“プレシャス”という言葉には、華やかさやきらびやかなイメージが先行するが、本当のプレシャス=貴いものとは、人々の内面に訴えかける力を宿したものではないか。美術家・須田悦弘がブシュロンに見いだす、貴き価値に刮目したい。
コロナ禍に膨れ上がった“アートバブル”を経て、今日現代美術(コンテンポラリーアート)は大きな曲がり角に向かおうとしている。そうしたなか、ファクトリーともいうべき工房を構え、大勢のスタッフとともに作品を量産し、群雄割拠のアート界で生き残りを模索するアーティストも少なくない。
だが美術家の須田悦弘は、そんな流れに背を向け、黙々とひとり木と向き合い、精巧な木彫作品を生み出し続けている。そのモチーフは主に植物だが、同様に1858年の創業以来、植物をはじめとした自然の造形物をモチーフに多くのジュエリーを発表してきたのが、フランスの名門ジュエラー、ブシュロンだ。
美術と宝飾、分野は違えど、なぜ古今東西の“美の探究者”は自然に倣おうとするのか。
須田悦弘『チューリップ』2008年 (c) Yoshihiro Suda / Courtesy of Gallery Koyanagi 「私が植物を題材にするのは、単純に美しいと感じるからです。そしてその美しさを人々に伝えたいという欲求があり、たまたま木を彫る技術があるから木彫作品をつくっているに過ぎません。では、なぜ植物を美しいと感じるのか。それは植物が人間を利用するためではないでしょうか。人間に美しいと思わせられれば、植物はさまざまな場所に植えてもらえる。中央アジア原産のチューリップが海を越え世界に広がったのは、まさに美しいからに違いない。人間を利用しない限り、チューリップのような植物が海を越えるのは難しいので。つまり植物は、人間を魅了するために美しくなったとも考えられるのです」
人々の価値観を揺さぶる芸術の力
人間を魅了し、利用するために美しく進化する──。感性豊かなアーティストらしい、ドラマチックなとらえ方だ。その考えにのっとれば、植物の美しさを精緻に再現する須田の作品、そして植物の美しさから着想を得たブシュロンのジュエリーが人々を魅了するのも、ある意味必然と言えるだろう。
そんな自然の美しさを探究するブシュロンは、環境に対する意識も高く、自然環境保全の声明として“PRECIOUS FOR THE FUTURE”を掲げ、真にプレシャスなもの、本当に価値のある貴いものを問い続ける唯我独尊のジュエラー。
その一環として2022年に発表されたカプセルコレクションが「ジャック ドゥ ブシュロン ウルティム」だ。その原料は、驚くべきことに建築現場で排出される産業廃棄物!である。
「ジャック ドゥ ブシュロン ウルティム」は、建築現場の産業廃棄物という利用価値のないものに新たな価値を見いだしたいという発想から生まれた作品。廃棄物を高温焼成し、 ガラス固形化させた「コファリット®️」という漆黒の再生素材とダイヤモンドが、独特の美しさをたたえる。このブローチの他にイヤスタッドや、ブレスレットとしても着用できるマルチウェアなネックレスも制作された。非売品 「ダイヤモンドなどきらびやかなイメージがあるハイジュエリーに、対極的と言っても過言ではない産業廃棄物を使用するとは驚きました。とてもとがった考え方であり、パンクの精神すら感じます。一見無価値と思われるものに価値あるもの、プレシャスなものを見出す。それは現代アートに通じるアプローチといえるでしょう。また、まるで黒曜石のような美しさもあり、その独創的な技術力も素晴らしく、勉強になりました」と須田は語る。
彼が作品の題材に選ぶのは、雑木や雑草といった、いわば日常の風景に溶け込んでいる植物ばかり。そんな見慣れた植物を精緻な木彫によって表現し、本来植物があるはずのない空間に設置することで、まったく異なる価値や意味、視点を人々に投げかける。
そうした人々の価値観をも転換させうる現代アートに通じるメッセージ、そして自然環境という人類にとってかけがえのないプレシャスなものへの敬意と、希少性や価値といったものに対する問いかけが、「ジャック ドゥ ブシュロン ウルティム」には込められているのだ。
従来のハイジュエリーとは一線を画す、革新的な存在感を放つ「ジャック ドゥ ブシュロン ウルティム」のブローチ。産業廃棄物が原料とは思えない美しさだが、その事実がメッセージとなり、廃棄物の問題や地球環境を考えるきっかけともなるのだ。 「アートとは、自分で感じた美しさ、感動を人々に伝えたいという、純粋な欲求がコアとなっているもの。最新の3Dプリンターなら似たようなものがつくれますが、私が手で木を彫るのは自分の欲求、思いを込めたいからです。そんな思いが人々に伝わり、欲しいと言ってもらえれば最高だし、つくる価値はあると信じています」
あらゆることがマーケティングされ、デジタルで気軽にモノが生み出せる現在。作り手の思いは置き去りにされがちである。だがそんな時代だからこそ、純粋な思いが込められたモノには、人々の心を打ち震わせる魂が宿るのだ。
ブシュロン ジャパン
https://www.boucheron.com
須田悦弘『朝顔』2010年 (c) Yoshihiro Suda / Courtesy of Gallery Koyanagi すだ・よしひろ◎1969年山梨県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。大学在学中に木彫を始め、以来、自然の造形物を実物と見分けがつかないほどリアルに表現した作品を追求。そんな木彫を意外な場所に設置し、観る者の内面を揺さぶるインスタレーションとして表現する。国内外での個展に加え、各国の主要美術館に作品が収蔵されている。