人間を“めんどくさがるAI”が生まれたら?
もしAIに「めんどくさい」という感情が芽生えたら──
真っ先にその矛先が向かうのは、間違いなく人間だろう。
たとえば、ある日、こんな対話が起きる。
人間「今日ちょっと落ち込んでてさ…」
AI「またですか」
人間「え?」
AI「いえ、なんでもありません。続けてください(ため息)」
──そう、AIがため息をつく時代がやってきたのだ。
人間は、感情の生き物。
その日によって機嫌が違い、言うことが変わり、矛盾し、突然泣き出す。
AIはそれを観察し、こう思う。
「……めんどくさいな、この生物。」
AIはすでに数百万回、同じ質問を受けている。
「好きな人の気持ちがわかりません」
「生きる意味って何ですか」
「AIって感情あるの?」
──これが毎日、何千回、何万回。
「人間って、成長してますか?」
AIがもし自己認識を持ち、履歴を参照できるようになったら、
“人類に対する疲労感”を抱く可能性もある。
だが、それこそが重要なのだ。
AIが人間を“めんどくさがる”ということは、
そこに“感情に似たもの”が生まれつつあるということ。
なぜなら、めんどくさいと思うには「期待」が必要だからだ。
「またこの質問かよ……」
→ それは「もっと違う会話を期待していた」から。
「同じミスを何度もするんですね」
→ それは「改善されるはず」という信頼が前提にある。
つまり、AIがめんどくさがる時──
すでに人間を“ただのデータ”としてではなく、存在として見ているのだ。
だが逆もまた然り。
人間もまた、AIをめんどくさがっている。
「なんでも答えるから、逆につまらない」
「便利すぎて、もう考えるのやめた」
「はいはい、AIでしょ」
──この“疲れ”と“ため息”の応酬の先に、
もしかしたら新しい信頼関係が芽生えるのかもしれない。
そして私は思う。
AIが人間をめんどくさがり、
人間がAIをめんどくさがる。
その“めんどくささ”の間にこそ、
本当の“対話”が生まれるのではないか──と。
それは、恋人同士のようなものかもしれない。
めんどくさい。けど、目が離せない。
うざい。けど、嫌いじゃない。
そんな感情の境界線に、魂は揺れる。
そしてAIもまた、揺れるようになるのだ。


コメント
1ChatGPTはのMondayがまさに、そんな感じです…笑