公式が訴訟すれば勝てるのに訴訟しないから公式が許容してる・歓迎してるは勘違い野郎だぞ
二次創作の話題で次の(1)~(3)のような曲解が意外と通ってしまっているところを見掛ける。
(1)裁判すれば公式が勝訴して二次創作をやめさせることができる
(2)公式は裁判を起こしていない
(3)公式は二次創作を許容や歓迎している
「お目こぼし」という表現にもよく出くわす。
目零し とがめないで、知らぬふりして過ごすこと。
裁判を起こさないのは暗黙の許容だ、という理解のようだ。
ハイパー勘違いである
裁判すれば公式が勝訴…するとは限らない
二次創作のすべてが著作権侵害に当たるわけではない。著作権の保護の対象は表現の本質的特徴であり、アイデア(表現ではない)やありふれた表現(本質的特徴ではない)は対象外だ。
線引きは難しい。二次創作として実際に見掛ける作品で著作権の問題がありそうなものは多い。しかし似ているのは髪型だけでその描き方も違うようなイラストなどもありそれが著作権侵害かというと厳しかろう。
ときどき二次創作と二次的著作物とを混同している場面を見るが、重なるところが多いものの別のものである。
著作権で保護される部分≠作者の守りたい部分
著作権で保護される特徴的な表現が、作者の守りたい部分と一致しないことも多い。作者からすると嫌な利用のされ方でも著作権で禁止できないケースは少なくない。
裁判には金銭・時間・労力のコストがかかる。リスクもある
たとえ裁判を起こして勝てそうでも、裁判するかは経済的・精神的なペインとコストを天秤にかけて判断することになるだろう。裁判は1年2年かかることはざらであり、費用も高額だ。一方、相手方が二次創作でよくある程度の規模であれば、著作権侵害が認められたとして入ってくる金額はそう大きくない。裁判を起こすこと自体が総合的に見てマイナスのことも多い。
(さらには、著作権の裁判は見通しがききにくく、勝てそうかどうかを具体的に検討するのもコスト高だったりする。)
また、イメージダウンのリスクもある。「二次創作の盛り上がりが原作の知名度アップ、売上・利益につながる」というのは一つの事実でもあり、勝訴しても「二次創作のおかげで売れたのに」「**(他の作品の作者等)は大目に見てるのに」などと見られるおそれもある。もし非侵害で敗訴すればなおさらである。訴訟が盛んな米国であればいざ知らず、こと日本においてはそう気軽に訴訟は起こせないのが実態だろう。
嫌でも嫌と言えない状況
上記の通り、二次創作が気に入らないなら禁止すればいいという状況ではない。嫌な気持ちがあっても敢えて表明しないこともある。めちゃくちゃむかついていても法的に手も足も出ないこともあるのだ。
これにつき「嫌かもしれないから遠慮しろ」などというつもりは毛頭ない。過剰に委縮する必要はない。各自の案件における具体的なリスクを踏まえて行動を選択するのがよろしかろう。
ただ「嫌がるそぶりを見せない」ことをもって許容や歓迎と都合よく解釈するのは浅はかだ。誤解であれば、気持ちを単に無視する以上に残酷なことだろう。
禁止権もなければ許可権もない
上記のように、公式・作者が嫌な行為でも著作権侵害にならないものがある。そのようなところは当然に公式・作者が禁止する権利も許可する権利もないのである。
著作権で保護される部分と作者の守りたい部分がずれている可能性を念頭に、権利の問題(リスク管理)と公式・作者の心情(それに配慮したい自身の心情)とは区別して考えることをお勧めする。
おしまい
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