グッド・ウィル・ハンティング / Good Will Hunting | 屋根裏のコンセント

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 こうしてアンチエは、
  昼はロードバイクで和歌山県の観光地やグルメスポットを訪れ、
   夜は酒を片手に映画を鑑賞して、
    夜中にひっそりとブログを更新する生活を送ることにした。

テーマ:
映画『グッド・ウィル・ハンティング』を観た。

昔観たときは、こう思ったものです。
 「良い映画だなァ」

ところが今観るとコウと感じました。
 「映画だな」

初めて観たときは、年齢や境遇がウィル(マット・デイモン)と似ていた(知能は除く)ためか、けっこう感動したものです。
ところが今ではもうオッサンになって、一歩引いたというか、客観的にしか観られなくなったのです。“実際はそう単純じゃないよね”と感じたという事です。

特にそう感じたのは、公園でショーン(ロビン・ウィリアムズ)がウィルを説き伏せるシーン。
それまでのウィルは生意気で手がつけられませんでしたが、このシーンではうって変って、大人しい猫のようにだんまりで聞き入っています。
彼のように心に大きな傷を負った人間は、自分を分かって欲しいと叫んでいる一方で、同時にそれを全力で阻止します。
心のひずみが余りにも大きくて深いために、見られたり触れられたりする恐怖が大きいから。ウィルのように知的な人間は、なおさらでしょう。
だから、あんなに単純ではないと思います。

恋人役のスカイラー(ミニー・ドライヴァー)がカリフォルニア行きの話を始めたとき、彼は顔をこわばらせて同行を拒否します。ボストンから出る事が、今の退屈だけど安心できる閉じた生活から抜け出す事が怖いから。そして最後は「愛していない」と言い放って部屋を出ます。
おそらく、これこそがリアルな成り行きでしょう。

一方では、そんな細かな事を言っていても、彼が心を開く過程を2時間で描けるはずもなく、もっと言うと、おそらく映画では無理でしょう。
だからそこは、むしろ割り切ってストンと心を開かせた方が都合がいいのです。

これが「映画だな」と感じた所以でした。

ちなみにこの脚本を書いたのは、他ならぬ作中のマット・デイモンとベン・アフレックです。
ハーバード大学在学中のマット・デイモンが親友のベン・アフレックと書き上げ、自分たちで売り込んで映画出演を果たしたそうです。
スゴイ才能ですよね。

登場人物の演技も良かったです。

知識をひけらかすハーバード大学生を
「あんたの知識は本のコピーだ」
と手酷くやっつけたウィルは、心理学者ショーン(ロビン・ウィリアムズ)によって自分こそもっと巧妙でひどいコピー人間だと思い知らされます。
初対面では丁々発止の言葉のつばぜり合いをして終わった二人ですが、3回目のカウンセリングでは、ウィルはショーンに完全に心を開いています。それは彼の態度、特に目つきでそれと分かります。細かい演技をしているなぁ、と感じました。

恋人役のスカイラーの演技も良かったです。
照れ笑いしながらのキス。カリフォルニア行きの話で相手を怒らせた時の泣き顔。
発つ直前、電話口での「愛してる」の間と表情。
“演技している演技”ではなくて、本当に素のままの、リアルな演技に思えました。グッときました。

それと4回目のカウンセリングで、ウィルに関する薄っぺらいレポートを持ったショーンが
「ここにある過去の全て、こんなもの気にするな」
というシーンがあるのですが、どこかで見たことがあるなと思ったら『バナナ・フィッシュ』でした。
あのマンガと設定がけっこう似ているのです。
天才であり、幼少期に虐待を受けており、人に心を開けない少年が、自分をすべて受け入れてくれる人間の登場によって心の目を開いていく…。
たしか『バナナ・フィッシュ』では、
「こんなもの気にするな。いや、気にするなという方が無理だよな…、あんな過去を」
みたいなセリフだったと思います。
懐かしいなー!

そして最後、アッシュが英二に心を開いたように、「君は悪くない」というショーンの一言でウィルは完全に心を開きます。
心に傷を負った人間は、それを分かってほしいというよりは、ただ認めてもらえればいいのです。分かるはずがないのだから。

彼らは互いに触発し合い、ウィルはスカイラーを求め、ショーンは妻を失った悲しみから立ち直るために旅に出ます。

冒頭、「映画だな」と書きましたが、付け加えると、

“良い”「映画だな」

と思いました。



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