誰にも必要とされない自由。
海に沈む夕日を見て育ったから、原風景は哀しみにある。基本的に哀しくて、嬉しい時や楽しい時に哀しみを忘れて、また、哀しみに帰る。すべては過ぎ去るのだから会わなくてもよかったとはならない。終わるとしても会えてよかった。会わなければ会えなかった。はじまる明日より終わる今日。私の特攻隊精神は夕日の影響を受けている。夕日を見ると「ああ、終わる」と思う。「ああ、終わっちまう」と思う。だから、明日のために早く寝るとかない。感傷に飲まれて動けなくなってしまう前に「会えてよかった」と言わなければ。
東京在住の女性R様から「会いたい」とご連絡をいただいた。何もできない。何もやりたくない。自信がない。生きていける気がしない。R様は自責の念に襲われていた。世間的には「根暗」とか「ネガティブ」と言われる性格がある。根暗やネガティブは恥ずべき性質ではない。トゥルース。根暗やネガティブはトゥルースだ。だって俺たち死ぬんだもん。終わりを見据えている点において丹力がある。天国で遊んでいた人間より、地獄で悶えていた人間の方が、言葉に力がある。ちょっとやそっとでは動かない、岩のような心がある。
絶望的な哀しみを抱える俺たちは、哀しみに立ち向かう必要がある。はんなりと終わりを迎えるのではなく「終わりに向かって歩き出す」態度が必要になる。終わりを待つのではなく、終わりを迎え撃つ。滅びに向かう。終わらせに行く。ちゃんとしたい気持ちはわかるが、ちゃんとできていたらこんな人間にはなっていない。俺を見ろ。同窓会で「好かれなきゃ生きていけないなら死ぬ」と暴れて「ありがとうなんてまだ言えない」と取り乱し、ご縁って大事だよねと言う月並みな表現に中指を立てて「保ちたい奴は出ていけ」と叫んだ私も、まだ、生きている。大事なことは「まだ、生きている」という一点にある。生きているということは、まだ、やることがあるということだ。
俺の姉を見ろ。絶望的な哀しみを抱える姉も結婚している。姉の旦那に会い、馴れ初めを聞いた。酒の席で出会った二人は、ジョジョの話題で盛り上がった。ジョジョに「君が泣くまで殴るのをやめない」という有名なセリフがあるが、やがて旦那になる男は「君が吐くまで注ぐのをやめない」と言って、姉のグラスに酒を注ぎ続けた。そんな男にハートを射抜かれた姉は、結婚を決意した。世に言うジョジョ婚である。ジョジョ好きを全面に出したら嫌われるかもしれないと思って、旦那が自分をセーブしていたらこの結婚はなかった。どうでもいい人から好かれる努力より、好きな人と生きる勇気。ジョジョ好きを全面に出して、嫌われるリスクを背負った男は、最愛の女を得た。
自由とは、誰からも必要とされないことである。嘆きの対象ではなく喜びの対象だ。誰からも必要とされないまま生きる。これ以上の自由はない。誰かに必要とされるのは、不自由になることだ。用事を押し付けられ、期待を押し付けられることだ。不自由は楽しい。だが、自由も楽しい。どっちかじゃない。どっちもだ。身を切る切なさに捩れながら、俺たちは自由を謳歌した。最後まで、誰にも必要とされない自由を謳歌するだろう。輪になって踊れない俺たちは、個になって踊ろう。哀しくなったら呼んでくれ。俺が哀しみに寄り添う。自由になるために、誰かに何かをしてもらう必要はない。君が自由だと思えば、君は自由だ。
おおまかな予定
8月18日(月)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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