著作権で保護されるために"独創性"までは必要ない
著作権で保護される著作物には"独創性"が必要という言説にときどき遭うが、そうだろうか? という話。
"創作性"は必要だが"独創性"までは求められない
知財職のスタンダードな理解はこれだろう。冒頭の言説は、専門家どうしのやり取りではまず出てこない。
「高度な芸術性や独創性まで要するものではない」は「作者の何らかの個性が発揮されていれば足りる」とセットでお決まりのフレーズだ。
判決文の言い回しを見てみると。
"高度な芸術性や独創性" の "高度な" は独創性にも係るだろうか? また "厳密な意味で独創性を有することまでは要しない" など "厳密な意味で" の限定をつけたものも多い。ここから何でも「独創性は不要」と言うのが厳密な意味で正しいかは微妙かもしれないが、「独創性が必要」は明らかに誤りだろう。
いくつかの判決文を末尾リンク先に紹介する。
創作性とは、個性とは
裁判では創作性を否定するときに「ありふれた表現」という表現が用いられることがありふれている(ジョークです)。
独自性の指標で並べると【独創性 > 創作性】の関係にあり、表現は独自性の観点で以下に分類できる。
①独創性がある表現、②創作性がある(が独創性まではない)表現、③ありふれた表現(=創作性がない表現)
ここで、著作権で保護されるのは①と②ということだ。結局はそれくらいの違いしかない。
法務の便宜のために言葉をそう分けて使っているだけとも言えるかもしれない。専門外の一般の人は独創性と創作性を意識的に使い分ける習慣がないだろうし、「すごく斬新でなくてもいいけどほんの少しでも独創性が必要」という感じの脳内ワーディングをしてしまいうるのも理解できる。
用語を正しく使うメリット
知財法の世界では独創性とは上記のような位置づけのものであり、著作物に独創性までは不要である。
普段の生活で創作性と独創性とを区別せずともまったく支障はなかろうが、しかし著作権に関するまじめな場面でこれを混同すると話がかみ合わない。
せっかく芯はよいことを言っていても、こういうところで胡散臭さが出る。よいことを言っていても他に紹介展開しづらい。まじめな場面でまともな発言・会話がしたい人は気をつけてほしい。
この記事のきっかけ
著作物には"独創性"が必要という人がいて、その人は窓の杜のページを見て勉強したという。当該ページを見てみるとたしかに、著作物の定義の法文(著作権法2条1項1号)中の"創作的に表現"を取り上げ「独創性が求められる」旨が書いてあった。
上に書いたとおり、一般的な言葉づかいとしてはそれで困ることもないだろうが、せっかく勉強しにページに来た人には「創作性」で覚えてもらうのがよいのではなかろうか。著作物一般についての話でこの内容は少し不誠実に感じた。
(2条1項1号)
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
おしまい
以下リンク先に判決文と出典。あと例外として書体の著作権の話をほんの少し。
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