芸能生活45周年を迎えた山田邦子さん。芸能界の酸いも甘いもかみわけて、今最も充実した日々を過ごしているという自負がある山田さんが、8月20日から銀座博品館で主演する舞台『ジャニス』を前に、これまでの波乱に満ちた時の話をいろいろ聞いてきたインタビュー最終回の4回目は、思い出の方のエピソードを披露してくれ、今だからこそ思う境地も話してくれた。
インタビュー
第1回 「天下をとった唯一の女性芸人・山田邦子が語る芸能界での45年」
第2回 山田邦子、レギュラー17本からバッシングの時期へ…「女性の先輩芸能人に”死ね”と言われました」
第3回 山田邦子が親友と決別した時。「同じ夢を追っていたんです」
山田邦子(やまだくにこ)
1960年東京生まれ。1979年から芸能活動をはじめ、1980年デビュー曲「邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド編」で有線大賞新人賞受賞。「オレたちひょうきん族」で人気が出て、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「邦子にタッチ」など多くの冠番組を持ち、1988~1995年NHK好きなタレント調査で8年連続1位という男女合わせても記録保持者である。乳がんになった経験から、その啓蒙のためのチャリティー活動を行う「スター混声合唱団」を設立。2020年YouTube「山田邦子 クニチャンネル」を開設。2025年「日本喜劇人協会」会長に就任。
今でもとても悲しい西城秀樹さんの旅立ち
年齢を重ねると残念ながら、天国に旅立つ人が増えてくる。現在65歳になった山田邦子さんも、親や親戚、友人知人、仕事の関係者や恩人、多くの「死」を見つめてきた。
「やっぱり、この年齢になると、本当に増えてくるんです。いろいろな方との多くの想い出がありますが、ずっとファンで、お別れが今でもとても悲しいのが、西城秀樹さん。子供のころからも、芸能界に入ってからもずっと大好きだったし、お仕事でも本当お世話になりました。あの青山墓地での葬儀の様子は、今も忘れられません。新御三家と言われた郷ひろみさんと野口五郎さんも揃って、ファンの方たちのどこまで続くんだというほどの長蛇の列は、青山墓地から出て、246の通りの方まで行くんじゃないかというぐらい、見たこともないような人数でした。
今でも西城さんが旅立ってしまったことは、本当に悲しいです。明るくて、『任しとけ!』って感じの兄貴分みたいなところがおありの方でね。幾度も私の担当していた番組に出てくださったんです」
山田さんの冠番組として89年からゴールデンタイムに放送していたバラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(以下、やまかつ)でも、西城さんの思い出があるという。
「秀樹がちびまる子ちゃんのエンディングの『走れ!正直者』を歌って、大ヒットしていた時に、『やまかつ』で歌ってくれたんです。ギラギラの衣装じゃなくて、普段の感じのセーターとジーンズで。私はまる子ちゃんの格好をしたんですけど、関根勤くんが,学級委員長の丸尾くんの格好をしたりして出演者全員で一緒にフルで歌ったんですよ。今も、ところどころネットなどで見ることができますけど、ファンの方に聞いたたんだけど、あの歌をライブで歌ったのはその時1回だけで、すごくレアなことなんだそうです。ものすごいプレゼントですよね。
ほかにも私にプレゼントしてくださったと感じたことがいっぱいあるんです。生放送のワイドショーのような番組にも何回も来てくださってね。ある日大雪が降って、道路が大渋滞になっちゃった時には、車をやめてマネージャーと、電車に乗り継いで、急いで来てくださったんです。そんな思い出がたくさんあって、本当にお世話になったと思いますね。自分の番組に出てくれた方のことは、ふと思い出すたび、ありがたい気持ちでいっぱいになります」
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