北朝鮮で死にたい――越境を試みた95歳の元兵士、韓国は帰還認めず
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韓国・パジュ(CNN) 朝鮮戦争中に韓国で捕虜となり、政治的信念を捨てることを拒み続けて40年以上も投獄されていた北朝鮮出身の男性が、北朝鮮へ帰還して死にたいと訴えている。 【映像】北朝鮮で死にたい――95歳の元兵士、韓国からの越境を熱望 アン・ハクソプさん(95)は北朝鮮軍の兵士だった時も、韓国の捕虜となって「反体制派」となってからも、米国による韓国の「占領」に対して抵抗を続けてきた。42年半にわたった投獄は、北朝鮮をかたくなに支持し続け、転向を拒み続けたためだった。 衰弱して車いす生活になった今、アンさんは、最後は北朝鮮へ戻り、故国で埋葬されることを切望しているとCNNに語った。 アンさんは20日、南北を隔てる非武装地帯(DMZ)につながる橋まで足を運び、DMZを越えて北朝鮮に入ることを認めてほしいと訴えた。 数時間後、アンさんを北朝鮮へ越境させるよう韓国政府に要求するデモ隊と治安部隊がもみ合う中で、アンさんは北朝鮮入りを阻まれ、連れ戻された。 北朝鮮の旗を手にしたアンさんは、「北朝鮮が恋しい、耐えられない」「自由の地に埋葬されたい」と訴える。 韓国は個人が許可なく北朝鮮と接触することを禁じている。もしアンさんの帰国が認められれば、北朝鮮は勝利の象徴と位置付けて帰還をアピールする可能性がある。 しかしアンさんにとってこれは個人的な問題だ。病気で衰弱し、入退院を繰り返すアンさんは、北朝鮮で埋葬されることだけが唯一の願いだと語る。 韓国で捕虜となって転向を拒み続け、長期間投獄されていた北朝鮮出身者は、アンさんを含めて6人が北朝鮮への帰国を求めている。 韓国統一省は「人道的な見地からさまざまな選択肢を検討する」と述べ、どんな決定をするにしても北朝鮮の協力が必要だと指摘した。 アンさんは日本が朝鮮半島を植民地支配していた1930年、韓国西部沖の江華島で生まれた。日本が降伏した1945年、15歳だったアンさんは、朝鮮半島の38度線以南が一時的に米軍の支配下に置かれたことを、裏切りと受け止めた。 「この宣言を見て、我々が解放されていないことに気付いた」「それが始まりだった。だから私は反米運動を始めた」 1952年、アンさんは北朝鮮人民軍に正式入隊し、諜報(ちょうほう)部に配属された。捕虜になったのは翌53年だった。10人いた隊員のうち、生き残ったのはアンさんだけだったという。 韓国の法律に基づき、もしアンさんが北朝鮮と共産主義思想を捨てる誓約書に署名すれば、恩赦が認められていたかもしれない。しかしアンさんは転向を拒み続けた。 恩赦がかなったのは1995年。しかし「鍵がかかった小さな刑務所から、開かれた大きな刑務所」に移っただけだったと振り返る。 2000年には韓国で長期間収監されていた北朝鮮人63人の帰還が実現した。アンさんにも帰国する選択肢はあったが、悩んだ末に、韓国に残ることを決めた。 韓国は今も米国の植民地にされているというアンさんの考え方は変わっていない。「『米国は出ていけ』と叫ぶなら、北朝鮮ではなく、ここで叫ばなければならない。だから帰還しなかった。米国人がこの地から出て行くのを見届けてから死ぬ」「私が米国人をここから追い出すか、自分が死ぬかのどちらかだ」 今は韓国政府の低所得者向け給付金や知人からの援助に頼って暮らし、「死んでからも植民地に埋葬されるのはあまりに屈辱だ」と思うようになった。 20日に帰還を阻まれた後も、「私は必ず故国に戻る。朝鮮民主主義人民共和国は私の人生の始まりの地だ」という思いは変わっていない。
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