親も先生もだいたい間違ってたじゃねえかと思う
我が家は町田市郊外に中古物件を買い父母姉、僕の4人で暮らしている中流家庭の平均年収ちょい下くらいの環境で育った。
親は2人ともそれぞれイデオロギーが凝り固まっており、しっかりと思想、思考が偏っていたことに僕自身が気がついたのは高校・大学生になってからだったろうか。
当時は「両親と学校の言うことは全て正しい」ことを前提に教育をされた。理解できないことも多かった僕のような人間は暴力や圧力で屈するしかなく「未熟」な「未成年者」の烙印をしっかり押されながら生きるしかなかったのだ。
まわりの大人、特に親が「言ってることも行動もめちゃくちゃ偏ってるな」と中学時代に感じ、確信に変わったのは自分も本格的に社会の勉強をはじめた高校時代だ。
あらゆる人の本を読んで、学校の先生などのあいつもこいつも適当言ってるだけじゃねえかと思えてしまってからは更に地獄。
極端な話ではあるが思春期なんて言葉では整理のつかないそれではある。
「親も学校も何かと意味のわからないことは言ってくるが論破して納得するような相手でも環境でもなく、納得をしないまま無言で時が過ぎるのを待つしかない」状況だった。
高校の3年間は両親にも、部活の顧問にも、クラスの担任にも、すべてにおいてしっかりと確信犯的にいい顔をした。面倒だからだ。
偏った親は僕に入ってほしい大学があったそうだが、僕はその大学の入試だけは会場に向かって白紙で回答をして家に不合格通知がくるのを待った。
思惑通り、自分の入りたい大学に「のみ」合格をする形で悔しがる表情の一つもちゃんとして、桜美林大学に通った。
両親は僕の就職先も案じ、ついてほしそうな職もいくつも提案されていた。
成人もしている僕にとってはこの人間2体は本当にいくつになっても変わらないのだと確信したタイミングでもあったし、そこからは1人暮らしをはじめてまさに呪縛から解放されたわけである。
親に愛情が全くないわけでもないし、家族としては世話になったこともある。
ただ、自分が偏っていることにあまりにも無自覚で、こちらの生き方に対しての過干渉が目に余るものがあった。
調べると「過干渉は親が子離れできないケース」であることも知る。
父も母もまだ健在ではあるが、今でも僕のことになると非常に煩わしいほど干渉するし、どんなに伝えてもそこが自覚できるような冷静さは持たない。
先日、出演する町田市内でのイベントがあった時(チケットは完売)たまたまうちの息子の顔を両親に見せに実家に立ち寄ると
「あのイベントはちゃんと人が入るのか?内容のアドバイスなんだけど・・」
と勝手な心配と求められてもいないアドバイスをはじめたので早々に子と妻を連れて無視して帰った。「いいかげんにしろ!」と吐き捨てて帰った。
ついここまで「こ〇すぞ」なんて言葉も出かかったが、そこはさすがに。
先日、中1の息子が実家に帰った時に
「じいちゃんとばあちゃんが、お父さんがこのまえ言ってた「いいかげんにしろ!」の言い方が面白かったって言ってたよ」とこちらの意に反する反応で盛り上がっていたと又聞きした。
そんなもんだ、人は変わらない。
もちろん、恩もあるし、お金がない時に助けてもらったこともあるし、こんな偏った思想を持つ親がいたから僕はひどく真面目で勉強家になったのだ。
こんな風貌をしていると「ご両親と仲良い」と思われがちだが全然親に対して許せないことが山ほどある。世の中はどんなもんだかしらないが。
ただ諦めにも似た何かだけで、普通に話したりはできる。
親に限らず、勝手にアドバイスをしてくる人がしっかり嫌いで、人を低く見積もってなめてくる人も嫌いだ。昔のことがなんだろうが、同じ温度でむかつけるのだ。
先日、旅行中に中1になった息子に「そういうことだから親でも先生でも間違ったことは言うと思うが冷静に判断していいからね」と伝えた。
息子は笑顔でゆっくりうなずいた。そうそう、無視でいいからなこんなアドバイスすら。
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