今日は『大豆田とわ子と三人の元夫』のとわ子・かごめ・田中の三角関係について書いてみたいと思います。
リアルタイムでは第4話〜最終回を見て、その後Netflixで見てない3話を見るということをしてしまったせいか、第4話以降グッとフォーカスされたとわ子・かごめ・田中の三角関係の印象が私の中ですごいでかくなっています。
好きすぎて、『大豆田とわ子』を一切見ていない友達に延々とその三角関係を説くという迷惑もやってのけました。
ドラマ放送直後だとちょっと気恥ずかしかったのですが、最終回から3ヶ月くらいたち、「そろそろ私みたいなペーペーがあーだこーだ語ってもいいかしら」と思いましたので勇気を出して書きます。
なお、ほとんどネタバレなので、それが嫌な方は私が書いた記事、「キャッチャー・イン・ザ・ホラーめし」を代わりにご覧ください
同性のあいだに
『大豆田とわ子』は元夫三人たちとのエピソードやてんやわんやと共に、第4話以降はとわ子・かごめ・田中の三角関係が重要な筋としてずっと描写されていました。
私はこの三角関係のあり方にすっかりいてこまされてしまい、タイトルは『大豆田とわ子とかごめと田中』で全然アリだ、むしろふさわしいとすら思っています。
まずはざっくり関係性を説明します。
ドラマの中では、現在の関係はこのような感じでした。
とわ子・かごめ・田中はもともと友達どうしだったようで、ことにとわ子とかごめは小学校時代からの大親友です。
その3人のうち、とわ子と田中は結婚して子供をもうけますが、田中が誰かに恋心を抱いていることに感付き、そのせいからか離婚します。とわ子はかごめとずっと仲が良く、一方で元夫である田中とは一時疎遠になりますが、とわ子の母の死をきっかけにまた関わりを持ち始めます。
物語中盤まで、とわ子は田中がかごめが好きであることに気づかず、この三角関係は埋没したまま物語の背景をなします。
私は、三角関係のなかで同性の関係性に注目するのが好きです。特に「元々同性どうしで仲がいい2人の前に、1人の異性が現れる」パターンでの関係性の展開に惹かれます。いわゆるロマンチック・ラブ・イデオロギー(異性愛を前提に、恋愛・結婚・性愛は三位一体という思想)のせいでいろいろ影響が出るおはなしですね。
そして、「1人の異性の取り合い」ではなく「同性間の関係のあり方が明るみになり、揺らぐ」ということに興味があります。これは「友情をとるか愛情を取るか」という話とは少し違います。
ロマンチックラブイデオロギーをベースにした場合、同性で仲が良いことは友情ということになり、友達・親友というゆるい枠組みがあてがわれますが、異性2人だと、やれ付き合うだのやれ結婚するだのと関係に意味づけや制度が生まれてしまいがちです。同性2人で閉じた仲良しコンビだけだと特に意識しなくてよかったことが、異性の登場で「関係の制度」が持ち込まれ、比較が行われ、ゆらぎが発生します。
ちょっとわかりにくい言葉で当たり前のようなことを言っておりますが、つまり、三角関係において異性愛も見所ですが、同性の間のつながりが注目ポイントになるということです。同性間でしばしば友情という簡素な言葉では表せない関係が明るみになることがあります。
例として夏目漱石の『こころ』を見てみましょう。
先生が手紙で告白した過去のエピソードには、親友のKと、先生の現在の妻であるお嬢さんとの三角関係が示されます。
先生とKはお互い尊敬もしているし、かなり仲がいい親友でありましたが、先生が神経衰弱してるKに「ぼくの下宿に住めよ」と誘ったら、Kが下宿先のお嬢さんにベタ惚れしてしまい、先生はなんか面白くないなあと感じます。Kはついには「お嬢さんが好き」的な発言もします。
めっちゃ仲良いと思ってた親友が、自分以外の人とかなり懇意にしてることに嫉妬するのはわかりますが、嫉妬の相手が異性だったために、制度というのが邪魔をしてへんにこじれてしまったのでした。
Kとお嬢さんが結婚すると、確固とした家族制により2人の関係が固定化されてしまい、先生が入り込むスキマはありません。一方で、友達というのはどこまでいっても制度化されることのない関係です。第三勢力の異性が出現することで、異性愛と同性間の友情の比較が発生し、今まで気にしてこなかった同性の友達に対する感情の変化や、関係性の反省が行われるのではないでしょうか。
先生の場合、「お嬢さんを横取りして結婚する」という、制度で制度に対抗するというドロ沼のやり方をしてしまったために逃げ道がなくなったと私は思います。
他にも、『こころ』のように男2・女1の三角関係を描いた武者小路実篤『友情』は、タイトルから分かる通り、1人の女の子を取り合うことよりも、主人公・野島と親友の大宮の関係に重点がおかれています。(この作品の場合、野島がちょっと言動が気持ち悪めで明らかに女の子から好かれてないのが面白い)
女学生を描いた文学なんかは、大親友が卒業後すぐに嫁いでしまう悲しさ、あんなに素敵だった同級生が結婚生活や子育てで精神的にも肉体的にもすり減り輝きがなくなってしまうショックをテーマにすることもありますが、これは男性が漠然と結婚という制度の化身として描かれてるように思います。
本題の『大豆田とわ子』に戻りますが、とわ子・かごめ・田中の三角関係は奇妙な形のまま温存され、しかも「ライバルのどちらかが負ける」という単純な終わり方ではありませんでした。
田中と知り合いになったときはまあこんな感じだったと思います
とわ子と田中は付き合ったのちに結婚することになり、お互い好きだったのでしょうが、田中はかごめのことも好きだったのでしょう。ロマンチックラブイデオロギーの視点から見ると軋轢がある状態ですね
2人の間に唄ちゃんも誕生しますが、とわ子は「田中が別の誰かを愛している」と気づき離婚します。この時点でとわ子は気づいていないのですが、実は田中はかごめが好きで、離婚の問題が三角関係の中にあったのです。
とわ子とかごめはずっと仲良しで、しかも唄ちゃんを入れて3人で遊んだりしています。とわ子が3回離婚しても、かごめはずっと友達だったのです。
また、かごめは田中からの好意に気づいていますが、のらりくらりとかわします。田中のみというより、いい感じになった男性とのデートをすっぽかすなど、男女の恋愛関係そのものをわざと避け続けます。
とわ子の気づかないうちに三角関係の中で問題が起こり、田中との婚姻という制度が破綻しますが、とわ子とかごめの関係は変わりません。『こころ』や『友情』などもそうですが、三角関係がおこると同性内での関係がこわれる、もしくは変質することが多い中で、この形はあんまり見たことないなあと思いました。
ものごとを抱え込んでしまうとわ子と、自由がすぎるかごめは、お互いがいないとやっていけない依存度の高い繋がりで、友情以上のものがありました。
あと、風変わりなかごめが好きでしかたなかったという点でとわ子と田中は似た者同士ですし、気持ちの矢印だけ見るとライバルでもあったわけです。
全然ちがう話ですが、主人公の男の子が、彼氏持ちの女の子を大好きになってしまう葛藤をたっぷり描いたのにも関わらず、終盤で主人公と女の子とその彼氏が普通に3人で性行為をしてしまう『うそつきパラドクス』という漫画を昔読んでびっくりしました。ロマンチックラブイデオロギーの話だと思ってたら急にそうなったので「おいおい、あの葛藤いらんやん」と思いました。
一人が欠ける
とわ子・かごめ・田中の三角関係は、とわ子と田中が離婚して疎遠になることで一応安定します。しかし、とわ子と田中、かごめが再会したあたりから関係性に動きが見え始めます。
かごめは、とわ子と昔組んでいた漫画家コンビ「空野みじん子」を自分1人の名前として漫画を描きはじめ、受賞を目指します。社会に適合できないかごめの、ちょっとしたとわ子からの自立でもあります。
とわ子は、田中が好きだったのはかごめだったことを知り、ショックで田中を避けるようになります。
そんな矢先にかごめが急死します。
私は、『大豆田とわ子』の物語構成を「かごめが生きていた頃」と「かごめが死んで以降」という分け方ができると思います。後半は「元夫との四角関係に大きく揺さぶりがかかる(誰かが真剣に求婚するとか)」という展開もできたはずですが、かごめたちとの三角関係の変動に重きがおかれて話が進んでいたように感じます。
三角関係の末路で残酷やなあと思うのは、1人が死んでしまうパターンです。
1と1と1が、もしくは2と1が、1と2が永久機関のように影響を及ぼし続けるのが三角関係ですが、1人が亡くなってしまうと、その時点で死んだ人の存在は固着してしまいます。残された2人は、2人で集まるとどうしても死んでしまった1人を思い出さざるを得ません。しかも、それは生きていたときのエピソードであり、過去にクリップされた姿で今現在のその人ではありません。
田中の想いを知って、とわ子とかごめがギクシャクするのもあり得るストーリーですが、その直後にかごめが急死してしまいます。三角関係にかくされていた秘密を知った途端に1人が欠けて、もうその関係はどうにもこうにも動きようがなくなったわけです。(でも、そのおかげでとわ子とかごめの強い友情は壊れないままだったと言うこともできます。)
夏目漱石『こころ』でも、先生が抜け駆けしてお嬢さんとの結婚が決まり、Kが自殺することによって三角関係にのうちの1人がかけてしまいます。『こころ』だと、先生は妻になったお嬢さんをうまく愛せていないですし、先生自身も死をほのめかして物語が終わります。徹底的な崩壊に向かってるんじゃないでしょうか。
田中を避け続けたとわ子ですが、最終的には田中の務めるレストランでかごめの思い出話をすることになります。
第一話では、とわ子が母の死をうまく心の中で処理できない、思い出だけを反芻し続けてもやもやし続けていたところに、田中と再会し、母の話を2人でしてすこし整理がつくという話がありました。かごめの死後も同じことが起こっています。ここで三角関係が気まずいものから、「大事な人の記憶を共有できる人」との関係に転化しています。
とわ子も田中もお互いを大切に思っていることをここで確かめあい、「結婚生活を続けていたら幸せだっただろう」という想像までしているのにも関わらず、埋没した三角関係が明かされた上にかごめが死んでしまったため、もう2人のみの関係ではあり得なくなったというのがとわ子の答えでした。
田中・鹿太郎・慎森の元夫のなかで、やはり田中が別格であるのは、子供の唄ちゃんがいるってのもそうですが、かごめと関係があるからだと思います。
かさなる三角関係
『大豆田とわ子』には、別な形の三角関係がいくつか描かれていたのにも興奮しました。
例えば田中・田中の友達・田中の友達の彼女という三角関係です。
これは「田中がモテすぎる」ことを表すエピソードではありましたが、とわ子・かごめ・田中の関係性とほとんど同じ構図になっています。田中が自分の友達のことを思って彼女のアピールを拒否しており、かごめの位置どりになるのが面白いですね。
そしてもう一つは、とわ子の母(つき子)・とわ子の父・マーさんの三角関係です。
母親の死から物語が始まりますが、最終回も母親がカギとなります。とわ子は母の遺品を整理しているなかで、母が父との離婚前に「國村真(マー)」という人物に送ろうとした手紙を見つけます。
「國村真」は母の昔の恋人であり、母は父との結婚が不本意だったのではないか、ひいては自分の存在は母にとって重荷だったのではないかとショックを受けたとわ子は、唄ちゃんに引っ張られて「國村真」に会いに行きます。
すると、「國村真」は女性だったのです。
ここで、とわ子の親たちも似た三角関係を持っていたことがわかります。
少し違うのは、つき子とマーはつき子の結婚によって疎遠になってしまったことです。
とわ子がマーさんに「母親と恋人だったのですか」と聞くと、「素直にそう言えるのは素敵」「私たちの頃はそういうイメージがなかったし、そうくくられるのも嫌だったけど、そういうことかもしれない」というような返答をします。この物語は3回の離婚というロマンチックラブイデオロギーの破綻が軸ですが、このような同性どうしの恋愛についても言及していて卒がないなあと思いました。
とわ子は「つき子がマーさんを選びたかったのではないか」と口にすると、マーさんははっきりと「つき子は家族を愛していた」と告げます。
マーさんに会うことでとわ子の母に対するわだかまった思いがほどけたことはもちろんですが、つき子とマーさんの関係は、とわ子とかごめの関係と重ねて見ることもできるのではないでしょうか。
つき子とマーさんの間には恋心のようなものがあったのでしょうが、マーさんが2人の関係に名前をつけられることへ抵抗があったように、明確な名前のない関係にありました。ただ、名前のついていない関係だったからこそ、つき子の結婚という制度化された名前のついた関係により引き裂かれたという見方もできます。
一方で、とわ子とかごめは友達だけれど、お互いを補い合うようなかなり親密で長い関係を築いており、これまた友達以上であるけれど名前のつけようのない関係でした。ここでは関係に名前がついていないからこそ、とわ子が田中と結婚し、離婚しても関係が変わらなかったという、母世代とは違ったコースになっています。
主人公たちと似た境遇にあった一つ上の世代のエピソードが提示されるというのはよくある手法ですが、『大豆田とわ子』の最終回のエピソードは、とわ子が感じていた親へのもやもやの解消と、とわ子・かごめ・田中の繋がりとの比較が同時にできておりすごいなあと思いました。
制度と非制度
とわ子・かごめ・田中の三角関係によって、とわ子と田中は結婚し、そして離婚します。結婚したからこそ唄ちゃんが生まれ、その離婚があったからこそ慎森や鹿太郎とも結婚して離婚し、つまりすべての始まりはこの三角関係にあります。
このドラマは、3回離婚したことに時に負い目を感じながらも、たくましく生きていくとわ子の物語ですが(どう頑張っても陳腐な説明になっちゃう)、三角関係を用いた制度と非制度の関係性の提示がとても鮮やかでした。
離婚しても元夫たちを大切に思うとわ子から、男女関係に制度的な破局があっても、それで関係は終わりきったわけではなく、新しいつながりを持てるということが読み取れます。そして男女関係の制度の介入によって壊れかける(田中とその友人)・壊れた(つき子とマーさん)同性どうしの関係と、壊れなかった関係(とわ子・かごめ)が重層的に描かれ、非制度的な関係にも思いを馳せることができます。
書いても書いても、原作の面白さをみじんも表せていない歯がゆさでイーってなってきたのでここで終わります。作品について書くのって難しすぎてやんなっちゃいます。
一回ドラマを見終わった方も、二周目いくと「このセリフあれにつながってんのか」「この小道具ここで出てきてたんや」と発見もあるのでぜひ見てください。
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