こわれるまでは#3
【湖とソフトクリーム】
旅行をしている。
今はもう帰りの列車だ。
この一泊二日で、なにもかもが通り過ぎて行った。魂をあの宿に置いてきたような気分だ。
行きと同じ風景を見ている。田んぼ、森、キラキラとする川。たった一日経っただけなのに、私はそれらを懐かしい気持ちで眺めている。眺める隙もないが。
赤いロマンスカーは、すごいスピードで走っている。私たちが風景を眺めるには早すぎる。それなのに、田んぼにうつる夕焼けはなんとも言い難く、心のど真ん中に突き刺さる。
かわいいと思い、美しいと思った。矛盾を感じる。かわいい地球だと、感じた。太陽が沈んでいく。田んぼがそれをうつす。小さな地球を見ている。私に優しい地球だった。
「見て、見て」
私は窓を指差す。
「ん? ああ、きれいねえ」
「そう、きれいなの」
「夕焼けがね」
「そう、夕焼けが田んぼに、鏡みたいになって……」
勢いに任せて話し始めてしまった私は、だんだん弱くなる。
「きれいだなと、思ったのです」
最後は謎の敬語になった。そのころにはもう、鏡の太陽はなくなっていた。
居場所を探して水を飲む。「箱根の森から」と、ラベルに書かれている。旅行先での最後の買い物である。
昨日の夜、私はとにかく眠たかった。宿につき、温泉に入り、夕飯を食べて、もう限界を迎えそうだった。温泉や夕飯は驚くほどよかった。それがまた私を眠りへと誘った。
しかしそれでも、酒はかかせなかった。せっかくの旅行だ。旅行の醍醐味といえば、宿でのんびり地ビールなのだ。三種類の缶ビールを買って、結局ほとんど私が飲んだ。酸っぱいもの、苦いもの、フルーティーなもの。すべてが良くて、幸福はここにあった。
うふふ。なんて素敵な夜なんだろう。
私はその時間を噛み締めた。
うーん、酸っぱい。なにが入っているのだろう? もう部屋を暗くしてしまったから、原材料が読めない。分からないけど、美味しいからいっか。
部屋にあった湯呑みでビールをぐびり。
まるで雲の上にいる感覚。
缶ビールを最後まで注いだ湯呑みをぐっとあおって、脳内がふわふわした。
ふう。歯を磨いて眠ろう。
そう思ったのが23時ごろ。
ふん。トイレトイレ。
そう思ったのも23時ごろ。
さて。いつも睡眠導入にしている動画を流して……。
その次の瞬間の記憶がない。たぶん眠ったのは23時半前くらいだろう。こんなに早く眠ったのは何年ぶりだ。
気がついたら朝になっており、朝食だった。
この朝食がものすごく。いろいろな意味でものすごく。美味しくて量が多かった。米がとにかく美味しくておかわりした。
そんな宿に別れを告げて、私たちは観光へ向かった。
私はキラキラと輝く川ではなく、キラキラと輝くガラスを見た。ガラスたちはいろいろな光が反射して、虹の光を放っていた。写真にうつそうとするものの、そのキラキラは写真にはうつらなかった。
だから私は、じっと見ようと思った。
じっとじっと見て、焼き付けようと思った。この美しさを忘れたくない。チラチラと揺れる小さなガラスたちが、私の心臓を焦がしていく。
火傷になれ。
水脹れになったら、それを潰してその痛みでガラスたちを思い出す。そうしてできた火傷跡を、私は切り傷と呼びたい。
なにもかも余裕がなくて、誓いの鐘は鳴らさなかった。
誓うようなこともないしな。
私たちのなかの誰かが言った。
誓うようなこともないしな。本当にその通りだった。しかしそれを言われたとき私は、なんとなく手を握りしめた。
次に、私たちは船に乗った。
これのなんと素晴らしいことか!
疲れ切っていたので乗船して何分かは、船のなかにある椅子に座っていた。そこからなんとなく、ああきれいだねと水面や空を見ていた。
「風が気持ちいいー」
そんな連絡に釣られてデッキへ出た。
そこはまるで。
風が強かった。暑い日なのに、風はなんとも冷たくて気持ちがいい。ざぶざぶと、船が水を切る音が聞こえる。
デッキから見た水面はどこか青く深さを感じた。真冬の高い空。いや違う。海のような。同じ水たまりなのだから当たり前か。でもなにもかもと違う、深く濃い、緑を一滴足した青をしていた。
これが湖。そういえば私はこの湖に憧れていたことをここで思い出した。
すう。はあ。潮の香りがしない。
大きな水たまり。それが湖。波があるのが不思議でそれをしばらく眺める。髪がばさばさと乱れる。きゃははと誰かが笑う。キラキラと湖面が太陽を揺らしていた。
湖面の太陽の破片は、幸いカメラにもうつったので保存した。
とにかく、私は綺麗なものにぶつかったのだ。
三十分、私は何回も殴られ続けた。それでも立ち続けた。美しいものは、いつも私を攻撃してくる。だから美しいものを見ることをやめられない。
船を降りた。この湖が私に与えてくれた感動は、筆舌に尽くし難い。
船を降りた私たちは、歴史的建造物を見に行った。
石屋さんがあったので入店。私は石が好きだ。
「この石のおみくじがやりたい。私がお金を出すからみんなでやろう」
迷わず言った。それほど石が好きだ。
みんなで石が入った袋を適当に選んで取った。
それぞれの石には意味があって、それで占いのようなことができた。
「仕事運がアップ」「人生やりたいことやらなきゃ損」
などのラインナップの中、私の占い結果は。
「疲れているかもしれない。ゆっくり休もう」
……ふん。なかなか言うじゃないか。
私は確かに(おそらく日々に)疲れていた。そしてゆっくり休んでいる最中だった。図星をつかれて「おおー……」としか言えなかった。やはり私は石が好きだ。
石屋さんを出て少し散策したあと、小さな売店を見つけた。そこにはソフトクリームの文字。食べるっきゃない。
勇み足で売店へ近づくと、券売機の片付けをしているおばさまが。
これはまさか。
「あのー」
「はぁい」
「ソフトクリームって……」
「ああ……ソフトクリームねえ」
ああ。
終わってしまったのか。軽い絶望に暮れながら、私は
「あっ、終わってしまったなら、いいです!」
と言った。
「うーん、いいよぉ」
「いえでも」
「四百円くれたら、おばちゃん作っちゃうよ」
にこっと人懐っこい笑顔でそう言ってくれたおばさまは、私を歓迎してくれていた。
悪いなあという気持ちと嬉しい気持ちがぐるぐるしていた。
そういうやりとりをした後に、外国人の方が何人かご来店。これは、まさか。
「ソフトクリーム、どこで買えますか?」
わあ。おばさま、私のを受け入れてしまった手前、断れず。
「四百円ね、いくつ?」
「六つ」
「六つ!?」
これには私も目をひん剥いた。なんということだろう。私は申し訳ない気持ちでおばさまを見た。おばさまも私を見ていた。ニコニコしていた。たはーっという顔でもあったかもしれない。
特に何かを言うこともなく、おばさまは奥へと入っていき、ソフトクリーム作りに勤しみ始めた。
最初に頼んだということもあって、私のソフトクリームは爆速でやってきた。
ありがとうございます、と言ったあと、ぺこりとおじぎをしたら「早く食べないと溶けちゃうよ」と言われた。照れ屋さんなのかもしれない。
あまりにも嬉しいソフトクリームだったので、写真を撮った。四枚。こだわりの四枚だ。
ぱくり。
うーん。くちの中に広がる甘くて濃厚なバニラ。これが食べたかったのだ。売店のすぐそばにあったベンチに座り、湖を眺めながら食べた。
美しいなあと思った。甘くて、美しくて、素晴らしい。
出てきたときのように爆速で食べ終わり、それを惜しんだ。
美しくて美味しくて、涙が出そうになった。離れがたい。
別れというものはすぐにやってくる。それは突然であったり、順当であったり。心の準備があっても、「別れ」はすぐにやってくる。
すでに私はロマンスカーに乗り、あの湖とソフトクリームを置いてきている。
キラキラと光っているものばかりみた旅行だった。美しい旅行だった。
私は今日、あの湖とソフトクリームの夢をみる。別れはやってくる。だからこそ思い出がある。それにしがみついて、私たちは生きないといけない。
その思い出は常に変わっていく。誰かの死であったり、友だちとの別れであったり、遊園地へ行ったことであったり。
今日、私の思い出はあの湖とソフトクリームなのだ。私はそれを抱いて眠る。
そうすれば、あの夢をみられるでしょう。そうだと言ってよ。
疲労感のあるなかで、私は家に入った。これから、お酒を飲んで、歯を磨いて、眠る。思い出はあれほど煌びやかだが、この家も悪いものじゃない。
ここは私の城なのだ。このなかで眠れるのは幸福なのだ。
さて、お酒を用意しよう。あの湯呑みを思い出して。お酒を飲むときの思い出は、やはりあの地ビールだろう。
旅の続きを家でちょこっと、してしまおう。
家で旅の続き。嬉しい響き。
ふう。
かしゅっ。
今回の旅行すべてに、乾杯。
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