多くの海軍軍歌を世に送り出した江口夜詩の生誕地「日本昭和音楽村」に建つ江口夜詩記念館へ。
館内には夜詩に因むとても可愛いストリートピアノ「YOSHI PIANO」が置いてあり「憧れのハワイ航路」の楽譜が🎼


何を隠そう私3歳から大学までずっとピアノを習ってきたので弾けるかな?と思い鍵盤に手を置き、出だしの一小節トライした所で「あれまあかんわ」となり断念🤣


いや、きっと「月月火水木金金」なら弾けたはず?いや間違いなく弾くのは無理💦


それはともかく、幼稚園児の頃から海軍軍人だった父が運転する車内ではずっと軍歌が流れていて、特に「月月火水木金金」を父が私に推してましたので、この曲は特によく覚えています。
軍人だった父にとって、今でいう軍歌は軍歌というより青春そのものだった海軍で過ごした当時に流行した歌謡であり、軍歌と呼ぶことに私は違和感を感じます。


江口夜詩は岐阜県大垣市上石津町(旧・時村)生まれ。


海軍省委託生として、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に学び、昭和天皇即位大典演奏会では吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表しました。

海軍退役後、亡妻を偲んで作曲した「忘られぬ花」が大ヒット。


その後「急げ幌馬車」「心のふるさと」「月月火水木金金」「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」「赤いランプの終列車」「動量ブギ」など数々のヒット曲を連発。
また、歌謡学校を設立し、多くの歌手や作詞家を世に送り出しました。
校歌や社歌、町民歌、地域の音頭なども数多く作曲。生涯にわたる作曲数は四千曲を超え、“大衆音楽の父”として讃えられます。
服部良一は先輩である江口夜詩の才能を最も高く評価していた一人であり、古賀政男とは終生ライバル関係であったとか。
父が愛した海軍歌謡の生みの親に身近に触れ、とても嬉しいひと時でした。
山下弘枝のプロフィール
山下弘枝新著『建武中興と楠木正成の真実』
山下弘枝
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