東映の知られざる収益源「ショービジネス」——映画が当たらない時代の勝ち筋

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土日で100万円、それを年間8000本

ショーを1日に2回行った場合の公演料は当時、50万円程だった。土日の2日やると100万円である。年間、8000本以上やるとかなりの稼ぎになる。加えて、ショーを行いながら、その場所でサイン入り色紙やキャラクター商品を販売することができた。

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サイン入り色紙の他に子どもとツーショットのポラロイド写真を撮って、それを1枚、1000円で売った。100枚売れれば10万円だ。色紙、写真ともに原価は大したことはないから、キャラクターショーはトータルで考えると、大きな儲けが出るビジネスになった。

東映でキャラクターショーを実施するチームは金を稼ぐためにありったけの知恵と情熱を注ぎ込んだ。それほどの熱意が映画部門にもあればヒットする映画の1本や2本はできるんじゃないかとも思えるのだが、彼らは目の前の仕事に打ち込んだ。やっていたことはスーパーの店頭での子どもたち相手の着ぐるみショーだ。だが、心のなかでは「自分たちはカツドウ屋だ」と誇りを持っていた。

最盛期には仮面ライダーのチーム10班、スーパー戦隊のチーム15班、そのほかアニメキャラクターショー(アンパンマン、ビックリマン、ドラゴンボールほか)を編成して、それを動かした。吉村の役目はトータル50班の仕事を取ってくることだ。現場の立ち会いもやった。スーツアクターが急病で欠員となり、急遽、吉村が代役で着ぐるみに入ったこともある(吉村が入ったのはビックリマン)。

土日になると吉村はデパートかスーパーに行って、仮面ライダーや戦隊ヒーローが子どもたちと交歓する様子を見た。

「自分は映画作りに携わるはずだった」と思いながらも、目の前で喜んでいる子どもたちを見ていると、イベントプロデューサーは天職にも思えた。このままやっていても悪くないと思うようになっていったのである。

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ゴジラでは間が持たない

ゴジラ
Ned Snowman / Shutterstock.com

東映のチームがキャラクターショーで大きく稼ぐことができたのは競合する相手がいなかったこともある。より正確にいえば、仮面ライダー、スーパー戦隊が競合する実写ものキャラクターといえばウルトラマンとゴジラしかいなかった。ディズニーをはじめとする漫画やアニメのキャラクターはたくさんあった。

だが、実写ドラマから生まれたキャラクターで、ショーとして成り立つのは、仮面ライダー、スーパー戦隊、ウルトラマン、ゴジラの4つしかなかったのである。4つのうち、ウルトラマンとゴジラは巨大でなければ意味はない。中肉中背のウルトラマンやゴジラが出てきても、子どもたちは「なんだ、こんなちっちゃなゴジラなんかつまらない」と思ってしまう。ショーをやったとしても間が持たないのである。

また、ドラえもん、クレヨンしんちゃんといった漫画の主人公の着ぐるみショーはある。しかし、これまた人寄せにはなっても30分のショーにはならない。その点、仮面ライダーとスーパー戦隊はテレビでやっているような悪役との対決がある。子どもたちは物語のなかに入り込み、身を乗り出して対決シーンを見つめるのだった。

キャラクターの版権を持っているのが東映だから、広告代理店もまたキャラクターショーには参入してこなかった。

東映キャラクターチームは今もなお、年中、稼働している。日照りの夏も、雨の日も雪の日も子どもたちがいる限り、北海道から沖縄まで出かけていく。

吉村はある時、デパートの担当者から強烈に叱責されたことがある。それはある年のゴールデンウィークの営業だった。

キャラクターショーは年間の週末はほぼどこかで公演をしている。だが、正月、ゴールデンウィークといった休みになると需要が膨れ上がって、あちこちから「うちにも来てくれ」とお呼びがかかる。吉村としてはできるかぎり稼ぎたいから、チームを派遣する。通常のチームでは数が足りないから、分割してチーム編成せざるを得ない。たとえばゴレンジャーの5人をそれぞれリーダーにして、5班、作る。すると、1班5人のうち、プロはひとりであとは素人になってしまう。

現場でスーツを着せて、基本的な動きは教えるのだが、それでも初めての人間が人前で演技すると、素人だということはすぐにわかってしまう。当然、ショーは相当、悲惨なものになる。

ショーが終わった後、吉村はデパートの部長に呼びつけられた。

「東映さん、あれでお金もらっていいの。着ぐるみ着た素人がうろうろしてるだけじゃないか。しかも、あんた、ゴールデンウィークだから、こっちはいつもの倍の値段を払ってるんだ。あのざまはなんだ。いい加減にしろ」

吉村は平身低頭して、「部長、次はちゃんとプロを連れてきますから」と言い訳したら、「バカヤロー、いっつもプロを連れてくるんだよ」と怒鳴られた。

キャラクターショーと併せて吉村が担当したのが催事イベントだった。キャラクターショーで培ったノウハウを活用し、吉村は百貨店の会場で「エジプト秘宝展」などのイベントに携わったのである。秘宝はエジプト政府や現地の美術館と交渉して借り出す。これは映画撮影のロケ交渉のようなものだ。東映の人間ならお手のものである。展示に際しての照明、設営、音響、パネルやパンフレット制作はすべて東映の大道具、小道具、照明、音響の担当者を駆使すればできあがる。展示会場を作るのは撮影セットを作るのと同じようなものだ。

イベント請負は百貨店の催事だけでなく、テーマパーク、博覧会の営業にもつながった。博覧会の場合は展示物の制作に加えて、パレードのようなショーも受注できた。ショーはキャラクターショーの変形版と思えば東映にとっては難しいものではない。ショーの制作にもまた映画製作のスタッフを活用した。ミュージカル映画のノウハウがあるから、音楽、振り付け、衣装のすべてを自前で用意できたのである。映画製作のノウハウはイベント、展示の双方に流用できるものだった。

「そうだ、うちは映画会社だった」

そして、エジプト秘宝展のような国際規模の展覧会であれば契約金額も億を超えるものもある。ヒット映画を製作するのと同じくらいの金を稼ぐことができたのである。

吉村はキャラクターショーの面倒も見ながら展覧会ビジネスの営業にも精を出した。彼がいたセクションは社内ではプロフィットセンターだった。しかし、社内で吉村が本流だったかといえばそんなことはなかった。

仕事は面白かったし、特に出世したいとも思ったわけではなかったが、同僚が映画を作ったという話を聞くと、「そうだ。うちは映画会社だった」とあらためて気づくのだった。考えてみれば吉村が付き合う相手は百貨店や博覧会の事務局、そして、電通、博報堂といった広告代理店で、東宝、松竹といった映画会社の人間ではなかった。

博覧会の会場のなかで自分がプロデュースした展示やショーを見ながら、自分は映画のプロデューサーではないが、それでも自分はカツドウ屋だと時々は感じていた。

(文中敬称略)

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野地 秩嘉(のじ・つねよし):1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』『高倉健インタヴューズ』『高倉健ラストインタヴューズ』『高倉健演技の流儀』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』『伊藤忠商人の心得』など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。最新刊は『豊田章男が一番大事にするトヨタの人づくり』。

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