なんか残さないと生きてる心地がしない
文章を書く事を試しに始めてみようかなと思う。
去年、都知事選があって小池百合子の人種差別的な態度に腹立ちすぎて路上で大声張り上げたり、蓮舫を勝たせる為になんとか選挙運動を啓蒙できないかとそれを漫画にしたらバズり生活も交友関係もガラッと変わってしまった。そこからの日々、変化の理由などが面白く需要がありそうなので文章にしてみようという試みだ。文章にすれば自分自身の訓練にもなりそうだし、不安の解消にもなりそうだし、鍋倉雅之という人物が何者なのかのポートフォリオにもなりそうだ。自分の書いた文章を英訳すれば英語の勉強にもなりそうだし。
自分は宮崎駿に1ミリでも近づきたい人だ。高校生の時にラピュタを見て天地がひっくり返るような感動をした日からいまだにそうだ。
しかし、ブレる。下心に原因がある「これはちゃんとやればシノギになりそう」と感じると齧ってしまう。貧乏が悪い!モテたい!ちやほやされたい!
今もそうの欲望から逃げきれず、右行ったり左行ったりしてたら31歳になってしまった。何か一つに絞れればもっと今とは違った状況になっていたんだろうが。
今の主な収入源はフードデリバリーだ。時代の貧困の象徴ともいえる職業で恥ずかしくてなかなか表で言えない。稼働中も片耳でaudiobookを読めるのは教養の無さが足りてない自分には好都合だし人と喋らなくてすむのと、世間の印象と違ってそんなに割の悪い仕事ではないから辞められずにいる。ただ単純化された疎外された労働は暗黙知が溜まらないのに不安も感じる。
1日バイクに6時間乗るとへとへとになって絵を描く体力がほんの少しになってしまう。ここをなんとか生活リズムや食べるもの、そのタイミングを調整して克服できないかと試行錯誤してるがなかなか理想のようにはいかない。疲れと関心の振れ幅に翻弄されてひとり街宣の漫画も途中で止まっている。描こうと思っても、ドッと疲れるのが正直なところだ。
そんな日々を過ごしている中、ひとり街宣の過程で知り合った友人たちとZINE(同人誌のようなもの)を作ろうという話になりそれに寄稿する為に数年ぶりにSNS文体でない文章を書くことになった。で、書くと面白い。
文章の公正や、選ぶ言葉、文のリズムに意識して組み立てるのは面白い。
絵を描くのは本当に疲れるんだが、文章ならこの常に疲れ気味の自分にも出来そうな気がする。
幸いにも、特に去年の都知事選以降今に至るまで選挙や政治運動や路上で始めた読書会や語りたいのに語り尽くせてない事が山のようにある。いくらでも書ける。
絵も描けばいい。全部絵にしようとするから疲れるんだ。絵と文章でちょっとやってみようかと思う。
いいなと思ったら応援しよう!

コメント