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佐木飛朗斗 公式公開書簡

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読者の皆様へ

 この度、この書簡「通達書」をインターネット上に公開する事は、私 佐木飛朗斗としても誠に不本意であり、残念であると言わざるを得ません。しかしこの時代インターネット上で私の個人情報及び私の作品に関する経緯が完全に事実と異なる虚偽、欺瞞、虚栄、偽善に満ちた情報として流布されている事態は断固として是正されなければなりません。
 作品の開始、終了に関する経緯は10年以上、あるいはほぼ30年、私が公の場では決して口外しなかった事実が記されています。
 これは、当時作品に携わり、尽力いただいた方達(もちろん作画 所十三を含む)の名誉や立場を思いやり、考慮して意図的に公表しなかった事実です。
 この書簡、「通達書」を読んだ読者の皆様の中に失望される方がいらっしゃれば申し訳無く思いますが「通達書」に記された事が現実であり事実です。   

 「通達書」は2025年2月28日、株式会社講談社ヤングマガジン編集部によって所十三本人に直接手渡されています。
 尚、公表にあたり、公開していない名称、地名、実在の店名、印章などは伏せてあります。
 又、当該事案で問題となったインターネット上の記事のアドレスもあえて伏せた事をあらかじめお断りしておきます。
 最後になりましたが、私の作品に携わっていただいた全ての皆様、また、私の作品を楽しんでいただき、応援していただいている全ての読者の皆様に特別な感謝を。

2025年4月2日 佐木飛朗斗





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通達書


所十三 及び ■■■ 殿
 
 先般、確認したインターネット上の記事(https://■■■)に於いての虚偽とその責任の所在について、通達するものである。
 この重大かつ深刻な事案の責任は全て所十三にあると言わざるを得ない。
まず、公共の場に於いて職務上知り得た作家の個人情報及び作品開始や終了に関する経緯を不特定多数の人々の前で発言した事。次に、その内容は虚偽、欺瞞、虚栄、偽善に満ちたものであり事実と異なる自らに都合の良い発言である事。(虚偽と事実の指摘は後述する)
 そしてこの時代であれば会場観客がインターネット上に拡散する事は当然であるにもかかわらず、SNS等にアップロードする事を禁止する注意喚起を怠り、その上この様なまったく事実と異なる記事を放置した事。
 上記の理由により佐木飛朗斗は、この事案に対する所十三よりの謝罪文と記事の訂正文を要望する。また、佐木に送付すると同時に同文書の全文(都合の良い切り取りは認めない)をインターネット上に公開する事。
 当該記事に於ける、佐木及び佐木作品に対する記述並びに写真を、所十三の責任に於いて完全に削除する事。
 当該記事の上記部分の削除が確認されれば、所十三の謝罪文及び訂正文をインターネット上から削除することを許可する。
 今後、公共の場に於いて、佐木飛朗斗の個人情報並びに佐木作品に関する経緯等の一切の発言を禁ずる。
 また、下記期日までに謝罪文及び訂正文が佐木に届かず、インターネット上にも公開されない場合、佐木はこの通達書を佐木飛朗斗公式公開書簡として全文インターネット上に公開したのち、法的措置の検討に入る旨を通達する。
 尚、佐木への文書の送付は株式会社講談社ヤングマガジン編集部気付とする事。
  文書送付期限は2025年3月31日とする。
  以下、当該記事の虚偽を列挙し、指摘し、正確な事実を記す。

1・私、佐木飛朗斗は横浜・■■■の出身である。本牧は明らかに虚偽となる上、横浜市以外を公表した事も無い。

2・暴走族を毛嫌いした事実は一度も無い。嫌悪するのは「単車泥棒」である。佐木が20代の初めに単車を盗まれた時、3日後に犯人が給油に訪れたスタンドで従業員が佐木の単車と気付き、犯人とその親を伴って家まで来てくれた。犯人は未成年で族では無い。また、連絡をくれたスタンド従業員は佐木の友人の後輩で暴走族であった。当該記事の所十三の発言は完全な虚偽である。

3・佐木は小池一夫先生の株式会社スタジオシップ在籍時、販売部に所属していた。「経理課」では無い。所十三の発言は完全な虚偽である。また、「その後 読み切りひとつ書いてデビュー」との発言も所十三の虚偽である。事実はコミック作品のデビュー作は1988年「横浜激走曲」第1巻(画・森かずみ スタジオシップ刊)である。翌1989年同作の第2巻を発表。1990年神田文苑堂より「朧伝」(画・有沢夏巳)を書き下ろし単行本として発表。そして1991年に「疾風伝説 特攻の拓」(画・所十三)を講談社刊週刊少年マガジンにて前後編の発表となる。これと前後して月刊少年ガンガン(株式会社エニックス刊)にて読み切り作品「イツマ」(画・森かずみ)を発表する。ちなみに小説のデビュー作は佐木の16歳時1978年、音楽誌「Player」(株式会社プレイヤー・コーポレーション刊)にて「ストレンジオレンジ」の連載である。

4・「佐木さんは音楽オタク」との記述も完全な所十三の虚偽である。事実は、佐木はギタリストである。ギャランティーを取ってのデビュー舞台は佐木16歳時、新宿歌舞伎町のライブハウス■■■である。尚、このライブの音源は現在も残存している。

5・「アフターディケイドをやらないか?」とオファーした事は一度たりとも無い。ここに「アーリーデイズ」開始までの経緯を正確に記す。
 まず、■■■編集者との会合の席に於いての会話から。編集者の名は個人情報の為ここでは伏せる。場所は佐木自宅近所のイタリアンレストラン。

編集「所さんを■■■で扱う事はもう無理です……。所さんは■■■万の借金があると嘆いています」
佐木「おまえの手柄にしたいのか? それとも所十三が21世紀にもう一度輝けば良いのか?」
編集「所さんがもう一度輝いてくれるならボクはそれで良いです」
佐木「わかった……連絡してみよう」

この後、佐木が所十三に連絡を取り、講談社のパーティの後、彼を伴いレストランに行く。場所は青山■■■である。その時の会話は次のようなものである。

所「もうオイラの事なんか誰も相手にしてくれない」
佐木「では、やってみるか?」
所「ありがとうございます」
佐木「今、作品は2つ在る。天羽の若い頃の物語と、本編の10年後マサトが猫捜し探偵をやっている物語だ」
所「時貞くんの若い頃を描きたい。探偵になったマー坊くんは描きたくないなぁ……」
佐木「まず、講談社に話を持ってゆく。どうなるかはわからないが……所十三を21世紀にもう一度輝かせるためにやってみよう」

 その後、月刊ヤングマガジンの当時の編集長及び副編集長と4人で打ち合わせ。場所は渋谷■■■のティールームにて。連載は決まり、打ち合わせ後佐木は所十三を連れて食事へ。編集長達は予定があった。■■■を出る時の会話は

所「金無いよー」
佐木「メシくらいおごるよ」

 飲食代は佐木の支払い。もちろん、前回の■■■も佐木が支払う。
 この様に「アーリーデイズ」は始まった。「アフターディケイド」を所十三と描きたいと、佐木は一度たりとも発言していない。所十三の都合の良い虚偽である。

6・「リアルを入れすぎると拓は生まれなかった」とも佐木は発言していない。ただ、浪漫の在る、詩の在る作品で在ると話した記憶はある。龍が飛び、ペガサスも飛ぶ。拓の奇蹟で事件は収束する。これが事実である。これも所十三の虚偽である。

7・佐木は所十三と一度たりともケンカなどしていない。作画として信頼出来なくなった為、作品を終了させたというのが事実である。「アーリーデイズ」に於いては、佐木がほぼ全赤で切り直したコンテが2話分。また、単行本表1用イラストを表4へ移行が1回。(これは話の時点で表4にすると言ってあった)また、もう1枚のイラストはイメージと合わないのでトリミングをデザイナーに指示。作品終了時の会話もここに正確に記す。場所は佐木の自宅。

佐木「私の力を持ってすれば全3巻で作品はしまる。そう言おうか?」
所「いいよー言わなくて」
佐木「では、全5巻で良いな?」

 この後、所十三は帰りた気に落ち着きを無くす。1人になって編集者に「自分が説得して全5巻にした」とでも言いたかったのであろうが、佐木は深夜の道を心配してタクシーに乗るまでは送った。(タクシーを自宅に呼ぼうとしたが混んでいるらしくTELがつながらなかった為)以上の状況をケンカと言う虚偽は所十三の虚栄の為である。

8・余談だが「アーリーデイズ」に於いて、拓が族を見て「かっこいーなー。僕もあーゆー風になりたい」と思うのは、拓にとって族が「力の象徴」に見えたからである。人だけでなく、単車の群れの持つ巨大なパワーに憧れるのである。所十三は佐木の描くキャラクターをまったく理解できていない。当然だが。

9・佐木は、全ての作品を思い通りに描いて来た。編集の意見を考慮した事はあるが「アーリーデイズ」に於いても所十三の意見を聞いた事など一度たりとも無い。「こう絵を描きたい」と言ってきたコマは「見えているものがあるならやってみると良い」と言った事は何度かあるが。「疾風伝説 特攻の拓」本編から佐木は楽譜を書き、編集者が手を入れた後のコンテに赤を入れ切り直し、気になるコマはラフで確認後指示を出し、ペン入れ完成と編集者の校了後にセリフを変え、字幕を入れ、絵直しを指示し、コマを入れ替え、ページを入れ替えさえして作品を発表してきたのである。尚、「アーリーデイズ」に関しては佐木が「50歳過ぎてペン入れ後の絵直しはつらいだろう」とペン入れ後の絵はそのままである。全ての作品は上記の様に制作されたという事が事実である。

10・「疾風伝説 特攻の拓」本編終了に関しても、ここに正確に記しておく。本編「来栖編」に於いて作画である所十三が、あるコマの拓をまるで幼稚園児の落書きの様な絵で上げて来た。編集者に聞くと「どんな絵を描けば良いかわからない」と言われたと言う。困った編集者は「このままは描かないでください」と言って自分で描いて見せたとの事。ところが所十三は、そのまま編集者の絵を模写した。

 この時点で佐木の作画・所十三に対する信頼は完全に失われた。そのコマの拓は編集者が過去のコピーを顔に貼って事無きを得た。ずっと後、所十三は佐木に「このまま描いてくださいと言われた」と佐木に話したが、これは意味の無い事である。編集者と所十三のどちらが正しかろうが、プロフェッショナルとして、あの稚拙な絵を読者に見せようとするなど言語道断の行いであるからである。連載終了を決めた佐木は後日、当時の週刊少年マガジン編集長より連絡を受け2人で会食を持つ。場所は渋谷道玄坂■■■。(現在は無い)

編集長「先生―、拓が終わるのはもうしょうが無いよ。しょうが無いんだけどネ」
佐木「何でしょう?」
編集長「ボク、今ネ、第三編集局長と週マガ編集長を兼任していてね。今度、第三編集局長専任になる事が決まったんだけど」
佐木「それはおめでとうございます」
編集長「後任は◯◯(名は伏せる)に決まってるんだけど、ボク困ってるんですよ」
佐木「困っている? と言うと?」
編集長「時期ですよ! 時期! 新編集長になりました、拓は終わりますでは◯◯の面子が丸潰れなんですよ!」
佐木「わかりました。それでは私が決めた予定よりもう半年描きましょう。それでどうですか?」
編集長「いや、ありがとうございます! それでダイジョウブです!」

 以上の会話から生まれたのが「灰色の幽霊編」である。本来、佐木が決めた予定は「来栖編」から「B突編」へとなるはずであった。この様にして拓の連載は終了したのである。インターネット記事の記述は完全に所十三の虚栄に満ちた虚偽である。

以上を持って通達書とする。

2025年2月24日 佐木飛朗斗



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