unlightenment

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@reincarnationus
寺暮らし/バタイユ思想を中心とした宗教哲学
京都Born May 14, 1999Joined October 2023

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度々言っていますが、僕はまだ学部生であり、哲学専攻ではないです。哲学は個人的に学んでいます。なので浅学なりに考えながら投稿しているのですが、そんな拙考にいつも反応を頂けてありがたい限りです。少しずつ手応えを感じながら、これからも頑張りたい。より広く深い海に向かって泳いでいく。
僕は本のない家で育ったし、岩波文庫や新書という形態も大学に来てから知った。古本市場で安売りされていた村上春樹をお小遣いで買って読んでいたのが唯一の文化資本だった。だから僕は「それくらい知ってて当たり前だろ笑」とは絶対言いたくない。そんな傲慢な"大学内の当たり前"は唾棄すべきだ。
僕は19歳の頃、Ⅰ型双極性障害によって「頭が開通した」ことがあり、人生で最初で最後の本気の悲鳴をあげた。「死んだ」と思ったし「戻れない」と思った。そしてその時に見えた世界が、この世のものとは思えないほどに綺麗だった。この体験が後に哲学を志し、僕がバタイユと巡り合うきっかけになった。
これめちゃくちゃ良いこと書いてますね。実は哲学書をちゃんと読みたいと思うようになったのは、2年前の今頃に『論理哲学論考』について知ったからです。やっぱりウィトゲンシュタインはかっこいいよな。
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諸隈元シュタイン
@moroQma
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ごゆっくり~ x.com/moroQma/status
僕は今もバタイユに恋をしていて、彼の見ている世界を見てみたいという憧れが、哲学科ですらなく、元々はホストやフリーターだった僕を哲学へと突き動かしてきた。結果として今は博士まで行く計画で動いてるし、寺に住み込んで哲学を学ぶようになった。一冊の本との出会いに人生を変えられてしまった。
ただの精神病持ちの引きこもりだったのが、学ぶことに若さを捧げると決めて、働いたお金で参考書を買って受験勉強を始めて、京都に行き着き、哲学に出会い、友人や先輩後輩に恵まれ、寺に住み込むようになり、今は学ぶことが面白くて仕方ない。学べることの喜びを噛み締める。もっと深くまで行きたい。
大学生は4年もあるので、勉強するとちゃんと力がつきますし、その力は大概一生物です。だから勉強はしたらいいんだけど、同時に学生の時期にしかできない馬鹿騒ぎや恋愛やバイトもやったらいいし、そこに優劣ないですからね。遊んでる学生を見下す一部の人は自分のルサンチマン性と向き合って欲しい。
先天的な能力のなさよりも、「先天的に自分には能力がない」と思い込むことの方が、よっぽどその人の能力の開花にとって有毒である。人間の能力なんて根本的にはほとんど差がない。
明るく朗らかな人は、根からそういう人、というより、努めてそうあろうとしている場合が大体のように思う。悲哀や苦悩が基礎となってその人の善性が発現するのだろう。そのような闇を背に引き受けた光と、単なる無垢な光とを人は直感的に見分けることができる。それを「オーラ」と呼ぶのかもしれない。
「気分」を舐めないほうがいいです。実存思想が不安という感情を特別視したように、気分によって認識の構造が変わります。気分次第で直観が受け取るものも語性の出力も変化します。世界を呪ったり敵対すれば、世界は牙を剥け返します。逆に、世界を軽やかに愛するならば、世界が祝福を返してくれます。
例えば一冊の本を読み、紅茶の歴史を学んだとする。そうすると、目の前のアイスティーの現れ方が、読書の記憶によって変化する。それは何の役にも立たないことかもしれない。でもそのことによって、紅茶を飲むことが少しでも楽しく深くなるなら、それはひとつの生きた幸福と言って差し支えない。
エンパシーを「共感」としてしまうと、自分の体験から相手を紐付けて理解するという同化の動きになってしまう。むしろ逆で、自分を空にして他者が通り抜けていく「道」になること、自身が他者を受け入れるための「場所」になること、そしてその時に心身に残った感覚こそがエンパシーであると僕は思う。
結局、あらゆる不幸は「自分にはどうすることもできないこと」を「どうにかできたかもしれない」と勘違いすることから始まってしまう。そんな「もしも」について考えるほどに、今この瞬間感じられたはずの喜びは、受け取られないままに過ぎ去っていく。「今」しかないんだと、ニーチェは訴えていた。
バタイユ入門の参考図書ルート [最も分かりやすい] ・酒井 魅惑する思想 [バランスがいい] ・湯浅 バタイユ ・横田 脱ぎ去りの思考 ・酒井 バタイユ入門 [重め本格派] ・佐々木 極限の思想 バタイユ ・岩野 ジョルジュ・バタイユ ・吉田 聖なるものから現在へ ・和田 歴史と瞬間
村上春樹について色々言われてますけど、あの文体やリズムは革命的だと思います。何より彼に教わったのは、「重いものが深いものであるとは限らない」ということでした。重いだけで浅いものもあれば、軽くて深いものも世界には多く存在している。発見されていないだけで。
この発表大成功でした。あまりバタイユに好意的でない担当教員に「バタイユで何がしたいのがやっとわかりました」と言ってもらえましたし、「続きを聞くのが楽しみだ」と言って頂けたので、ほっとしました。宗教哲学としての、根源的な存在論としてのバタイユ。
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unlightenment
@reincarnationus
単位にもならない、しかもただのゼミ発表でなぜここまで気合を入れて書くのか。ロマンです。対戦よろしくお願いします。
単位にもならない、しかもただのゼミ発表でなぜここまで気合を入れて書くのか。ロマンです。対戦よろしくお願いします。
甲本ヒロトは「幸せではなく、幸せを感じる心を手に入れるんだ」と言った。幸せそのものが事物のように外界にあるのではなく、幸せは受け取り方の問題であると。存在忘却から解き放たれた時、生きているというこの奇跡を自覚した時、世界はいきいきと輝き出す。幸福は"今既に"与えられているのだと。
春樹の性描写について、「気持ち悪い」と言われること自体が一つの成功だと思っています。語弊があるかもしれませんが、人間はそもそも「気持ち悪い」です。彼はそのことを体感として分かっていたし、そこに対して正直に書いた。
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unlightenment
@reincarnationus
村上春樹について色々言われてますけど、あの文体やリズムは革命的だと思います。何より彼に教わったのは、「重いものが深いものであるとは限らない」ということでした。重いだけで浅いものもあれば、軽くて深いものも世界には多く存在している。発見されていないだけで。
何かを習得したいと思ったなら、泥臭く手を動かすだけです。基本的なことを、体が反射で動き出すレベルまで落とし込む。要は、美味しい作物を実らせるためには「土」を耕さないといけない。そして、「努力して耕す」というよりも、土作りの過程を楽しくやるための工夫こそが、努力の本質でしょう。
たかが哲学だし、たかが学問であって、本を読んでいるだとか論理的思考が得意だとかいうことを権威化している人間はスノッブにしか見えない。静かに自分の中で誇りにすることはいいとしても、それで他者を測る人間になってはいけない。こんな当たり前のことが「頭のいい人」には分からないらしい。
別にデリダでもフッサールでもハイデガーでも面白そうと思ったらとりあえず好きに楽しく読んだらいいと思うんです。大学生でも本を読まない人が多い中で、わざわざ本の中でも難しいものに挑戦して楽しんでる人に「まともに読めない」とか、ただのマウント、なんならルサンチマンまである。
人文系を学ぶことの意義についてよく挙がる「豊かさ」みたいなものが嫌いで、答えとしてあまりにふわっとしすぎている。豊かさを言い直すなら、例えば「自分が直感的に選んでいた選択を基礎付けることができる」「幸福という感覚を嬉しい、だけで終わらせず人に伝えることができる」等々言えると思う。
1型双極性障害の症状が1番ひどかった時、頭が「開通」した、僕は体感的に「破裂した」「死んだ」と思ったんですけど、その瞬間に見えた世界が本当に「ひとつ」だったんですよね。そして閃光のように瞬間的に現れた「それ」は、言葉にならないほどに、恐ろしいほどに美しかった。
仏現代思想に関心のある方は、まず中公新書から出ている『戦後フランス思想』『フランス現代思想史』を通読してみることをお勧めしています。前者はサルトルからバタイユまで、後者はレヴィ=ストロースを筆頭のした構造主義からドゥルーズなどのポスト構造主義までを薄く平易に概観してくれています。
高貴に生きるというのは、心の感覚に従いながらも理性を用いて生きることであり、年収だとか肩書きだとかそういうものは根本的には二次的なものでしかない。心を曇らせないこと、朗らかにしなやかに"ただ生きる"ことは、本人すら知らない間に周囲の人を励ます倫理となる。僕はそう信じている。
バイト終わって大学生協の本屋にいたらスピノザガチ勢の後輩とばったりして、スピノザ読む時に役立ててくださいって、全部の定理と公理をまとめて注釈したレジュメを貰えた。研究室に行ったら博士課程の先輩とばったりして2時間もお喋りしてた。こういう何気ないことが心から嬉しいし楽しいんだ。
ウィトゲンシュタインは「思想の価値は何によって決まるのか。勇気によって」と言った。僕はこの勇気を、「存在」という「語り得ぬもの」に触れるための「勇気」ではないかと思う。デカルトもヘーゲルも、サルトルも西田も、レヴィナスもバタイユも、皆「それ」に触れ、そこから哲学を始めていた。
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強い躁状態の反動から何度も強い鬱に苦しめられたし自殺未遂も起こしたことがある。2年前まで鬱の再診を繰り返していた。なのに僕は今大学で哲学をしているし、これ以上ないほどの素敵な友人や環境に恵まれている。だから人生は本当にわからない。
このアカウントでは哲学の話ばっかりしてますが、本音話すと、哲学の話"しか"できない人は普通にダサいと思ってますよ。日常会話を全部哲学に回収して話してしまう哲学徒を見かけますが、なんでもないことを何でもないままに感じた方が健康的だと思ってます。要は頭使いすぎなんですよね。
思考できるにも関わらず、あえて思考を働かせず、くだらないことをくだらないままに笑って楽しめること、簡単なことを簡単なままに受け取ることは、それらを解釈して要素を取り出すよりもよっぽど難しいように思います。子供のように物事を見て、感じられる、楽しめる人は、逆説的にとても理性的です。
文系の学問の権威主義性というのはほぼ間違いなくあって、ニーチェの論文も現代の論文基準からしたらエッセイでしかない。でもありがたがってみんな読む。ニーチェはすごいと言う。僕もその1人。でもそこで終わらせたらダメで、「ニーチェはこう考えた。じゃあ自分は?」というところに立つべき。
だから僕は博士課程まで進学するつもりでいますが、今の哲学研究の態度に懐疑的なので、大学での研究者になる気はありません。結局生存者バイアスじゃないか。金持ちのエリート日本人しか生き残れない構造自体に疑問を持たない哲学研究などはっきり言って本当にくだらない。
ちなみに無神学大全第二巻『有罪者』も河出書房様から新訳で文庫化されていますので、そちらも非常におすすめです。 「生きることは、狂ったように、だが永遠に、サイコロを投げることだ。それは恩寵を肯定することであり、起こりうる結果を気遣うことではない。」(『有罪者』p150「好運」)
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河出書房新社
@Kawade_shobo
嬉しい悲鳴ですが、ご紹介のおかげで、バタイユ『内的体験』、一部完売しているネット書店があるようです。 ただ河出にはたくさん在庫がございますし、当分切らすつもりもございませんので、どうぞ気になった方は注文、チャレンジしてみてください。 バタイユはいいぞ。 kawade.co.jp/np/isbn/978430
生活保護を受けるような家庭に生まれ、父親はギャンブル中毒で莫大な借金を作って1人夜逃げし、母親は鬱になり、祖母に育てられた。いじめ、不登校、精神疾患、フリーター、ホストと経由して、今はなぜか寺に住みながら大学で宗教哲学をしているし、博士まで進むつもりでいる。人生は不思議で面白い。
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そう、一方で大学内での知の循環は先人の努力の結晶であり、それを蔑ろにするという発言ではなくて、それを「自明視」して他者に押し付ける、揶揄する、という態度こそ懐疑しており、というか全く倫理的ではない。社会的属性、経歴に関わらず、相手を尊重して理解し合う姿勢をこそ大切にしています。
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これは自己を他者に明け渡すという贈与であり、贈与は精神的な繋がりを生み出す契機になる。純粋贈与は死であり、贈与という行為は性質として反自然的であるが、これこそが反自然的なもの=「理性」が生み出せる真価のひとつであると思う。
この元ツイートすごくわかるんだよな。それこそバタイユの『内的体験』は、当時まだ前提知識何にもないのに読んでて涙が出てきたし、それは僕の1型双極性障害という僕の中のタブーを彼が真剣に引き受けてるように見えたから。後に酒井健、木村敏の文献を読んで、自分の直観が当たっていたのを知った。
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いりや/古怒田望人@単著『クィア・レヴィナス』発売中(they/them/いりや)
@ilya_une_trace
本を読むのに大事なのは、学歴とか知識とかじゃなくて実存だと思いますよ。自分の実存に関係あるものは一般的に難しいとされているものであっても頭に入ってくるし、実存と関わりがないものはどんなに平明な文章でも読み込めない。自分が触発されるか、されないのか、それが本との出会いの試金石。
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x.com/reincarnationu このポストはそういう意味であって、バタイユは僕の感じた途方もない叫びや苦しみや「死に至るまでの恍惚」を引き受けて思考しているように見えた。だから初めて読んだ時に何もわからないのに涙が出た。彼に人生を変えられたというのは、彼に救われたということも意味している
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@reincarnationus
僕は今もバタイユに恋をしていて、彼の見ている世界を見てみたいという憧れが、哲学科ですらなく、元々はホストやフリーターだった僕を哲学へと突き動かしてきた。結果として今は博士まで行く計画で動いてるし、寺に住み込んで哲学を学ぶようになった。一冊の本との出会いに人生を変えられてしまった。
大学で学べるって本当に幸せだなぁ。最初は入れただけで嬉しかったのに、いつの間にか生活全体が大学院で研究する方針になってるし、岩波文庫も知らなかったのに今は本棚に収まりきらない山に囲まれて生活してるし、なんか気付いたら寺に住んで哲学してるし、本当に毎日楽しい。
「哲学研究」を志すなら、緻密な読解、書き方の作法、哲学史上の影響関係、語学etcを理解しなければならないと思う。けれど「哲学を通して生きること」を志すなら、心からときめく一冊を、擦り切れるまで読んで血肉にするような哲学との向き合い方だってある。そんな人が増えたらいい。それって素敵。