正式名称は「レイシストをしばき隊」。野間易通(→野間易通)の呼びかけによって集まった反在特会、反レイシストのグループ。

2013年1月、Kぽペン(K-POPファン→Kぽペン)たちが在特会による新大久保デモに怒り、桜井誠に集中砲火を浴びせた。これに触発され、1月30日、野間易通により「レイシストをしばき隊 隊員募集」の呼びかけがなされた。この呼びかけに50人ほどの人々が呼応したとされるが、しばき隊のメンバーの名前や数は今に至るまで公開されていない。
当初は、デモの前後に近隣の店(特に外国人経営店舗)や通行人に暴言を吐き、いやがらせをする「お散歩」阻止するのがしばき隊の目的だった。そのために、トラブルの事前回避を職務とする警備警察を動かすことを野間易通は考えた。しばき隊が新大久保を警備すれば警察はデモ参加者を新大久保に近づけさせない。警察を動かすには、しばき隊の暴力的イメージが必要であった。このイメージは「しばき隊は暴力的」「暴力団が関わっている」「極左が関わっている」と妄想を根拠に批判する人たちによってこそ拡大、拡散されたと言えよう。
2月9日、新社会運動主催・在特会協賛のデモに対する第一回目の行動では、デモのあと新大久保エリアに侵入することを完全に阻止することに成功し、なおも侵入しようとした荒巻丈を居酒屋に「拉致」して説教。翌日の日侵会のデモではこれに恐れをなした主催からすみやかに帰るように呼びかけがなされ、以降続く「集団下校」が早くもスタートしている。
同月17日には、デモの前に神鷲皇國會のメンバーが新大久保で自転車を蹴り倒すなどしていたため、しばき隊が完全粉砕。以降、神鷲皇國會は崩壊へと向かっていく。この日は木野トシキ(→木野トシキ)が呼びかけた通称「プラカ隊」(→プラカ隊)の活動もスタートしており、これ以降、「知らせ隊」「ダンマク隊」「署名隊」などが以降次々と登場していくこととなる。
同月23日、横浜でのデモが解散したあと、東神奈川駅前でしばき隊は、数名のデモ参加者といる桜井誠に近づき、話し合いを申し入れたところ、パニクった桜井誠が騒ぎ出して、警察が駆けつける騒ぎに。
3月31日は新大久保で「デモしばき」スタート。これまでの方針を転換して、デモ自体にカウンターをかけた。
凡が直接しばき隊に接したのはこの日が初。居ても立ってもいられずに新大久保に駆けつけ、しばき隊や他のカウンターメンバーの多くと初顔合わせを果たした。
これ以降、浅草、池袋、川崎などでもしばき隊が出動し、関東では、レイシストがいるところ、しばき隊が現れるという状況になっていく。
5月5日、新宿ネイキッドロフト(→ネイキッドロフト)で「言論しばき Vol.1」として「21世紀の都市伝説「在日特権」のウソをすべて暴く」が開催され、野間易通、木野トシキらにより、在日特権の虚妄を明らかにした。この時の内容が野間易通著『「在日特権」の虚構』(→「在日特権」の虚構)につながっていく。これ以降も、ネイキッドロフトでは、しばき隊により、また他の人たちによって、繰り返し反レイシズムのイベントが開かれた。ここで語られた内容は多岐に及び、カウンターと称される活動を担っている人がもっとも言論での批判を深化させていたことをよく物語っており、カウンターもまたその言論活動のひとつであることを明らかにしよう。
6月16日、デモ前のもみ合いで、桜井誠を含めたデモ参加者4名としばき隊のメンバーを含む4名が集合場所の大久保公園周辺で逮捕された。6月30日、他の団体とともに「大久保公園包囲」を呼びかける。この時は総勢3千名が包囲行動に参加し、以降、ヘイトデモは大久保通りを使えなくなっている。
しばしば批判する人たちは「逮捕者が出ると運動は収束する」と言いたがるが、怒りを重要な動機のひとつとする行動においては、むしろ逮捕は人々の行動を促す役割を果たしていることがわかる。この時集まったのはパンクス、ラッパー、国会議員、会社員、フリーアルバイター、自営業、主婦、学生など種々雑多な人々で、しばき隊は、あらゆる層の人々がレイシズムに反対すべきであり、行動すべきであることを示したと言える。
9月30日、しばき隊は解散し、カウンター活動はC.R.A.C.に引き継がれた。
ヘイトデモに対するカウンター活動が活発になり、注目されるようになったのは、しばき隊の行動がきっかけになっていることは疑いがなく、「しばき隊」という名称が寄与したところも大きい。現在も警察はデモ隊と区別するため、カウンター勢をしばき隊と呼称している例があり、いかにその存在が警察にとっても大きかったか、また、いかにしばき隊という名称がキャッチーだったかを物語ろう。このセンスが今までの運動にはなかったわけだ。しかし、その意義が理解できず、しばき隊という名称にインネンをつけた人たちがいたことを明記しておきたい。(松)