楽曲エッセイ#2 リトルクライベイビー/ヒトリエ
朝焼けだと思った。
初めて聴いた時に懐かしいと思った。
私たちは毎年に誕生日を祝い、祝われる。産まれたその日を毎年、大切な人とケーキを囲んでロウソクを消していく。あるいは私と同じようにコンビニからのクーポンの連絡でやっとその日が誕生日だったことに気がつく人もいるでしょう。
何に対しての祝いなのだろうか、生まれてきたことを思い出すため、死に近づいたことに気がつくため、出会ってから共に歩いてきた道を振り返るため、自分でもよく分かっていない。
けれど、そんなよく分かっていないことを楽しむことも生きていく意味の一つなのだとも思う。
アニメ「葬送のフリーレン」で、キャラクターの1人に育った環境では誕生日を祝うという風習がなかった というキャラクターがいて、そのキャラクターを通して誕生日って何をする日なのかを考える回があったのを覚えている。誰かに祝ってもらったというその経験は、たとえ誕生日という文化では無い形でもかけがえのない記憶として残り続けている といった内容だった。
産まれた意味、生きていく意味、それぞれの人間が何かしら考えたことがあると思う。それを自分の哲学として持っている人はとてもカッコイイと思うし、それは自分から遠いからそう見えるのだと思う。私はその話題に対して考えることを諦めてしまった。生きる意味なんて ない と断言できるほどニヒリストでもなければ、何かに生きる意味を見いだしていくほどの羨望も持っていない。信念は自分の人生を通してコンパスのよう役割をしていて、それは自分で信じなければ意味を持たないと思っていて、たかが20と数年の経験では、そのコンパスが示す方角が間違っていることなど往々にある。それも怖いので人生の意味を持つことを先送りにしている。
最近、業田良家さんの「空気人形」という漫画を読んだ。
この漫画を元にした映画でworld's end girlfriendという好きなバンドが作中の音楽を担当していて、その映画を見たあとに漫画を買った。
表題となっている作品の他にも哲学の問いを織り交ぜた作品が複数入っていて、その中に 何でも答えを返してくれる人工知能 が完成して、あらゆるこの世の問いに答えていくという話がある。そこで人工知能は"人間の生きる意味とは何であるか?"と主人公に尋ねられ、処理をすることが出来ず爆発してしまう。その後に同じことを尋ねられたお婆さんが「長年生きてきたけれど分からない」と答え、それを聞いた主人公は自分の今の心に正直になるように駆け出していく という話だ。この漫画には他にも人工知能やロボットの話が出てきて、2024年の今に読んでも肝を掴まれたような感じがした。
これは、現代の人工知能と重なるところはあるが、ChatGPTに「生きる意味は何ですか」と聞いても、有り合わせの答えを投げ返すか、哲学者を紹介されるか、メンタルヘルスを紹介されるかのどれかだろう。今のAIは基本的に人間の想定の想像の範囲内を出ることがない。それは学習元が人間であるからだ。しかし、今現在はAIを学習元にしたAIの開発も進んでいる。その時の知能はどうなるだろうか、相対的な人間の知能はAIからみて他の動物と変わらないだろうと言われるようなレベルまで進化するのだろうか?それともロボット三原則に則ってそのような研究は打ち止めになるだろうか?
私たちの知能の及びのつかないところまで発達したAIがもし「生きる意味とは何ですか?」の答えに人間の想像を超えた答えを出してきた時、私たちは自分たちの信念や哲学を持ち続けることは出来るのだろうか。
その時に私たちは誕生日を祝うことを止めないのだろうか。
生まれたことに意味があるかは分からないが、祝うことに意味があるとは自分は思っている。
wowaka 生まれてきてくれてありがとう。
祝いの歌をくれてありがとう。


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