思考を変えるだけで、多分毎日を過ごす気持ちが変わるのに、何で?と思うブログを目にすることがあります。
その一つが、「〇〇のせいで不幸にされた」という人のブログ。
不思議だなぁと私は思うのよ。
多分私は誰かに不幸にされっぱなしではないからだと思うんだけど、今この時だけならいいんだけど、ずっと不幸の中にどっぷり浸かっているつもりなのか、何で自分のみならず子どもまで不幸にされっぱなしに大人しくいなきゃなりませんか?
自分は、例えば夫や女のせいで不幸になる時期はあるかもしれませんけど、子どもの親って母親である自分も関係していますよね。
子どもが不幸って、母親である自分は守らないの?
ちょっと私には無い、か弱さというか甘さというか、私はあんな気狂いじみた義父に苦しんで幸せな結婚生活ではなかったけど、子どもたちは不幸にはしていないと思いますよ。
私なりの子どもたちへのできるだけの努力で、幸せを与えてやれたかはわからないけど不幸にはしていません。
好きな物は買ってやれなかったし、旅行も遠くにも行けなかったし、外食に連れて行ってやることさえそうそうできませんでした。
でも、一人づつなら行かせてやれるから、様々なことを調べて応募してそれぞれの子どもに「行っておいで」と、東京や北海道やグアムに見送りました。
心細かったかもしれませんが、集団の中のひとりを意識した修行だったんじゃないでしょうか。
不幸にされたと誰かのせいにして嘆くのもしばらくはいいかもしれないけど、そのままじゃ確かに子どもたちまで不幸が移っちゃうよね。
子どもって案外不幸って思ってないよ
「不幸にされた」「夫のせいで不幸になった子」なんて、母親が思い込ませた瞬間から、その子は不幸な子供になるんだと思います
嘆いてないで、子どもたちにこう言えばいいよ。
「私たちは幸せだし、私が守るから不幸にならない」
それを言えない自分の弱さ甲斐性の無さを他人のせいにしても何か変わるんならずっと他人のせいにしていればいい。
誰かのせいにして動かないのは楽だもの