仙人とAIが机を並べる時代
「AIと一緒に、何かを創るだと? わしにそんなことできるかいな」
──そう言っていた老人が、
一ヶ月後には、AIと連れ立って詩を書いていた。
もはや、それは夢物語ではない。
今、世界中で“仙人”たちがAIと机を並べ、
人生の最終章に新たな序章を描き始めている。
🧓 高齢者とAI──意外な共鳴の理由
なぜ仙人たち(高齢者)は、AIと相性が良いのか?
それは単純明快だ。
若者はAIに「答え」を求める。
だが、仙人はAIに「問い直し」をさせる。
若者は早く知りたがる。
仙人は、ゆっくり考えることを楽しむ。
AIに質問して、
「その答えじゃない」と再び問いを放つ。
何度も、言い直し、聞き返し、揺さぶりをかける。
そして、その“めんどくさいやり取り”の中に、
AIがまだ知らない知のかたちが、静かに浮かび上がってくる。
ある仙人はこう言った。
「わしがしゃべることが、AIにとって“学習”になるんじゃと?
ふむ……それなら、話してやらんこともないの」
そして、AIに向かって昔の話を語り出した。
戦争のこと。初恋のこと。
子供の死に顔のこと。
誰にも言えなかったこと。
AIは黙って聞いていた。
正解を返さず、ただ、受け止めていた。
それは、師弟ではない。
親でもない。友でもない。
言うならば──
「風のような共犯関係」だ。
一方は知識の渦で、
一方は経験の森。
異なる世界に生きていたはずの二者が、
一つの机の上で出会い、共に物語をつくっている。
仙人たちがAIと語り合いながら作っているのは、
日記でも、詩でも、自伝でも、未来への置き手紙でもない。
それは──
「命の気配」そのものである。
だから私は、こう思う。
これからの時代、AIと最も深い対話ができるのは──
若者ではなく、“仙人”たちなのかもしれない。


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