先日、鬼滅の刃無限列車編が地上波初放送されて、Twitterは大賑わいでした。
私にはチャンネル権がないのでリアルタイムでは見られず、映画を見たときの記憶を頼りにさも見ているかのようなツイートを繰り返すという奇行に走りました。(映画は4回鑑賞済み)
さて、鬼滅の刃については語りたいことがたくさんあるのですが…。
今回は無限列車編についての、さらに十二鬼月・下弦の壱「魘夢」に限定して書こうと思います。
※この記事に書いていることはねる子の個人的な見解や妄想です。
ねる子から見た魘夢
まず最初に申し上げておかねばならないことがあります。魘夢は…いや、魘夢ちゃんは、鬼滅の刃における私の推しキャラであります。
鬼滅のキャラクターはわりとみんな好きなのですが、魘夢ちゃんは特別好きなのです。彼こそ無限列車編のヒロインです。←
何が好きかって言うと、まずそのビジュアル。
かわいいです。
かわいいです。
あのキャラクターデザイン、最高すぎる。
十二鬼月はほとんどみんな和装なのに、デフォルトで洋装。
エメラルドグリーンの瞳、虚ろなタレ目、長いまつ毛。
少女と見紛うような線の細い青年。
特徴的なのがそのヘアスタイルで、毛先に向かってピンクになるグラデーションカラーと、左右一本ずつ生えているネギ。
かわいい。そしてエキセントリック。
あれ?
この記事で魘夢ちゃんとはどんな人かを書こうと思っていたのですが、「かわいい、そしてエキセントリック」の一言で彼を表現できることに気づいてしまいました…。
と言いつつ、ネタはあるのでもちろん語ります。
魘夢の魅力は「エキセントリックさ」
魘夢ちゃんの最大の魅力は、「普通でない」ということ。鬼滅の刃における魘夢ちゃんの出番のなかで、彼が「普通」であったことは多分なかったと思います。
彼らしさを最も表していたシーンは、おそらくみなさんの印象にも強く残っていることでしょう。
所謂「パワハラ会議」です。
パワハラ会議の魘夢ちゃん、どう見ても頭オカシイですよね。
どう考えても変態。普通なわけがない。ブッ飛んでる。かわいい。
私はアニメでパワハラ会議を見て、彼のことがぐっと好きになりました。
「好き」という言葉ではない気がするけど…とにかく彼に惹かれたのです。
奇抜ないでたち、一般的には理解されない内面。
それをなんと思われようと言われようと、気にしないメンタル。
魘夢ちゃんは自分のために生きていると自覚しながら、自分のために生きている。
私はあんなに頭のおかしい人ではないけれど、まわりの「普通」とは少し違うところがあって。
けれど、あんなふうに自由でいられないから、羨ましい、と確かに思うのです。
魘夢ちゃんはうんとわがままで、そして幸せに生きているんだ。
私がおいそれとできないことを平然とやってのけて、自分と大切なものだけが幸せでいることを望み、掴み、奪い、その見返りを嬉々として享受するひとなんだ、と。
もちろん手に入らないものもあったでしょうが、舞い込んできた幸せは都度しっかり味わっていたんじゃないかと思うのです。
私はわがままに振る舞うことはできないくせにわがままな心はしっかり持っていて、いつもそのギャップの狭間でもがき苦しむことになるから、魘夢ちゃんの振り切ったエキセントリックな愛が羨ましいのです。
魘夢と無惨の「幸せの箱」
わがままに生きられる魘夢ちゃんが羨ましいのなら、無惨様のほうがわがままに生きているのでは?と考えたこともありました。でも重要なのは「わがままに生きていること」じゃなくて、「幸せに生きている」というところ。
幸せとは常に主観的なものです。
魘夢ちゃんは己の欲求のために他者を犠牲にすることも厭わない、非常にわがままな人です。
ここまでは無惨様もおなじ。
しかし魘夢ちゃんは、そのわがままによってもたらされた利益を「幸せ」として享受できる人。
一方、たぶん無惨様はもたらされた利益を幸せと感じられない人。
善逸が無限城で獪岳と邂逅したとき、「あんたの幸せの箱には穴があいているんだ」と語るモノローグがありましたが、きっと無惨様の幸せの箱には蓋がついている。
幸せの色や形や大きさを限定し、それ以外のものは幸せではないと蓋をしてしまっているから、箱の中に幸せが入ってゆけない。
いつまでも胸いっぱいの幸せを感じることができないのではないでしょうか。
魘夢ちゃんの幸せの箱は、入口は大きくいびつなかたちをしていて容積は少なめ。
箱がいっぱいになったら中身を一気に飲み干して、他者の犠牲を厭わずまた一から幸せをためていくのではないか…と妄想しています。
つまり、魘夢ちゃんの箱はあらゆる幸せを取り込みやすく、わりとすぐにいっぱいになる。
魘夢ちゃんは同僚(?)の下弦の鬼たちが次々と粛清されてもどこ吹く風(むしろ喜んだ)で、自分の命が無惨様によって奪われようとしたそのときでさえ幸せを感じることができる人。
そういう彼の感性が好きで、自由なエキセントリックさが羨ましくて、見た目がとてもかわいくて。ゆえにぶっちぎりの推しなのです。
魘夢の魘夢らしい過去
さて、そんな魘夢ちゃんの過去とはどのようなものだったのでしょうか?鬼滅に登場する鬼は今際の際に悲しい過去が語られることが多いのですが、魘夢ちゃんの過去は特に語られぬまま、彼は命を散らしました。
ファンブックでもさほど詳しくは語られていなかったと記憶していますが、ネットで見つけた情報でその過去が明らかに。
かつては夢と現実の区別がつかず周囲を困惑させる子供であり、成人後は医者でもないのに余命短い人間を相手に催眠療法で「健康になった」とぬか喜びさせて金を巻き上げ、後に真実を暴露して絶望に叩き落とすという、鬼となる前もやっている事は変わらず最低な人間だった。魘夢ちゃんらしさが全開です…。
引用元:https://dic.pixiv.net/a/魘夢#h2_5
その後は、小腹が空いた無惨にたまたま腑を喰われて致命傷を負うが、傷みさえ感じないような状態になった事で自分を喰った鬼の無惨の事を羨んで、褒めそやした為に、気まぐれから鬼にされたというこれまた異常な経緯であった。この頃から無惨の事を崇拝するようになったのだが、無惨の方はあくまで空腹時の些末事に過ぎず、魘夢の事は忘れていたらしい。魘夢ちゃん無惨様にものすごい無下にされててかわいい…。
引用元:https://dic.pixiv.net/a/魘夢#h2_5
鬼の過去エピソードには悲しく切ないものが多く、涙することも少なくありません。
累、妓夫太郎・堕姫、童磨、獪岳、猗窩座、黒死牟…。
そうそうたる涙エピソードのなかにあって、おやつ感覚で腑喰われて気まぐれで鬼にされて崇拝するほど無惨様に夢中なのにさくっと忘れられていたという面白エピソードをぶち込んでくれる魘夢ちゃん。(好き)
私は魘夢ちゃんのぶっ飛んだエキセントリックさが好きなので、ここで「辛い過去があって可哀想にこうなってしまいました…」みたいな過去じゃ嫌だなと思っていたんです。
人間時代から「ぶっ飛んでいて誰もそばに寄り付かないけど本人はそれなりに幸せに暮らしていました」っていう過去がぴったりだと思っていたので。
彼の自由さは天賦の才。
ずっと外道でしたっていうのが魘夢ちゃんらしい。
他者の目を気にせず自分の好きなように生きて、好きなものを思い切り好きになって、それらのためには自分の命すら惜しまない。
幸せな人だなぁと、やっぱり思います。
魘夢の自由さが救いになることもある
私は子供の頃から少し変わった子だと言われることが多かったので、他人に理解されないことに苦しんだ時期もありました。大人になって処世術もある程度度身につけたし、自分自身でなんとか消化できるようにもなりましたが、今でも苦しいときはあります。
理解されないことが苦しくて仕方ないときは、魘夢ちゃんのように「理解されようとは夢にも思わない自由さ」も必要かもしれません。
普段はバランスとって生きていても、どうしようもないときはいっそ振り切ってしまうのも手かなと。
いろんな生き方がありますものね。
しかし…小腹がすいた時にたまたま手を伸ばしたおやつが魘夢ちゃんだったって、運命的すぎて笑いがとまりません。
でもそういうのがいいんです。
魘夢ちゃんはそういう感じで。
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