お盆なので娘夫婦が東京か
ら来ている。
二人ともいろいろ家の事を
やってくれるのでとても助
かる。
娘がTシャツ着ていて、「あ、
それ」と言うと「あったか
ら勝手にパクって着てる」
(ママ)との事。
それ、バリ伝とイニD描い
てた人が俺にプレゼントで
送って来てくれたTシャツ
だど。
て言ったら、わるいわるい
と言って脱いで洗濯してた(笑
今は「もっこす」と黒地に
白地で大書きしているTシャ
ツを着ている(笑
時の経つのは早いものだ。
子が育つのも早い。
あまり元号で時代を区分け
するのは時代性の整合性が
無いので好きではないが、
1990年代中期でさえ、すで
に30年が経ち、遠い時の彼
方になろうとしている。
なお、娘に現代の三原の
若い子の言葉について伝
えてから尋ねた。
「今の三原の若い子は『じ
ゃん』『さぁ』を普通に使
う。『だからさぁ』とか『そ
うじゃん』とか」と言うと、
「え~?あたしらは『じゃ
けぇ』『そうじゃろ』だよ」
と言う。
そういえば、娘と同世代の
三原の人たちは男女とも
「だからさぁ」「~じゃん」
は使わない。
なるほど~。
今の30才前後あたりで一つ
の世代カンバセーションの
区切りがあるな。
たぶん、スマホ大普及時代
と黎明期に幼少期だった人
たちの境界か。
娘も多分、言葉のジェネレ
ーションギャップを感じる
時代が来るのだろう。
東京言葉はそれほど変化は
無いのであまりそうした事
は感じはしないが、東京弁
からも、女の子が「~わ」
「~だわ」と言うのは今は
消滅した。
私の世代の女性は「知らな
いわ」とか「それ、なさっ
てよくってよ」という女性
特有の言葉を使っていた。
「ちげーよ」「早くやれよ」
とかいう言い回しは女性は
絶対に使わなかった。使っ
てたのは積み木崩しみたい
なズベだけ(笑
ただ、1970年代~80年代初
期でも、地方出身者の子が
東京の大学に来て、標準語
を使おうとしていても「~
だわ」とか「~ってよ」と
いう言い回しは一切使って
いなかった。
多分、1960年代の日活映画
に出て来る女性がよく使っ
ていたようなそういう言い
回しは東京弁女性言葉だろう。
なお、「ってやんでぃ。べら
ぼーめ」という言葉は私の
世代ではすでに存在しない。
それは100%死語(笑
「け~っ、しょってらい」
というのもサリーちゃんの
三つ子やカブの時代で終了
だ(笑
以前、会社で一回り上の上
司たちが私を称して言って
いたらしい。「あいつ、とっ
ぽいとこあるからさぁ」と。
それを私の5学年上の先輩が
私に伝えたが、先輩や上司
は齢が5学年以上離れていて
も意味が通じていたようだっ
た。
だが、私は皆目意味不明だっ
た。
同席して聞いていた私の1学
年上の同僚も意味不明と言
っていた。
どうやら、東京でも1955年
生れあたりを境目として言
葉のギャップがあるようだ。
トッポイってなんすか?(笑
ナウでイカしたヤングが
ホットでごきげんなボイン
のナオンをハントする事?
(おいらの時代でもすべて
死語)
30年以上前、父と銀座で二
人で飲んでいた時、父がボ
ーイさんに声をかけて、「君、
ビールをくれたまえ」と言っ
てたのにちと驚いた事がある。
「1960年代日活映画かよ」
と。
なお、父は広島県に転住後
も、東京時代が長かったか
らか、最期まで標準語だっ
た。
今88才でバイク乗って、車
運転して、太極拳やってて、
時事問題を俺と議論する存
命している母も標準語を日
常的に話す。
標準語というか東京弁。
ただ、母は時々山手線の事
を「省線」と言う(笑
東急線からの乗り換えの時
とかに。
戦後かよ?(笑
まあ、戦後の東京住まい人
なんだけどさ。
最初父と住み始めたのは、
東大のすぐそばの本郷の街
だった。
ただ、母は横文字苦手みた
いで、きょうの晩御飯はお
手軽にしようと車中で娘と
の話になった時、「あそこ
のマックのハンバーガーが
おいしいの。そこそこ、そ
このマック!」とケンタを
を指して言ってた模様(笑
娘が「ケンタッキーでしょ」
と言うと「そうだった。は
い、そこの・・・マック入って」
との事だったらしい。
帰宅後、私にも「マック買っ
てきたよ~」と言ってた(笑
ちゃうがな、それ。