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Conversation

終戦の日にあたり、私はまず、すべての戦没者と、戦争の傷を今なお負って生きる人びとに、深い哀悼の念を捧げる。 とりわけ、障害のある方々が被った被害は、数字に現れにくく、語られにくく、しかし想像にかたくないほど深く広く、人生の隅々にまで及んだことを思う。戦火は命を奪うだけでなく、身体や感覚や心を傷つけ、暮らしを支える生活基盤と仕事を断ち切った。避難は遅れやすく、情報は届きにくく、医療や福祉の連なりはたやすく寸断される。戦争は、弱いところから先に壊す。 障害のある人たちの被害が見えにくいのは、それがしばしば「遅れて到来する痛み」だからである。爆ぜる瞬間の外傷だけでなく、長い療養、失われた補装具、働き口の喪失、学びの中断、偏見と孤立が、年月をかけて生活の基盤を侵食する。さらに、役に立つ者だけを選びとるような思想は、戦時に必ず顔を出し、戦後にもしぶとく残り、人間の尊厳を損なう。私は、その不可視化された被害の全体に光をあて、名前のある一人ひとりの物語として受けとめたい。 障害者福祉に携わる者として、私は「保護」を施しではなく権利の保障として語りたい。安全に避難できる通路、必要な医療と支援への継続的アクセス、生活の基盤となる所得の安定、そして何より当事者の声が政策に反映される仕組み。それらは平時にこそ整えられるべき「反戦」の具体である。平和は祈りだけで保たれない。最も脆弱な人の安全から順に積み上げるとき、社会全体の安全がはじめて確かなものになる。 八月十五日は、記憶をたどる日であると同時に、責任を静かに引き受ける日でもある。 私は、戦争に反対する。 人のいのちと尊厳を選別しない社会を守るために、障害のある人の権利を日々の実務で確かにする。黙祷の後に残る静けさを、決意ある行動で満たしたい。二度と、弱いところから壊させないために。 就労移行支援事業所「ファイブ」 スタッフ一同