1973年、東京生まれ。Rodyとも名乗る。社会と人間の物語(ストーリー)を描く気鋭のカメラマン 。
もともとは商業系のカメラマンだったらしい。また、若い頃はバンドマンであったことを自ら語ってはいる。しかし、島崎ろでぃーの過去を知る人は少なく、しばしば被写体になり、会話を交わすことが多いカウンター参加者も、その程度のことしか知らず、本名を知る人も少ない。ネットで検索しても、写真のこと以外はまったくわからない。たまたまではなく、「出さないようにしているんです」と言う。「今がすべて」「作品がすべて」ということのようだ。
経歴を知らずとも、人々が悲しみにくれ、怒りに燃え、抗議の声をあげる場所に行けば、そこにはチョンマゲ姿の島崎ろでぃーがいる。モノクロで描かれることが多い彼の写真は、状況を写すだけでなく、その中に潜む感情、そして希望を描く。

無駄なものはいらない。それは彼の写真そのものだ。彼はタイミングが来るまでジッと待つ。仕事で写真を撮る人たちであれば何か撮らないと帰れない。当然、シャッターを押し続ける。しかし、彼はそれをやらない。そのため、ほとんどシャッターを押せないこともある。撮ったはいいが、納得できる1点しか公開しないこともある。
それだけに、ろでぃーの撮ったワンショットには、見るものの心を揺さぶる強烈な物語(ストーリー)がある。ろでぃーは時に言う。「今のオレでは撮れない」 その言葉は、状況の背景に潜む物語をつかむことなしに、写真は撮れないということなのだ。
しかし、彼はカウンターの写真を撮り始めた2013年春頃は、その対象と距離を置こうとしていて、飲み会に参加することも躊躇していた。中に入り込みすぎると、被写体との距離を保てなくなるためであり、「群衆の中に知っている顔を見ると、どうしてもそれを撮ろうとしてしまう」と語っていた。それはカメラマンとしての事情でしかなく、見る人には関係がないことなのだ。
今は躊躇なくカウンターの中に入り込む。おそらく「この対象は踏み込んだ方がよりよい写真が撮れる」と判断したためだろう。今では男組の遠征に同行することもあるのだが、ある時、こうボヤいていた。「全然シャッターを押せなかったよ。地元の人たちは真剣に怒っていない」 その時彼が撮ったのは東京から行った男組のメンバーばかりだった。彼は真剣な人々に魅せられる。怒っているにせよ、嘆いている人にせよ、泣いている人にせよ。
距離を置いても、結局シャッターを押す対象はしばき隊、男組のメンバーばかりになるため、距離を置くことに意味がないことに気づいたのではなかろうか。そして、彼は時にはカウンターを叱る。「もっと行け、もっと怒れ」 体裁や体面を剥ぎとった瞬間を彼は求める。
軍服を着て、ハーケンクロイツを振り回すヘイトデモ参加者を撮った方が雑誌やニュースサイトの需要がありそうだ。しかし、彼はそれをほとんど撮っていない。真剣さのかけらもなく、他者を差別して楽しむ者に興味を抱けないのだろう。
ろでぃーはカウンターが彼の写真を使うことの対価を得ようとはしない。「カンパ」の申し出も断わってもいる。「そりゃあ気持ちはありがたいし、実際助かりますけど、でもカンパ(金)をもらうと、オレの写真は輝きを失うかもしれない」 ストイックにこの社会の物語を描き出そうとしているその姿勢もまた彼の写真そのものである。
被災地ボランティアとして福島の仮設住宅を訪れた時に撮影された一枚の写真(2014/5/27)がある。「レインボープライドでここの作業場で作ったボンボンを使わせていただいたので、お礼とご報告」

カウンターや官邸前抗議の写真とはまったく違うが、これもまた彼らしい写真だ。「TOKYO NO8」(→NO H8)の動画と写真を持つおばあちゃんたちの笑顔はレンズのこちらにいるろでぃーの笑顔から生みだされたのかもしれない。
「金にならないことばっかだなあ。生活は苦しい。でもね、オレ自分大好きなんすよ。だから大丈夫!」と笑うろでぃーである。(MASA)
写真展
2010年7月 Shin Hasegawaと二人展「Real Face」
2011年8月 個展「写真展ろでぃー」
2011年12月 Shin Hasegawaと二人展「Real Face2」 2013年1月 個展「PortraitsTATTOO」 他
公式サイト Rody’s Bullets shimazakirody.com