【ロキ・ファミリア】ホーム、黄昏の館の中庭。
日差しが爛々と差し込む昼間に、その場は風切り音で満ちていた。
鋼の調べを奏でるのは得物である大剣。閃く斬撃は空を裂き、身体駆動を以て重厚な刃は疾駆する。確かな練度と経験に鍛えられた剣術は一閃ごとに速度を跳ね上げていく。
その剣術に型はなく、実践と修練の果てに洗練された動きが一切の無駄もなく繋がれていく。『ステイタス』と精神をより深くまで同調させるように、身体各部の僅かな動作をも制御して振るわれる黒鉄は疾風と化していた。
その、ある種老成された剣を振るうのは、幼さは消えているも大人とは言い難い青年であった。闇を梳かしたような黒髪に黒曜石に似た色彩の黒眼。
軌跡を描いているのは【ロキ・ファミリア】所属Lv.6冒険者『
間違いなくこの時代でも指折りの『英雄候補』。
ギルドから通達された『強制任務』が迫る中、
より鋭く。より疾く。より正確に。
技術を積み重ね、大振りの得物を加速させていく。
まるで眼前に敵がいるかのように明確な剣気を発しながら放たれる斬撃は極小の嵐と形容されるほど、圧縮された暴虐だった。
回転を絡めた斬撃から回し蹴り、人間離れした身体操作で唐竹割りに移行した。いや、次瞬には斬閃の軌跡は新たに描かれている。
迸る斬撃は疾風怒濤を叫びながら遍く森羅を斬り刻まんと猛り狂う。
追憶から引き出した嘗ての強敵を浮かべ、脳を高速回転させながら『駆け引き』を思考し、『技』を繰り出す。
加速した思考は極限の集中を齎し、付随する形で体感時間を圧縮させ、加速世界にその身を置かせた。
その光景を、近くの木陰でじっと見つめる人影があった。明媚な金髪と金眼に人形のように整った美しさを持った少女、『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインである。
昼食時に見かけなかったグランの姿を探し、彼が普段から鍛錬に使用するこの中庭に訪れていた。
常日頃から食事も忘れて鍛錬に没頭することが多々あるグランに昼食を渡しに来たアイズだったが、眼前に広げられた剣舞に意識を奪われる。
文字通り血と汗の結晶、膨大な戦闘経験に培われた剣術は大剣特有の
そんな鍛錬を、時を忘れたようにアイズは眺めていた。
恰好も、雰囲気も、剣術も似ていないというのに、その姿に父の後ろ姿が重なって見える。
その姿に、よく分からない熱を帯びた感情が溢れてくる。
胸の奥で猛る黒い炎とは違うその温かさを感じた瞬間、斬り上げの体勢で静止したグランがアイズに目を向けた。
黒と金、少し見開かれた瞳と目が合う。
「……何か用か?」
「えっと、グランお昼食べてなかったから……これ」
大剣を背に納め流れる汗を拭いながら問いかけるグランにアイズは持っていたバスケットを見せた。厨房で作ってもらったかなりの数のサンドイッチ。
今までの経験上、時間を忘れて剣を振るった後のグランは大食漢と形容するのが正しい程によく食べる。それゆえ調理担当の団員も苦笑しながら大量のパンを調理してくれた。
「ん、ありがとな」
山盛りのサンドイッチとアイズを数度往復したグランは微笑を浮かべながら木陰に座り込んだ。アイズと比べると暗いその瞳は心なしか、キラキラと輝いている。
表情が人よりも薄いのがもったいないと思う笑みを見て、もっと笑えばいいのにと、自らを棚に上げながらアイズは考えた。
長い間一緒にいるが未だ彼が何を考えているのかは分からない時が殆どだ。だが、グランはみんなが思ってるよりも表情に出やすいことを知っている。
少しの遠慮や困惑と、頬張るサンドイッチに溢れる喜色。子供のようなその顔を見ることが出来るのは、普段からグランの隣に居るアイズの特権であり、ささやかな独占欲を満たしてくれる。
「冒険」に挑む時の雄々しい顔とは異なる、当たり前のような日常で浮かべられるその顔を見ると自然に、アイズから『剣姫』の顔は消えている。
ただただ、心は安らかに。
叶えなければならない悲願が生まれるよりも前、父と母との優しく温かい世界で屈託なく笑っていた幼き自分に戻っているように感じられた。
この瞬間、この一時だけは、失った筈の優しい一時にアイズを包み込んでくれる。
(……お父さんと、やっぱり似てるな)
温和な笑みを浮かべながらも、覚悟を灯し絶望に立ち向かった父と。
自分と同じように黒竜に全てを奪われ、更に
最後のサンドイッチを飲み込んだグランはアイズに目を向けた。
サンドイッチは優に三十を超える数が存在していた筈だが、ものの数分で一切が消えている。
気づかれていたのかと驚くアイズと、眉を寄せるグラン。
「……何でそんなに俺の顔を見ている?」
「…………グランの顔を見てると、
「俺の顔はポーションじゃねぇよ??」
どうしょうもないほど苦しい言い訳をしてしまう。しかし、顔を見るのが好きだからと正直に言うのは恥ずかしさが勝る。証明するかのように、アイズの頬の辺りに熱が集まり、薄く紅に染まっている。
ばつが悪く、グランから目を逸らしながら内心で汗をかいた。
容赦がない返しが来るのも至極当然。流石に言い訳が通じるわけがなく、鋭い返しがアイズに襲いかかる。磨き上げた剣術も、言葉を切り裂くことは叶わなかった。さしもの『剣姫』も形無しであった。
「ごめん……私が見たかっただけ。……嫌、だった?」
しゅんとしながら本心を告げる。特に意識をせず上目遣いになりながら尋ねた。
人によれば興奮のあまり気絶しそうな『剣姫』の上目遣いを前に、『
「あ──ーいや、別に嫌ってわけじゃ、ないが……」
「───!!」
返答に困ったように言葉を詰まらせながらグランは口を開いた。
嫌ではない、つまりは了承でもある返答にアイズは目を見開き、輝かせる。
これからは堂々と父に似た黒髪の青年を眺めて良いのだと、溢れる嬉しさは空間に伝播する。心なしか、アイズの周囲もキラキラと輝いて見えた。
「……悪いけど、今から軽く寝るぞ」
恥ずかしさか、はたまた別の感情か、居心地悪そうに視線を彷徨わせていたグランは座っている木陰にそのまま寝転がった。
『食べてすぐ寝るとミノタウロスになる』ということわざを無視してLv.6の体は微睡みに揺蕩おうとしている。
頭の下に腕を組み、目を閉じる。
5秒とせず、グランは小さく寝息をこぼし始めた。普段は固まりきっている表情筋は目を疑う程に緩んでいる。
「…………えいっ」
その緩みきった寝顔をぼんやりと見つめていたアイズは何かに思い立ったように体を倒した。
こてん、とグランの体温が感じられるぐらい近くに横たわる。その温かさはアイズに睡眠欲となって囁きかける。
組まれた腕を動かさないように慎重に解き、よりグランに近づく。その過程でアイズの頭の位置にグランの腕が置かれた。一瞬迷ったアイズはその腕に頭を乗っける。
俗に言う腕枕である。
(温かい……)
陽だまりにいるような安らぎと眠気がアイズを満たす。少しでも動けば触れてしまう程にグランとアイズの顔の距離は限りなく零だった。
腕から伝わるより鮮明な体温に、なんだか笑ってしまう。
呆れてしまうほどに広がる蒼穹の空の下、グランの寝顔を眺めていると小さく欠伸が込み上がる。
眉尻に重くのしかかる睡魔に、アイズは身を任せ、微睡みの底に落ちていった。
残されたのは、笑ってしまうほど優しく温かな光景と、身を寄せ合う黒と金の少年少女だけだった。
(いやいやいや、ちゃうちゃうちゃう)
自分の腕を枕代わりにして真横で眠りにつくアイズを見て、グランはあり得ない程目をカッ開いた。
完全に嘘寝を決め込んでいたわけである。
グラン・ブレイズは転生者だ。
神様転生と呼ばれるものではなく、前世で意識が消えたと思えば赤子の姿に生まれ変わっていた。
楽観的で頭が弱いグランは転生について真面目に考えることは無く、前世では味わうことが無かった大自然を駆けて暮らしてきた。
そんなグランに、転機が訪れる。
母が読んでくれたお伽噺のような英雄譚、その中に何故か既視感があるものが混ざっていた。
黒竜の片目を穿った大英雄と風の精霊の英雄譚。
もしやと思ったグランは村長に『ダンジョン』について尋ねた。すると、本当にあったのだ。『ダンジョン』が、『オラリオ』が。
その後、なんやかんやあって何故か現れた隻眼の黒竜に呪われ、なんやかんやして【ロキ・ファミリア】に入り、死ぬほど頑張ってLv.6に至ったグランだが、今現在、過去に類を見ない程の途方も無い危機に陥っていると思っていた。
(今日もアイズは俺の事を睨みすぎだろ!あれバレてない? 絶対バレてない!?)
『アイズに黒竜の力使ってんの、バレてね?』である。黒竜の呪いを逆利用して力の一部を使っているグランはその能力の特性上、極力バレないように使ってきたつもりであった。
嘘である。
この男、所構わず助けを求める人の下に突っ込み黒竜の力をバリバリ使って助けてきたのだ。
当然、そんなことはとうの昔にバレている。単純にグランがそのことに気づいていないだけだ。
(バレたらどうなんだよ俺!? 怖い怖い怖いって、
原作を読んでいるグランは不壊属性すら壊す埒外の出力に恐怖している。何故か自分の腕を枕にして真横で寝ているこの顔の良い少女は、己を即死させる恐れがあるのだ。
端から見ればアイズの寝顔を見つめているように見える裏で、グランは荒れ狂っていた。
(ちょっと前からいつも俺の横に居るし、今みたいに距離感バグってるし、これかなり怪しまれてるんじゃないの!? 嫌だッ、トマト野郎にはなりたかねぇよ!)
この場合のトマト野郎は真っ赤に染まっているというわけでは無く、潰れたトマトのように真っ赤な花を咲かせる、という意味だ。
思考回路が極端にネガティブに傾いている。
恋愛経験皆無の恋愛クソ雑魚なグランは、アイズが無意識のうちに向けている感情に一切気がつかない。
彼女が自分の存在に救われていることに、グランは気がつかない。
彼女の他にも、自分に特別な感情を抱く人が多いことに、この男は気がつかない。
「…………まぁ、寝るか」
長々と考えることは苦手なグランは現実逃避という名の昼寝を敢行する。
横で眠る少女に恐怖すると同時にその顔の良さに見惚れていると、眠気が無限に湧き上がってきた。
眩しいぐらいに日が照らす蒼穹の下、馬鹿な転生者と恋愛感情に気づかない天然少女は、一時の夢想に身を寄せ合いながら任せるのだった。