理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。/宮崎駿
『理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。』
この言葉は宮崎駿の言葉である。
ハッとさせられる
何もうまくいかなくて落ち込んでいるとき
理想の天井に気づいて、上を見なくなったとき
苦悩している人、もしくは苦悩した挙句楽な道に気づき方向を変えた人
そんな人達全てに響く言葉だと思う。
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宮崎駿は常に映画を通して
「混沌とした時代に疲弊してしまった人への助言」
「夢を捨ててしまった大人たちへの挑発」
この二つを様々な時代、登場人物、思想、環境を通じて巧みに表現してくれる。
あのラブストーリーの王道である「耳をすませば」もそうだ。
ここではその企画書の冒頭を引用させていただきます。
混沌の21世紀の姿が、次第にはっきりしてきた今、日本の社会構造も大きくきしみ、ゆらぎ始めている。
時代は確実に変革期に入り、昨日の常識や定説が急速に力を失いつつある。
これまでの物的蓄積によって、若い人々がその波に直接さらされることは、まだ始まっていないとしても、その予兆だけは確実に届いている。
こんな時代に我々はどんな映画を作ろうとするのだろう。
生きるという本質に立ち帰ること。自分の出発点を確認すること。
変転する流行は一段と加速するが、それに背をむけること。
もっと、遠くを見つめるまなざしこそがいまいるのだと、高らかに大胆に唱いあげる映画を、あえて作ろうというのである。
(↑引用限サイト)
宮崎駿の手にかかれば少年少女のラブストーリーも悩む人たちに向けた処方箋になるのだ。
確かに「耳をすませば」を観た後、「こんな恋愛自分には起こりえなかったな笑」という感想が思い浮かぶ。
しかし心のどこかで、あの頃は起きるかもしれない、決して否定できない奇跡的な恋愛というものに夢を馳せたものだった。
あの頃はなにも知らなかったのだ、だからこそ理想を追い求めることができたのだ。
理想諦めてしまった現実主義者になる前に、もう一度あの頃の夢を見続ける気持ちを思い出そう


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