【2025年度研究集会(第361回月例研究会)のお知らせ 】
本年度の研究集会は、午前中に自由論題で2名の会員に報告していただきます。午後は特集企画として「情動のメディア史」というテーマでミニ・シンポジウムを開催します。ドイツの歴史家ヤン・ブランパーは『感情史の始まり』(森田直子監訳、みすず書房、2020年)において「20世紀の感情史の大部分は、メディアとコミュニケーションの歴史として論じられなければならない」と宣言しましたが、今回の企画では、メディアと感情の関係が歴史性を帯びていることに注目し、3名の会員に「身体・行動の変化を伴う一時的かつ急激な感情の変化」をもたらすメディアの情動機能に着目した論題での報告をお願いし、言語論的転回から情動論的転回へという歴史学の一つの傾向に対して、メディア史がどのような視点で研究を展開できるかを考えます。
※ハイフレックス形式(対面、Zoomでのビデオ会議のどちらでも参加できる方式)での開催となります。
夕刻からは懇親会を開催しますので、是非ご参加ください(懇親会だけの参加も歓迎です)。
メディア史研究会はまったく自由な研究会ですので、会員以外の方でも、もし内容にご関心があれば、どうぞ気楽にご参加下さい。
【日程・会場・費用】
日時:2025年9月6日(土)10:00~18:00(9:30開場)*参加無料
会場:立教大学池袋キャンパス 4号館3階4342教室
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/
[参加方法]
・ハイフレックス形式(対面、Zoomでのビデオ会議のどちらでも参加できる方式)での開催となります。
・当日は資料配布を行わず、事前にメール配信することから、対面で参加される方も事前申し込みをして頂く必要があります。
・参加を希望される方は2025年8月21日(木)までに次のURL(Google forms)からお申し込みください(対面かビデオ会議かと、懇親会への参加の有無を選択してください)。申し込まれた方へ、対面での参加の方へは報告資料を、ビデオ会議での参加の方へはアクセスするためのURLと報告資料を、9月4日(木)にメールで配信します。
【会場では報告資料を配布しませんのでご注意ください】
https://forms.gle/KANYRfBjCVLnr9HF8
→送信がうまくできない場合には、時間をおいてお試し下さい。
★懇親会の参加人数を2週間前までに把握する必要があるため、申し込み締め切りをいつもより早めますのでご注意ください。
★参加申し込みが締め切りに遅れた、あるいは、参加を申し込んだが報告資料やURLが届かないということがありましたら、飯塚さん宛にメール koichi0202@tba.t-com.ne.jp でお知らせください。
お知らせください。
※会場でご自身のPCからネット接続をしたい場合、Eduroam(ご自身の所属機関が加盟している場合に限ります)を通じて、あるいはデザリングなどのご自身の手段で、WiFiへの接続が可能です。Eduroamの概要は https://www.eduroam.jp/about からご確認ください。
[懇親会]
18:30~20:30
日比谷松本楼 セントポールズ会館店(立教大学池袋キャンパス内)
https://matsumotoro.co.jp/shop_list/06rikkyo.html
懇親会費 6000円(学生 5000円)*当日、会場でお支払い下さい。
【プログラム】
9:30 開 場
■10:00~12:40 自由論題
司会者:飯塚浩一(東海大学文化社会学部教授
高野 弦(上智大学大学院文学研究科博士後期課程)
「ワイマール期におけるドイツのリベラル新聞の変遷」
長尾宗典(筑波大学人文社会系准教授)
「編集者・坪谷善四郎と雑誌メディア:関連史料の分析を通じて」
<昼休み> *学食がお休みのため、大学近辺のコンビニや食堂をご利用ください。
■14:00~17:45 特集企画:ミニ・シンポジウム「情動のメディア史」
司会:佐藤卓己(上智大学文学部教授)
佐藤卓己
解説:特集企画の趣旨について
平山 昇(神奈川大学国際日本学部准教授)
「戦前日本の「聖地」ツーリズム ―「危険思想」へのリアクション―」
石田あゆう(桃山学院大学社会学部教授)
「世間を騒がせる女への反発と同情—メディア・情動・ジェンダー」
難波功士(関西学院大学社会学部教授)
「ポピュラー・カルチャー史記述の試み―アイドル・ファンダムの変遷を事例として」
【特集企画の趣旨】
「情動のメディア史」
情報科学や社会科学ばかりでなく、歴史学の分野でも研究者の多くが工業化の次に来るのは情報化だ、と考えていたはずだ。智民(network citizen)が知識産業で頭脳労働に従事する理性的な情報社会(information society)を夢見た人も多かった。だが、いま現前しているのは情動社会(affect society)である。アテンション・エコノミー(関心経済)と感情労働の認知資本主義が世界を覆っており、IQ(知能)よりEI(感情知能)が重視され、メッセージの真偽よりもメディアの信疑が争点となっている。
近くは米国の大統領選にも見られたように、候補者は不安や恐怖を煽ることで選挙戦を戦うようになっている。このような状態は理性的なデモクラシー(民主主義)ではなく、感情が優先されるエモクラシー(感情民主主義)だとされる。多くの有権者は快適なフィルターバブルの中で選択を行っており、そこでは、新聞や放送など「オールドメディア」の影響力は低下している。国際政治においても、20世紀の思想戦は新たな認知戦と呼ばれる段階に達している。そして、かつて言語論的転回Linguistic turn (言語が主観的に構築する世界へ)で実証性を揺さぶられた歴史学は、いまや情動論的転回Affective turn(非言語的な情動が決める世界へ)の衝撃に晒されている。例えばドイツの歴史家ヤン・ブランパーは『感情史の始まり』(森田直子監訳、みすず書房、2020年)において「20世紀の感情史の大部分は、メディアとコミュニケーションの歴史として論じられなければならない」と宣言し、ポスト言語論的転回の新しい歴史学として感情史を押し出している。
他方でメディア史研究会は、すでに16年前の2009年度研究集会(2009年9月5日)におけるミニ・シンポジウムのテーマとして「感情のメディア史」を掲げ、企画趣旨として、それまでのメディア研究が、情報(メッセージ)を構成する意見・事実報告・感情の3つの要素のうち、感情については軽視するか紋切り型の理解しかしてこなかったという問題意識を提示している。当日は、永嶺重敏会員から、口頭のメディアで共有されていた感情が電気的メディアによって複製・普及した大正期の音楽を取り上げた事例研究の報告がなされるとともに、有山輝雄会員から、感情のメディア史には、感情を人間の基本的本性ではなく歴史的・社会的に生成されるものと考える視点が必要であるという問題提起と、その事例として、桐生悠々の「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」における「だから、言ったではないか」の文句の繰り返しや省略などの修辞的方法、改行などの視覚的強調によって読者の感情を掻き立てる表現方法が紹介された(ミニ・シンポジウムの記録は『メディア史研究』第27号を参照)。
今回、「感情」ではなくあえて「情動」のメディア史としたのは、冒頭で紹介したような「情動論」ブームを意識しつつも、情動論的転回におけるaffectの意味を、emotionと対比させながらよりはっきりさせたいと考えたからである。英語では、emotion(感情)が「悲しみ、怒り、好き、嫌いなどの気持ちの状態」を示すのに対して、affect(情動)は「身体・行動の変化を伴う一時的かつ急激な感情の変化」を示すものである。とくに後者にウェイトを置いてメディアの問題を捉えてみたい。
上記の視点に沿って最近のメディア史研究を眺めてみると、政治が理念や政策を伝えることよりも人々の注目を集めるメディアの論理を取り入れるようになってきた過程(政治のメディア化mediatization of politics)に着目した研究、神聖なものに対する精神的・身体的参加を促すメディア(あるいはメディアとしての交通手段)の役割に着目した研究、男女関係のもつれから生じた傷害事件や政治テロ事件について、犯人の行為ではなく行為を起こした理由を素材にして大衆の感情を搔き立てた報道に着目した研究、ユース・カルチャーの普及と継承をその感覚的な魅力から読み解く研究などは、メディアの情動機能の分析の手がかりとなるのではないかと考えられる。
そこで今回の企画では、メディアと感情の関係が歴史性を帯びていることに注目し、3名の会員から、これまで扱ってこられた研究テーマを踏まえつつ、「身体・行動の変化を伴う一時的かつ急激な感情の変化」をもたらすメディアの情動機能に着目した論題での報告をお願いすることにした。本報告を通して、言語論的転回から情動論的転回へという歴史学の一つの傾向に対して、メディア史がどのような視点で研究を展開できるかを提示できれば幸いである。