も裏切らない。
自分の事だけを考えて人を
裏切る奴は、結局は自分自
身をも裏切っている奴だ。
人の死をも自己のPRに利用
して排除行動を取るような
奴は論外であり、最低だ。
真実はそこには無い。