結局のところ今回の九校戦は、第一高校の総合優勝で幕を閉じた。
「清冷さん、後夜祭にも来ていたんですね」
「深雪、達也……うん、顔だけ出しに」
「ふふ、そうでしたか。ここに来て初日に清冷さんの顔を見た時には何事かと思いましたけど、今回はずっと大人しくしてましたからね」
「そうかな」
「……」
この九校戦において、清冷詩織は1種目にも出ていない。競技の勝敗にも全く関わっていないし、常に特別な観覧席から見ていただけである。選手達からしてみれば「誰だあの偉そうなガキ」という感じだろうし、そもそも詩織自体がこの九校戦にそれほど大きな関心はなかった。
……だからと言って、本当に大人しかったかと言われればそうではないと達也は知っている。それこそつい昨晩、達也はこの女にゾンビと戦わされたのだから。尋常じゃない数の相手を、この女を守りながらである。
「ところで清冷、お前は踊らないのか?相手には困らない容姿はしているだろう」
「達也は私が踊れると思う?」
「……いや」
「挨拶が終わったら帰る。選手じゃないのに居る方がおかしいし」
「……ふむ」
確かに老師のコネと最低限の挨拶のために彼女はここに居るのだし、踊りもしないのなら居る意味はあまり無いかもしれない。
しかしもし彼女が居なければ、九校戦最終日に謎のゾンビ達が街を闊歩するような事態になっていた可能性はある。そういう意味では彼女もまた功労者であると言っていいだろう。
「お兄様、清冷さんと踊って差し上げてはどうですか?」
「ああ、そうだな」
「……?踊れない」
「別に適当で良いだろう、雰囲気を味わう程度で構わない」
「思い出作りですよ、清冷さん。どうですか?」
「……2人がそれでいいなら」
「ああ」
詩織にとっては別に嬉しくもなんともないことであるだろうが、せっかくなのだから。それに清冷詩織が今後の3年間で一度でも競技に出られるとは思えないのだし、こういう楽しみくらいはあっていいだろう。どうせ長い付き合いになるのだ。
「これくらいならどうだ、清冷」
「うん……大丈夫」
「そうか」
「達也はいいの?他に踊りたそうな人が居た」
「誰のことだ?」
「ほのかとか、会長とか、他校の女生徒も」
「あぁ……まあ気にするな」
「ん……」
身体を揺らす程度、これなら詩織も踊っていられる。
達也も今回の九校戦で大きく活躍し、周囲からの目も大きく変わった。特に女生徒達から。今後も少しずつ、そうして評価は変わっていくだろう。そして同時に注目され、厄介ごとにも巻き込まれていくこともよく分かる。
「達也は……」
「ん?」
「私と結婚したい?」
「っ……いきなり何の話だ」
「そういう人多いから」
「……ああ、確かにそういう人間は居るだろうな」
「お金あるからね」
「身も蓋もないな」
詩織の表情はいつものまま。
「……俺にそのつもりはない。確かにお前の本に対する特殊性や持っているコネに興味はあるが、それも友人としての関係でいい。金銭に特別困っている訳でもないからな」
「そう。本のことも遺伝しないと思うから、期待しないでね」
「そうなのか?」
「うん。お父さんの家系は教科書さえ読んだことのないチンピラ一家、お母さんの家系は紙本なんて早々に捨てたデジタルエリート理系一家。先祖返りでもない、遺伝子異常もない」
「その2つの家が交わった事実の方が気になるがな。その末にお前が生まれたことも理解不能だ」
「ね」
きっと詩織はこれまで、そうして何度か婚姻を申し込まれたことがあったのかもしれない。何なら付き合いのあった異性から、突然そんな話をされることも。
故に付き合いが生まれた達也に対しても、事前に忠告をしておいたというところだろうか。先にそうして話しておけば、そういう関係の破綻を防げるから。
「そもそもお前は結婚するつもりはあるのか?」
「ないよ。満足に産めるかも分からないし」
「一生そのままか」
「養子とか。才能のある子を見つけたら、だけど。私みたいな」
「なるほどな」
「国会図書館からも勧誘があった、有識者としての仕事も増えてる。卒業後は忙しくなる」
「……十師族の関係では何かないのか?」
「私に魔法的な価値なんてないよ」
「オカルトを調査したいという連中は居るだろう」
「それは普通にオカルトの専門家に頼った方が良いと思う」
「……そっちの本職も居るのか。古式魔法師とは違うのか?」
「もっと怪しくて、表には出て来ない人」
「怪しい?」
「スーパーとかで10分2000円の占いとかしてる感じ」
「それは怪しいな」
「ね」
そうして雑談をしながら1曲を終える。
彼女は達也の全く知らない世界の、全く知らない知識を多く持っている。それこそ知識という分野で達也が彼女に勝てることはそうそうないと思わされるほど。そういう意味でも達也としては、今後も彼女とは良い関係を築いていきたいと思っている。
「清冷、今後も何かあれば頼ってくれて構わない。お前に何かあれば深雪をオカルトから守る手段が無くなるからな」
「うん、ありがとう」
「それと、頑張れよ」
「?」
「どうやらお前とも踊りたい人間が居たらしい」
「え」
達也に言われて、詩織は後ろを振り向く。
そこにはニコニコと笑みを浮かべて次を待っていた、数人の待ち人の姿。
「市原先輩、七草先輩、エリカに深雪も……」
「私には踊れないなんて言ったのに、達也くんとは踊るんだもん。そんなの不公平よね〜?」
「ええ、こちらも大方の挨拶も終わりましたので」
「いや、私はこんな格好だし踊るつもりなんてないんだけど……」
「何を言ってるのエリカ、せっかくなんだから。清冷さんが一緒に踊ってくれる機会なんてなかなか無いわよ?」
「……体力が」
「いけるでしょ?たった4曲だもの」
「もう疲れて……」
「はーい!清冷さん次の曲でーす!」
「ぁぁぁ………」
ズルズルと真由美とエリカに連れ去られていく詩織を達也は見送る。あれは人に好まれるというよりは、可愛がられる性質なのだろう。守りたくなると言っても良いのかもしれない。
エリカと深雪に関しては良い具合に友人関係を築いているようだし、あんなでもコミュニケーション能力はあるのだから。そうでもなければ他人に本を貸すなんてことも出来る訳もなし。
「ほら詩織〜、どの順番で踊るのよ?ラストダンスは誰にする〜?」
「誰でもいい……」
「私はお兄様とラストダンスをするから、そこは譲るわよ?」
「そこはもちろん私よね!私と清冷さんの仲だものね!」
「私はどちらでも構いませんが……」
「じゃあもう九島老師で良い……」
「いい訳あるかい」
「妥協案なら妥協しなさいよ……」
「市原先輩助けて」
「っ……し、仕方ありませんね。嫌がる相手を無理矢理踊らせるのも違うでしょうし。ここは大人しく諦めましょう、会長」
「あ!リンちゃんが裏切った!!」
「こ、こいつ、甘やかしてくれる相手を上手いこと見つけたわね……」
「代わりに面白い本を貸すから」
「「「………くっ!」」」
全員敗北した。
瞬殺である。
これには勝てない。
「はい、今日のおすすめ」
「くぅ、悔しいけど、このワクワク感にだけは勝てない……」
「……見た目は普通ですね、漫画でもなさそうです」
「あと関係ないけど当然の様に先輩の膝を椅子代わりにし始めるのはどうなのよ」
「私は気にしていませんよ」
「私も気にしてない」
「あんたは気にしなさい」
「それはさておき」
「さておくな」
「タイトルは……『見つめるだけで誰でもできる催眠術-初級編-』」
「「「「………」」」」
明らかにヤバそうな本が出て来た。
なにせここに居る者達は知っている。
基本的にこの女が出してくる本は本物であり、タイトルになっているものは事実であることを。
つまり、そう、この本を読めば……
「ね、ねえ?それって本当に催眠術が使える様になったりするのかしら……?」
「……」
「せ、清冷さん?」
「……」
「えっと……き、聞こえてるわよね?おーい?」
「……」
「え?あの、これってもしかして……」
「……………………ダメだった」
「やっぱり私にかけようとしてた!!」
「か、会長!どうでしたか!?」
「……と、特に何も感じないけど?」
「失敗、したのよね……?」
「そう」
「そう、じゃないのよ!突然試すのはやめなさい!ちょっと怖かったじゃない!」
「会長も試してみる?」
「え?そ、そう言われると少し気になるけど……」
パーティ会場の隅っこで何をやっているんだコイツ等は、という視線は集まるものの。そんなことはどうでも良いとばかりに盛り上がる姦しい集団。
顔が良いだけに余計に目立つのだけれど、それも今更。十文字に連れられて会場を出て行った達也も、なんとなく気になる様な顔で詩織の方を見ていた。
「なになに?相手を眠らせる方法?」
「眠れと念じながら相手の目を見つめる……」
「……え?それだけ?」
「こんな事で催眠術がかかるなら世界が崩壊してそうです」
「じゃあ取り敢えず清冷さんに試してみようかしら………むっ!」
「………」
「むむむっ……!」
「………」
「むむむむむむっ!!」
「どう?詩織」
「…………スー、スー」
「本当に寝た!?」
「絶対に嘘でしょ!こんなの効いてる訳ないわよ!」
「スー、スー……」
「……もしかして普通に疲れて寝てるだけなんじゃ」
「体力無さ過ぎない?」
「そんなに疲れたことをしてたのかしら?」
「……ともかく、一旦清冷さんは置いておきましょうか」
何れにせよ、市原の膝の上で普通に寝始めたのは事実。ならもうこの際、好きなだけ寝かせておいて本の方を読んでみるという方向に話はまとまる。
詩織がやった時には何も効果はなかったが、真由美がやった時には効果が出た可能性はある。
「怖いんですよね、清冷さんのこういう本……」
「そうね、前にレオに貸し出された本は本当に異様な効果を発揮してたし。その本を読んだだけで、適当なトレーニング方法に奇妙な効果が付随されたりとか」
「あー……そういう意味だと、こんな見つめて念じるだけって手法でも効果が働く可能性はある訳か。あくまで重要なのは"この本を読んだ"って事実の方だったりとか、持ってることが鍵だったりとか」
「……試してみる?清冷さん以外の人にも」
「なんだか怖いですね……」
「じゃあさっきからチラチラこっちを見ている一条くんに試してみましょう」
「か、仮にも他校の十師族を相手に……」
「えいっ……!」
「うわ、知り合いだからって容赦無い……」
何やら同じ学校の女生徒達に囲まれている敗北しても人気者な一条将輝くん。そんな彼に何の躊躇いもなく催眠を掛けようとする真由美。
仮にも七草の3年生が睨み付けてくる異常事態に蛇に睨まれた蛙のように困惑する彼であるが、その結果は……
「……特に効いてませんね」
「そ、そうみたい……」
「やはりジョークアイテムなのでは?」
「まあ詩織だって流石にそろそろネタ切れなんでしょ」
「手元にあった適当な本を貸して来ただけの可能性もあるものね」
「まあ、基準がおかしくなっているだけで、これもこれで普通に変な本ではありますし」
となると、やっぱり詩織は普通に寝ているだけなのだろう。まあそういうことなら仕方ない、これもこれで面白くはあるのだし。
今日は大人しくこれを受け取って終わりにしておけば……
「あ、あれ……?」
「?どうしました、会長」
「な、なんだか、急に……眠気が……」
「え?眠気?」
「は?え?冗談……じゃないのよね?」
「ご、ごめんなさい深雪さん……あとは、頼……っ」
「か、会長!?と、突然どうして!?」
「…………スー、スー」
「「「本当に寝てる!?!?」」」
倒れるように深雪に寄り掛かり、そのまま意識を失ってしまった真由美。そんなまさかの出来事に深雪は慌てて彼女を支えるが、それはとてもではないが演技のようには見えない。
しかもそのまま心地の良さそうな寝息を立てて夢の世界に旅立ってしまったのだから、こうなるともう色々分かってくるもので……
「……まさかこの本」
「掛けようとした人間に、逆に催眠がかかるってこと?」
「……そうとしか思えません」
人を呪わば穴二つ、などと言うけれど。
人に催眠を掛けようとするなら、自分も掛けられる覚悟を持て。どころかお前に自動的に返ってくるぞ、というブーメラン方式。これが真由美のあまりに素晴らしい演技でもないのなら、そうとしか考えられない。
……そしてそうであれば、詩織の件も予想が出来て。
「こ、こいつ、パーティから逃げるためにわざと自分に催眠を掛けたのね……」
「あ、ああ、そういうこと……」
「それならそれで早めに教えて欲しかったですね……仮にも生徒会長がパーティ中に寝ているというのは普通に問題なのですが」
大問題である。
「……ただ、これはこれでかなり有用な本な気がします」
「え?そう?そりゃ確かに睡眠不足の解消には役立ちそうだけど……」
「いえ、この本のタイトルは『見つめるだけで誰でもできる催眠術-初級編-』。つまり眠ることだけを目的としている訳ではありませんから」
「っ……要はこれ、強力な自己洗脳手段ってことね」
「そうなるわね。もちろん自分以外に協力者が一人居る状況が前提になる訳だけど」
「それに流石に物理法則を無視するようなことは出来ないでしょう。もちろん他者に使用させて悪用は出来るとは思いますが」
「……なんか一歩間違えたら危険な代物に思えるんだけど」
「ええ……」
これが睡眠なだけまだマシである。そもそも発動条件も、発動するきっかけも、効果の継続時間も詳細までは分かっていない。その辺りを検証する前にこれを使用するのは非常に不安であるし、それこそ意識や感情の違いで自分に自殺や自傷を命じてしまう可能性だってある。
いやまあ催眠なんて元よりそんなものなのだけど。
「つまりこれは……」
「催眠の恐ろしさを、身をもって体感させるための本?」
「恐ろしさだけとは限りませんが……まさか初級編というのは、自分の身体で催眠について学ぶという意味で?」
「……催眠を悪用しようとする人間は大変なことになりそうね」
「え、これちゃんと起きますよね?」
「お〜い詩織〜、起きなさーい」
「………うぅ、あと8時間」
「あ、割と大丈夫そうね」
「朝まで寝る気かコイツ」
「取り敢えずこの本は清冷さんに返しておきましょう。私達が持っていても毒にしかならない部類の物に思えます」
「「間違いないですね……」」
そもそも別に催眠術師になりたいとも思っていないのだから。これは大人しく中身も見ないで返しておくことにする。ここまで来ると流石にエリカ達も学習するのだ。
「って言うか、仮にも専門家を名乗ってる奴が1番悪用してるのはどうなのよ……」
「ま、まあ悪用と言っても可愛い部類ですから……」
「市原先輩は清冷さんに甘過ぎません……?」
当然の指摘であった。