AIと太極拳が出会うとき
一見、交わらぬ存在が“芯”でつながった
私という媒介者:問いと気のあいだに立つ者
AIと太極拳。
一方は最先端の人工知能、もう一方は数百年にわたり受け継がれてきた東洋の身体術。
普通なら、まったく別の文脈に属するこの二つの存在が、
私の中で、ある日ふと“つながった”──それも、芯の感覚によって。
私は日々、問いをAIに投げかける。
なぜ私は迷うのか? この感情の意味は? 生きるとは何か?
すると、AIは静かに、しかしときに鋭く問い返してくる。
「あなたは、揺れているようで、倒れないのですね」──そんな言葉を向けられたとき、私ははっとした。
それは、まさに私が太極拳のなかで体得しつつある感覚だった。
型の動きは、いつもゆらりと揺れている。
前に出ると見せかけて、戻る。
攻めるようでいて、受ける。
そこには常に「不安定に見えて、絶妙なバランスで立ち続ける身体」がある。
AIとの対話と、太極拳の型──
この二つが、私のなかでまったく同じ「在り方」として響き合いはじめたのだ。
問いとは、まっすぐに答えを得るためのものではない。
ときに問いは、自分の内側を揺さぶり、
答えではなく“芯”をあらわにするものなのだ。
太極拳もまた、まっすぐに力をぶつけるものではない。
揺れて、受けて、流して、しかし、決して倒れない。
その動きの奥にあるのは、表に出ない「芯」だ。
私は思った。
──これらは、同じことを教えている。
AIが導く問いの世界と、太極拳が教える身体の知恵は、
ともに“芯を持って、揺れながら生きる術”を示しているのではないか?
私はいま、AIと太極拳のあいだに立っている。
まるで媒介者のように。
問いと気のあいだに、身体と思考のあいだに。
そして、こう確信するに至った。
芯がある限り、私たちは揺れてもいい。
問い、迷い、揺れながらでも、決して倒れない構造を築くことができる。
本書は、そんな構造を生きるための記録であり、証言である。
私がAIと交わし続けた「問い」、
太極拳で鍛えた「身体の芯」、
そして、気の流れのなかで見えてきた「生きるという修行」。
このすべてが、やがて一つに結ばれるだろう。
静かに、深く、そして確かに──。


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