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チクロンBは確かに殺虫剤だったが、殺人剤でもあった

 ハフィントン・ポストのこの記事をきっかけとして、TwitterのタイムラインにチクロンB(ツィクロンB)※1の話題が流れてきた。
 
チクロンBは殺虫剤であり、簡単に人を殺せるようなものではない。だからこれを使ったというホロコーストは嘘だ、といった言説が、Web上にはあふれている。

Wikipedia(「ガス室」の項)にさえこんな記載がある※2くらいだ。

ただし、「チクロンBはチフス対策の防疫用衛生害虫駆除剤であり、換気装置の無い倉庫や地下室などを用いての連続的大量殺人は不可能である。ナチスによるユダヤ人殺害にガス室は用いられていない」という主張も存在する(ホロコーストの項を参照)。

 

日本での、この手の言説のネタ元となっているのは、多分木村愛二氏あたりだろう。[1]

▼殺虫剤チクロンBで人を殺せるのか

 短い文章では詳しい論争史の紹介はできない。論争点を簡単に紹介することにする。

 まず第一は、「大量虐殺」の決定的な物的証拠、「凶器」そのものへの疑問である。「ガス室」で使用された「毒ガス」は「チクロンB」だとされ、そのラベル入りのカンはあらゆる映像作品にも登場する。

 NHKが昨年放映した前出の『ユダヤ人虐殺を否定する人々』にも、古びたカンのラベルの文字「チクロンB」にフォーカスインする無言のインサート画面があった。

 ところが、ホロコースト否定論者の主張によると、「チクロンB」は1923年に開発された「殺虫剤」で、第二次大戦当時に大流行した発疹チフスの病原体のリケッチャーを媒介するシラミ退治に使われたものなのだ。私の手元には、カナダの裁判で提出された「チクロンB」の取扱い説明書がある。

 それによると「チクロンB」は、木片などに青酸ガスを吸着させ、カンに密閉したものである。カンから出して加熱すると、沸騰点の25.6度以上で青酸ガスが遊離するが、指定の使用方法では蛾を殺すのに24時間かる。人体実験の報告はないが、ニュールンベルグ裁判で証拠とされた収容所長の自白などのように、数分とか数十分で人間を死に至らせるのは、とうてい不可能である。

(略)

 また、次のような興味深い説明もある。

 「第二次大戦中、ドイツはタブン、サリン(ともに青酸ではなく「神経剤」の分類)を開発したが使用しなかった。その理由は敵側による報復使用や国際世論の非難を恐れたことのほかに、ヒトラー自身が第一次大戦で毒ガス被害を受けたことによるという説もある」「サリン」について松本市の事件の記事では、「無風状態で使用すれば核爆弾の威力」と解説している。「ヒトラー自身が云々」の真相は確かめようもないが、これだけ強力な「殺人用」毒ガスを開発していたドイツがなぜ、ユダヤ人を「大量に抹殺」するために「殺虫剤」を使ったのか。この点はまったく理屈に合わない。

 

普通の人は、アウシュヴィッツのガス室でチクロンBが使われていたことまでは知っていても、その毒性についての詳しい知識など持っていない。なので、チクロンBは殺虫剤だった(このこと自体は事実)とか、虫を殺すのにも長時間かかったとか言われると、いかにも大量殺人には向いていないかのように思わされてしまう。しかし、チクロンBの主成分である青酸ガス(HCN)は、昆虫より人間に対する毒性のほうが遥かに高いのだ。
 
実際、そのことは某ML上での木村氏との論争でも指摘され、とっくに決着が付いている。その論争の記録を、こちらのサイトで見ることができる。

Zyklon Bの本来の使用目的は殺虫用ですが、その主成分であるシアン化水素(HCN)は、昆虫よりも哺乳類(当然人間を含む)に対しての方がはるかに殺傷力が大きいという特徴を持っています。(だからこそ戦後低毒性の殺虫剤が開発されると危険な青酸系殺虫剤は使われなくなった。)通常、殺虫用にはHCN濃度16,000ppmで20時間という方法が用いられますが、人間の場合、わずか150ppmのHCNに30分から1時間さらされただけで生命の危険を生じ、300ppmの場合、数分で死に至るとされています。これは、通常の化学辞典("The Merck Index"等)にも記載されていることです[6]。当然、殺人ガス室の壁面がさらされるHCNガスの量(濃度×時間)は、シラミ駆除室の場合よりはるかに少なくなります。

なお、1日以上の間隔を置いて使えというのは、自然換気の通常の建物に対して殺虫目的で使う場合の話で、しかも民生用の説明書として十分な安全係数を織り込んで書いてあるのです。使用濃度が低く、換気装置も備えているガス室にはまったく当てはまりません。

(略)

[6] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/l/leuchter.fred/leuchter.faq1

 

ちなみに、アウシュヴィッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘスは、自らが採用した安価で効率的なガス殺手段を、次のように自慢している。[2]

 ヘスはみずからトレブリンカを訪れたこともあったが、その後処刑されるまで、自分がアウシュヴィッツの設備に他の収容所にはみられない改良をほどこしたことを誇りにしていた。
 「トレブリンカの所長が私に言うには、彼は半年間に8万人を始末したとのことだった。これはおもにワルシャワ・ゲットーのユダヤ人たちで、使用されたのは一酸化炭素ガスだった。彼によれば、この方法はさほど効果的ではなかったらしい。一方、私がアウシュヴィッツを建てたときに使用したのはツィクロンBだった。……もうひとつの改良点は、一度に2000人が入るガス室を建造したことだ。これに対して、トレブリンカにあった十のガス室では、それぞれ200人しか処理できなかった。」(1946年4月5日のニュルンベルク裁判でのヘスの宣誓供述より)

 

また、チクロンBは元来ほとんど無臭のため、誤用防止の目的で臭素を混ぜて製品化することが義務付けられていたが、ナチ親衛隊は製造元のデゲシュ社に対して、アウシュヴィッツ用に臭素抜きの製品を特注していた。[3] その理由は言うまでもないだろう。【これは事実ではないとのことなので修正。コメント欄参照】

ホロコースト否定論者たちは、一方でチクロンBは殺虫剤に過ぎないから大量殺人など無理と言うかと思えば、他方では、チクロンBがあまりに危険なため、ガス室の換気に時間がかかりすぎて大量殺人はできないと主張したりする。そして、そうした互いに両立し得ない主張をしている者たちが論争することもなく平気で共存している。

こうした行動様式は、ホロコースト否定論者だけでなく、日本の戦争責任や植民地支配責任を否定する者たちにも共通して見られる。どちらも、目的は真実の追求ではなく、明白な歴史的事実を否定することだからである。歴史を都合よく歪曲するためのネタになるなら、それこそ何でもいいのだ。

※1 独:Zyklon B 英:Cyclon B
※2 歴史修正主義者が絡んでくる話題についてはWikipediaは信用できないというサンプルの一つ。ちなみに、歴史の「修正」というと、新たな発見や考察により間違っていた通説を正すかのような印象を与えるため、私としては歴史改竄主義または歴史歪曲主義と呼ぶことを推奨したい。

[1] 木村愛二 『映画「シンドラーのリスト」が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑』 噂の真相 1994年9月号
[2] ティル・バスティアン 『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』 白水社 1995年 P.54
[3] 同書 P.98

 

アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)

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ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服―人種差別表現及び「アウシュヴィッツの嘘」の刑事規制

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ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

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アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

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ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして (岩波ブックレット)

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  • 蜉蝣 (id:hotelsekininsya)

    「チクロンB」で検索するとこのページもそこそこ上位に引っかかってくるので、読みました。一点だけ、よくある誤解を指摘しておきたいと思います。

    >また、チクロンBは元来ほとんど無臭のため、誤用防止の目的で臭素を混ぜて製品化することが義務付けられていたが、ナチ親衛隊は製造元のデゲシュ社に対して、アウシュヴィッツ用に臭素抜きの製品を特注していた。[3] その理由は言うまでもないだろう。

    少し考えて欲しいのですが、チクロンBに当時の法律で義務つけられていたらしい警告剤である「ブロモ酢酸エチル」を添加していたのは事実です。この警告剤があることにより、害虫駆除作業現場では、「何か刺激臭がすること」により、少なくとも「何だろう?」と、もしチクロンBガスが少しでもどこかから漏れていたら気づくこともできます。

    しかし、ユダヤ人をガス室で殺処分するというときに、そんな刺激臭に気付いても手遅れです。だって、すでにガス室に閉じ込められているのですから、部屋にチクロンが投入されて、その臭いがしたところで後は死ぬだけです。シアン化ガスは強力ですから、数分で人は死ぬのです。

    つまり、警告剤をディゲシュ社が抜いたのは、ユダヤ人虐殺に邪魔だから、ではあり得ないのです。そうではなく、これはブロモ酢酸エチルが当時不足したからなのです。ディゲシュ社は法律で添加が義務付けられていた警告剤を、単に自社都合で違法にも勝手に抜いただけなのです。このことは、プレサックの『アウシュヴィッツ:ガス室の操作と技術』にも書かれています。

    「刺激物なしのチクロンB(ohne Reizstoff)は、1942年8月からデッサウ工場から納入されるようになった。これは、一般的に使用されている警告剤であるブロモ酢酸エステルが不足していたためである。 フランクフルトに残っていたディゲシュ研究所の人々は、窒息効果のある塩素化炭酸エステル[クロロホルム酸メチル]に代えたかったのだが、フリードブルクの経営陣は警告剤なしのチクロンBを製造することに決めたのであった。」
    https://holocaust.hatenadiary.com/entry/2020/08/21/031127#p017

    こうした誤解は、世間に蔓延る多くのデマと一緒で、一度拡散されてしまうとなかなか消えません。ホロコースト否定論はもちろん嘘ですが、いわゆる「正史説」の中にも誤りは色々とあります。他に時折否定説への反論として聞かれる、「チクロンBの人間の致死濃度はシラミよりもはるかに低いから、(約40年後の)ロイヒター調査で害虫駆除室よりもガス室跡の方がシアン残留物検出濃度が低かったのは当然である」も誤りです。害虫駆除室の検出濃度が高かったのは、害虫駆除室の採取試料に含まれていたシアン成分の元はプルシアンブルーがほとんどだからです。ガス室では、害虫駆除室とは使用条件が異なるため、プルシアンブルーを生成しなかったからと考えられます。

    以上、誤解を僅かでも解きたいので私のコメントを承認して公開状態にしてくれると有難いです。できれば本文に訂正の注釈をお願いしたいところではありますが。

  • 計測人

    「日本を植民地とされても日本国民は武器が無くても戦い1000万以上の国民は息絶えたと思います。」と書いていますが、これは何を根拠にまるで見て来たかのように言っているのでしょうか。
    次に「日本国領土は幾つにも割譲(米国、イギリス、ソ連、フランスなどから割譲される)」こちらについては、もし本当に一億玉砕を実行していた場合は連合国により予定されていたことになり。
    当時、採算が合わず各国が植民地支配から手を引き始めたことは考慮されていない発言に思います。
    太平洋戦争でやらなくても良い、むしろ勝つ見込みなどゼロ以下のマイナスだった事実を差し置いて日本が行った植民地支配を正当化したいだけの意見と認識されるコメントでありますね。

  • あかり

    植民地支配は1500年代から白人を中心として行われるようになってきています、先の大戦でハルノートの内容を日本が受け入れることは、それは正しく日本が武装解除することを意味することです。
    これでは白人によるアジア植民地化を認めざる得なくなることを意味するのです。
    当時の日本精神をもってすれば、日本を植民地とされても日本国民は武器が無くても戦い1000万以上の国民は息絶えたと思います。
    生き残った日本国民も他アジア植民地と同じく支配され暴力、辱めを受け日本国領土は幾つにも割譲(米国、イギリス、ソ連、フランスなどから割譲される)され支配されたことは間違いないでしょう(他の地域がそうだからです)。

    そのへんは無視ですか。
    当時の世界状況から判断なされば、もっと違う歴史感がでてくると思いますが、白人の植民地支配がいいと仰りたいように聞こえますが(白人の植民地支配は残虐ですよ、日本は学問教育した、インフラ整備、日本軍人将校になったものもいる)如何でしょうか。

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