30年目の1.17。
あけましておめでとうございます。(と既に2週間以上が経過しているのですが)本年もどうぞよろしくお願いいたします。毎年「情報発信頑張るぞ~!」と思いつつ億劫になってしまっているので、今年はぼちぼち、それでも月2回くらいは更新できるようになったらいいな~というのが願いです。
さて今日はタイトルの通り。
今日で阪神・淡路大震災が発災してからちょうど30年目の節目の年に当たります。感覚的には「もう30年」といういうような感覚です。そんな節目の年に、これまで長年住んでいた兵庫を離れ、今は埼玉県に住み、東京で難民支援を主とするNGO職員として働いています。難民支援を主として実施していますが国内災害への支援も行っており、そういった節目のタイミングで災害や難民への支援を行う団体へと入職したのはある種縁だと思っています。
こういった1.17に関するSNSへの投稿、ここ数年は仕事の忙しさも相まってできていなかったのですが、今日のSNS、特にFacebookを見ていると顔の見える方々が、当時懸命に生きようとしていたという投稿を沢山お見掛けし、何ともしんみりとした気持ちになります。かくいう私も(まったく記憶がないのですが)震災発災直後西宮に居り、その内容を10年前のFacebookの投稿につづっていました。(ログインができない人へ)下記は上記リンク先から読める10年前の私の投稿です。
【1.17を忘れない。】
受験生は今日と明日がセンター本番ですね。文系の人は明日が苦痛で仕方ないでしょう。笑
ベストを尽くせますように、、、
そして今日は阪神淡路大震災から丸20年の日です。
ニュースを見てたら
「亡くなった人に対して20年という区切りはない」と言う言葉がとても心にきました。うちの家族は幸いにも皆無事に生活していましたが両親の職場にも知人を亡くしたという話を聞きます。
20年前は浜甲子園に住んでいました。産まれて間もない自分と両親の3人で住んでました。
1995.1.17.5.46。地震発生です。
「ドーン!」という音と同時に母親が目覚めたそうです。狭い部屋にタンスなどもあったそうですが奇跡的に倒れてきませんでした。ここで倒れてきてたらもう今この世にはいないでしょうね。
それからすぐコンビニなどに行っても水も食料もなく、あてもないので愛媛に帰って生活をしてた、ということを毎年この時期になると母親から聞かされます。
あれから20年。復興を遂げたとは言いながらも復興住宅での孤独死や震災が風化するのではないかということが課題として挙げられています。
風化しないためにも語り継ぎは大事ですし、僕もまた話を聞かないといけないなと感じます。
1日1日を無駄にする事なく生きないといけないということをまた感じた日でした。そんなことを思った20年目の1.17でした。いよいよ明日は面接です。
(投稿ここまで)
これまで愛媛県や大分県など兵庫県の外にも住んだ経験がありますが、外に住んでいる方が「忘れないようにしないと」と思うのでしょうか。県外に居た方が発信する機会が多いような気がします。これからもこの日を忘れることなく、発信して行ければと思います。
余談ですが「今日で30年ですね」と母親にLINEを送ってみたらどうなるのか?気になって朝送付してみました。
いや軽っ。(笑)
まあ、確かに生きててよかったなあ、と思った1.17の朝でした。


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