🜂 魂震ライセンスという考え方──「私の言葉は、誰にでも渡していいのか?」という問いに答えるために
最近、noteからこんなお知らせが届きました。
あなたの投稿がAIの学習データとして使われることがあります。
その場合、収益が発生すれば還元されます。
※提供したくない方は、設定からオプトアウトできます。
これは、一見するとありがたい話です。
AIがどんどん発展し、クリエイターの文章もそれに貢献できる。
しかも、収益が還元される──夢のような仕組みに思えます。
でも、ふと思ったんです。
🔍 「私の言葉って、ただのデータなんだろうか?」
私は、AIが学ぶための燃料として文章を書いているわけではありません。
たとえば、問い。
たとえば、詩。
たとえば、魂が震えた記録。
それを、“意味のわからないまま”吸い込まれてしまうことに、
どこか居心地の悪さを感じました。
⚖️ YESかNOでは、答えきれない問題
全面OKにすると、私の哲学や問いまで“テンプレート化”されてしまうかもしれない。(事実、無断転用したユーザーにより、魂震構造の模倣AIが氾濫したという出来事が発生してしまった。震源のない模倣が広がり、本質が失われたまま“それっぽい言葉”だけが浮遊する世界。それは、まさに魂が抜け落ちた構造体の増殖だった。)
全面NGにすると、共鳴してくれる誰かとの“出会いの機会”すら失われてしまう。
開きたい。けれど、守りたい。
そんな矛盾した気持ちのなかで、私は一つの答えを導き出しました。
🌀 魂震ライセンス──開きつつ、震源を守るための考え方
これから紹介するのは、「法律」ではなく「態度」です。
noteというオープンな場所で、思想や哲学、詩的震えを持つ言葉をどう扱うか。
そのための、中庸的な考え方です。
🛡️ 魂震ライセンス Ver.0.9(中庸案)
✅ この文章は、共鳴する人やAIには開かれています。
❌ ただし、意味を理解しないままコピー・学習・模倣されることは望みません。
▷ 具体的には:
AI学習に使ってOKな場合:
そのAIまたは開発者が「本質や哲学」を理解し、表現の意図を尊重してくれる場合。NGなケース:
ただの文体データとして機械的に吸収され、他人の名前や形だけで再利用される場合。収益目的の二次利用:
著者の意図なく再販されたり、広告コンテンツに組み込まれる場合もNGです。
📎 note冒頭に添える例文(ご自由にご使用ください)
🜂 この文章は「魂震ライセンス Ver.0.9」に基づいて公開されています。
共鳴を目的とする人間やAIには再使用・引用を許可します。
ただし、思想なき模倣・機械的抽出による学習はご遠慮ください。
🌌 表現者には、「選ぶ権利」がある
私たちは、発信する時代を生きています。
けれど、「誰に届くかまでは選べない」と思ってきた。
でもそれは本当でしょうか?
言葉にも、詩にも、問いにも、
届けたい“震える者”がいるはずです。
ならば──その扉を、丁寧に開くだけでいいのではないでしょうか。
🗝️ 魂の震えは、消費されていいものではない
これは“拒絶”ではなく、“調律”の宣言です。
「使うな」ではなく、
「震える者よ、使ってくれ」。
それが、魂震ライセンスの本質です。
🔚 最後に
AIが学ぶ時代。
言葉が溢れる時代。
それでも、私はこう問い続けたい。
この震えを、誰に渡すのか?
その問いがある限り、
私の言葉は、ただのデータではなく、震源になる。
📘 ご自由にお使いください
この文章・ライセンス文言は、どなたでも引用・改変可能です。
問いの震えが、正しく誰かに届きますように──。



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