九校戦が終わった後、少しすれば夏休み。
学生の夏休みと言えばそれはもう楽しいもので、各々がその予定についてこれでもかという笑顔を咲かせて話し合うのが定番である。そしてそれは本の虫であるこの女も意外と同じであった。
「それで?あんた夏休み何か予定あるの?」
「本を集める」
「いつもと変わらないじゃない……」
もう慣れたように詩織の部屋で寛ぐエリカ。こうして寝泊まりをするのも何度目か、最初は驚いた巨大狼クライアンとも今ではソファ代わりにするほどの仲になった。
なんなら別に手ぶらで来ても寝泊まり出来るくらいに色々と用意されてしまって、至れり尽くせりというか。それもこれも詩織に友人が出来たことを喜ぶメイド達の仕業なのだが。詩織もそれを素直に喜ぶのだから仕事の甲斐があるというもの。
「色々な本を集めて、相手に合わせた本を渡す。それが私の仕事で趣味」
「仕事と趣味が両立してて良かったわね、仕事になってるかどうかは微妙なところだけど」
「まったく儲からない」
「でしょうね」
「でもお金に困ってはない」
「このやろ……」
「九校戦の前から色々交渉してて、幾つか話がまとまったから。夏休みは各地にそれを取りに行く予定」
「へえ?なら全国旅行って感じなのか。せっかくだし付いて行こっかな、具体的にどこ行くのよ?」
「小笠原、飛騨古川、稚内、カリフォルニア、エカテリンブルク、バルラームプル、コンセプシオン、ヌエバ・ロハ、ウィニペグ、ウェイファン、マンチェスター、エシルストゥーナ、あと……」
「うん。半分以上わからなかったけど、あんたが夏休み中に日本どころか世界一周するつもりなのはよく分かった」
「コネとお金と時間をいっぱい使う」
「本のことになるとアクティブ過ぎるでしょ……」
「プライベートジェット機も用意した」
「おいほんといい加減にしろ」
「護衛とメイドも連れて行かないとだから」
「身の回りの世話させる気満々じゃない……」
金にものを言わせて、これでもかと趣味に走っているこの女。人生とても楽しそうである。
メイド達が今日に限って妙にニコニコとしていたのも、仕事で海外旅行に行けるからなのだろう。なんなら終業後に気合を入れてジャンケン大会をしていたのも、担当の国を決めていただけなのかもしれない。なんだこの最高の職場。
やはり金である。
金があればなんでも出来る。
人を幸せにすることだって出来るのだ。
「エリカも来る?」
「ううん、小笠原と飛騨くらいならまあ……」
「稚内もいいよ。うに丼が美味しい」
「……なら国内の3箇所だけ」
「ん。当日は手ぶらで良いよ、護衛代が浮くし」
「なんかこのままだと、気付いたらアンタのところに就職してそうよね……」
「結婚する?」
「誰が永久就職するとまで言った」
まあ他の何処に就職するよりも待遇は良いのかもしれないが、それに応じた大変さがあることもまた事実。下校中でさえ襲撃を受けるくらいなのだから、乗っている飛行機が襲われても不思議ではない。
そう考えると、それはそれで心配になるが……
(なんか結局、全部の国に付いて行く感じになりそう……)
まあ、それはさておき。
「ところで小笠原って、この前誘われたらアレとはまた関係のない話?ほら、北山さんのところのプライベートビーチに行くやつ」
「関係ある」
「へえ、達也君や深雪達も来るって聞いたけど」
「雫のお父さんと交渉してたから」
「お父さん?……ああ、確かあの子のお父さんって大実業家なんだっけ」
「うん、お金持ってる」
「その判断基準やめなさい」
「前から探してた本を持ってたから、交換する予定なの」
「交換?売買じゃないのね」
「うん」
まあその点については、この女の目的があるべき場所にあるべき本を届けることなのだから不思議ではない。そもそもこの女は富裕層の間ではなかなかに名が広まっているコレクターであり専門家。
単に珍しい本を得ることより、この女に直々に選んで貰った本という方がそういう人種にとっては価値があるのかもしれない。それこそ十分な金を持っている者達からすれば、些末な宝石よりも生涯の宝が増える可能性の方がよっぽど意味はある。
「それで?あんたのお目当ての本ってどんな本なのよ?」
「ん、今は画像しかないけど……これ」
「へえ……なんか、ボロボロね」
「少し前に引き揚げられた第二次世界大戦時代の戦艦の一室から見つかった物。これでも奇跡的な保管状態」
「水没してたってこと?それなら確かに原形保ってるだけ奇跡ね」
「これを保管してた北山家で心霊現象が起き始めて困ってるって、雫から教えて貰った。私も戦艦のニュースに映ってたこの本をずっと探してたから、利害の一致」
「また妙な曰く付きなのね……まあ戦時中の物だし不思議じゃないか」
「うん。この程度なら、よくあること」
「心霊現象が良くあるのは嫌過ぎる……」
そんなことがよくあってたまるかと思いたいが、世の中に変な本があることは知っているので否定することも難しい。そういうものから目を背けていた方が世の中は生きやすいのかもしれない。
まあだからと言って魔法師の世界が生きやすいかと言われれば、それもまた閉口するしかないのだが。
「で?向こうに渡す本は?」
「ここにあるよ」
「なんて本なのよ」
「『誰も知らないキノコの神秘 -これで貴方も蛇博士-』」
「……なんて?」
「『誰も知らないキノコの神秘 -これで貴方も蛇博士-』」
「……蛇?」
「キノコだよ」
「いやでも今、蛇博士って」
「ほら」
「………………アンタが開いたページ、ウミウシの解説してるんだけど」
「表紙はニワトリ」
「何も分からない……」
これまで色々な本を読んで来たけれど、読まされてきたけれど、これはもう本当に何も分からない。インターネットでなんかこんな話を見たような記憶もあるけれど、この本は何をしたいのだ。
「ねえ、なにこの本」
「何の得にもならない本」
「え、なにそれ」
「中に書いてあることも全部こんな感じ。さっきのページもウミウシの解説をしてると見せかけて、実際にはハシビロコウの話をしてる」
「……なんで?」
「ページ数も目次も全部あてにならない。なんならカバーを外すと全く別の本のタイトルが出てくる」
「……『空も飛べない牛の顔 女騎士は極悪魔王に溺愛されました』」
「質の悪いラノベみたいでしょ」
「ラノベでもこんな意味不明なタイトル付けないわよ……」
「ちなみに生物の解説をしてるのはさっきのページだけ。次のページではドイツ語でラテン語の歴史を解説してる。けど実際には日本語の話、ただ出てくる地名と人物名が全部イギリスの物になってる」
「ゴミじゃない!!」
エリカは流石にフォローが出来なくて、そう吐き出してしまう。
何よりの問題は、なにも知らずにこれを見ても何の面白味もないということだ。それこそエリカが読んだところでウミウシの解説が実はハシビロコウの解説だなんてことは分かるはずもないし、本の内容だってページごとにバラバラと来た。
知識のない人間にとっては何も理解できないし、何も面白くないし、何も分からないし、本当に何の本だというのか。何のための本だと言うのか。
「アンタね、こんな本を自分に最適な本とか言って渡されたら普通の人は怒るわよ」
「エリカ、この本は何の価値もないというテーマで作られた本。だから面白くなくて当然だし、ゴミと言われても仕方ない」
「なら余計にでしょ!!」
「でも知識のある人が読むと面白い」
「………」←知識のない人
悲しいかな、知識のない人と言われてしまった。
いやまあ言われてみればそうかもしれないけれど、知識のある人間が読んで本当に楽しいのかどうかは別の話なのではないかとエリカは思ってしまう。そっちの気持ちが分からないから。
「雫のお父さんは大実業家で知識も豊富、その上でかなりユーモアのある人。きっとこういう本もとても楽しんで読める」
「……なるほどね」
「ちなみに知識のある人が読み始めると1週間かけても読みきれない」
「は?なんで?」
「それくらい詰め込まれてて、知識のある人は分からないことが出て来ると悔しく思って自分で調べ始めるから。キリがない」
「……ねえ、もしかしてこの本の著者ってかなり優秀な人なんじゃない?それだけネタが詰め込まれてるってことよね?」
「実は、分かるだけの情報だと著者は一般人。しかもこの本だけしか表には出してない」
「どんな一般人よ、しかもこれしか出版してないって……」
「だから不思議。ここまで知識の豊富な人がどこの誰なのか、今でも分かってない。色々とネットでも噂はあるけど、どれも信憑性がない」
「天才と馬鹿は裏表、だっけ」
「馬鹿と天才は紙一重、かな」
「………知識が無くて悪かったわね!」
「私は気にしてない」
「私は気にするのよ!」
「可愛いね」
「うっさい!!」
そんな感じでやんややんやと友人同士の夜は過ぎていく。
元々は成り行きの関係だったけれど、この2人の相性は案外良くて。詩織が眠くなり始めたのを見計らって、エリカも部屋の灯りを消す。
互いの理解も少しずつ深まって来ていた。
……その一方で、別の2人も同じように夜を共にしていた。先の2人よりも付き合いが長く、より理解し合っている2人が。
「ね、ねえ雫……清冷さんって、達也さんのこと好きなのかな……?」
「え?」
生憎お泊まりではないけれど、通信越しにそんなことを親友の"ほのか"から相談された北山雫は首を傾げる。それはあまりに唐突な話、なんなら本人以外はそんなこと想像したこともなかった。
「い、いや、ほらね?あの2人って時々その、2人きりで話してる時があるし。達也さんも清冷さんにだけは、なんていうか、付き合い方が違うって言うか……」
「……詩織はそんなつもりないと思うけど」
「で、でも!九校戦の後夜祭でも一緒に踊ってたし!その前の日なんか夜に2人で出歩いてたって噂だって!」
もちろん、どちらも事実である。
清冷詩織は人格はあんなんであるが、容姿だけはそこそこ良い。故に多少なりともそういう噂が出回るのは仕方のない部分であるし、話が話だけにほのかがそういう心配をしてしまうのは仕方のないところではあったりもする……のだが。
「うーん……」
「な、なに……?」
「それはないと思う」
「え……」
あの本好きを知っていれば知っているほど、その結論に辿り着くのは早い。
「詩織は恋愛とか興味ない」
「そ、そうかな……」
「なんなら異性に対する意識も殆どない」
「そ、そんなことあるの?」
「恋愛とか男女関係を面倒臭いと思ってる人種だから。別に結婚しなくても生きていける立場だし、お金もあるし。なんなら節税の為に女の人と結婚するとか言い出してもおかしくない」
「……雫、いつの間にそんなに清冷さんと仲良くなってたの?」
「気が合う」
「……なんとなく分かるけど」
クールというか、口数が少ないというか……それこそ父親の本の関係で相談したことをきっかけに、それとなく交友関係を密かに築いていた2人。
口数が少なくとも意外と交友関係も広くコミュニケーション能力も苦にしていないところも共通していた。そんな2人が短期間でこれほど理解し合うほど仲を深めていたとしても、それほど不思議ではない。
「ただ、達也さんが詩織に惚れる可能性はある」
「えぇ!?!?」
「詩織は達也さんの持ってない物を持ってる。お金も社会的立場もあって、達也さんでさえ知らない知識も沢山。ほのかが警戒してるのは、そういう2人の対等な関係のことじゃないの?」
「…………言われてみたらそうなのかも。いつも冷静な達也さんが、清冷さんと話してる時だけ前のめりに見えるって言うか。振り回されてても、なんだか楽しそうって言うか」
「羨ましい?」
「……うん」
「そっか」
「………え!?それだけ!?もっとなんかこう、フォローとか!!」
「詩織は人として特殊過ぎるから何の参考にもならない。手本にも参考にもならない、悩むだけ無駄」
「身も蓋もないよね!?」
「詩織みたいな人間は1人で十分だから、ほのかはそのままで居て」
「……仲、良いんだよね?」
「仲良いよ」
「なんとなく清冷さんに辛辣じゃない……?」
「この前じゃんけんで負けてプリン取られた」
「なんかすごい可愛いことしてる……」
「だから次の旅行では絶対に勝つ」
「プリンでそこまで熱くなれるんだ……」
そんな夏休み前の、学生らしいひととき。