少年と夕陽~上條恒彦
映画「どぶ川学級」主題歌
1972年の公開時に映画館で観
た。沖縄返還の年、小学校6
年の時にクラスの友人たちと
一緒に。私が誘って5人で観
に行った。他にも別組で何人
もがこの作品を観に行ってい
たようだった。
仏教系新興宗教政党支持の子
は「とても良くない映画」と
鑑賞後に評していたが、たし
かに極めて代々木臭の強い作
品ではあった。これはパンフ
レットにも当時書かれていた
ように『山びこ学校』『ドレ
イ工場』から続く流れの作風
だろう。
私は小学生の頃から反代々木
だった(反代々木系全学連や
全共闘のほうが日共よりも正
しいと思っていた)が、正直な
ところかなり感動した映画作
品だった。物語が衝撃的であ
ったし、日本人の真心とそれ
を踏みにじる勢力を描き扱っ
た作品だった。
私よりも2~3才年上の中学生
たちが登場人物の学校問題の
映画作品だが、私の周囲の環
境ではそうした社会情勢を反
映させた軋轢は見られなかっ
たので、自分が如何に環境が
「良すぎる」温室育ちである
のか、『どぶ川学級』の作品
を観て小6の私は自分を恥じ
た。
(その頃。左胸に学級委員章
を着けている)
(陸上の代表選手でもあった。
オートバイの運転を覚え始め
たのもこの頃だ)
小3から小6まで3つの小学校
で毎年学級委員に投票選出
されていた。立候補ではなく
推薦で。
私は学校側や教師の言いなり
になる御用生徒会などは粉砕
路線で、徹底的に生徒の側に
立って、時に学校側や戦前体
質の強要を行おうとする体制
側教師たちとの対決をも辞さ
ない事を主張、実行していた
ので、それが当時の時代背景
としての世相と合致して、生
徒たちにウケていたのだろう。
今の時代は、人が人をふみし
だいて一部の者たちが利を得
る事が美しいとする、あるい
は人として汚い事をして逃げ
隠れして自分の利己的利益だ
け守ろうとするような連中だ
らけの世の中になった。
思い返すと、この映画の公開
以前の横浜の小学校時代には、
私の反戦行動を巡って、映画
『どぶ川学級』の中で描かれ
たような事はやや似たものも
多少はあったが、映画の中で
描写されたように熾烈ではな
かった。言論により主張が広
く認知認容共鳴を呼ぶのが横
浜の土地柄だった。無論、そ
れを抑圧しようとする反対勢
力もいたが、その攻防は言論
を軸に回っていた。小学校で
あろうとも。
1970年小4の横浜の小学校時
代に執筆した私の反戦劇の脚
本は、翌年1971年の全校舞台
演劇の台本に採用され、全校
学芸会で上演された。結構本
格的な演劇。
私のシナリオは最後に大国同
士が核兵器を発射して、世界
が真っ白になって終わる。
タイムスリップ物であり、後
年の1988作の今井雅之さんの
戯曲『ザ・ウインズ・オブ・
ゴッド』がテーマがとてもよ
く似ていた。
私の作は太平洋戦争中にのみ
タイムスリップするのではな
く(大戦中とベトナム戦争現
場に飛ばされるシーンはあり)、
江戸期まで含めた過去の各
時代に何度も飛ばされてし
まう、という設定だった。
そして、各時代で人民を苦
しめる者たち=支配する側
とそれにあえぐ者たち=被
支配者たちという人間世界
を描いた。
最期は現代に戻って来てや
れやれと胸をなでおろした
ら、核戦争によって全世界
そのものが消滅する。
今考えてみたら、この1972年
の映画作品『どぶ川学級』が
製作上映された今から50年以
上前から、日本国内にはニセ
正義マンは横行していた。
そして、それらは公序良俗を
装いながら人民をいためつけ
る体勢に迎合して尻尾を振り、
自分らだけ命乞いをして助か
ろうとする連中だった。
それは昔も今も変わらない。
現実社会も私が1970年の10才
の時に書いた脚本の通りだ。
本作『どぶ川学級』は、後年
に何度も観入った『キューポ
ラのある街』(1962)、『泥の河』
(1981)に並んで、私にとって
は衝撃的かつ心底感動した映
画作品だ。