「ごめんなさい。母校の快挙に感動みたいなストーリーに、はまらないかも……」。東京・赤坂のTBS本社で会うなり、「報道特集」編集長の曺(チョ)琴袖(クムス)さん(54)にそうわびられました。
彼女は夏の全国高校野球選手権大会で初優勝した京都国際の前身、京都韓国学園(中学)の卒業生。甲子園に流れた韓国語の校歌をつくった人物にまつわる資料を探していた私は、開校50周年記念誌(1997年刊行)にTBS報道局外信部勤務の肩書で祝辞を寄せていたことを知ったのです。ういういしいスーツ姿の写真も添えて。
「アハハ、入社2年目でしたね」。中学時代の鮮烈な思い出をつづっています。<初めて書くハングルでの自分の名前に感激し、「在日韓国人」の被差別の歴史に怒り、母国への修学旅行で投げつけられた「パン・チョッパリ」という言葉に傷つき、涙を流しました>。さらに驚いたのは次のくだりです。<厳しすぎる先輩・後輩の関係、いじめ、狭い環境内での学力競争の激しさ、そして何よりも、「在日」としての自分に向きあわない同胞への失望感。あの頃は純粋であるが故に、その失望感が嫌悪感となって私の心を支配していました>
「よく覚えています。私の初稿を読んだ母が『こんな御用作文、載せる必要ない!』とダメ出しして。だから、ホンネをにじませて書き直しました」。とはいえ、さすがに決勝戦のあった8月23日はそわそわ? 「金曜の午前だったでしょ。うちの番組は土曜の夕方オンエアなので、朝からスタッフルームにこもってVTRの最終チェックをしていました。家族のグループラインで優勝に気づいたんですが、やったあーと声をあげることもなく。私のなかでは別の学校って感じがあって。でも、父はすっごくうれしいだろうなって思いましたよ。それにスポーツマンの兄も」
父の曺昌淳(チャンスン)さん(84)は京都韓国学園の事務長や常務理事を歴任、生徒不足や財政難に直面しつつ、左京区北白川の旧校舎から東山区の現在地への移転交渉をになった中心的な存在だったのです。いまは東京に暮らす昌淳さん、決勝戦を見た居間で余韻にひたっておられました。「後輩の経営陣が存続の危機にあった学園を野球でもり立てようと一生懸命、頑張ってきましたからね。まあ、それでも望外の出来事ですよ、日本一なんて。むろん、野球部の栄華も永遠ではありません。韓国系の国際学校として発展していくには教育の中身をどれだけ充実させていけるかです」
もうひとり、スポーツマンの兄とは…
TBS「報道特集」のスタッフルームで笑顔を見せる曺琴袖さん=東京都港区赤坂で8月27日、鈴木琢磨撮影