氷河期官僚から早期退職の話を聞いて哀愁を思うた話。
某日、於 霞が関 某務省の食堂。よくしてもらっている隣課の官僚Kさんとランチを共にしていた。彼は旧国家II種、いわゆる“コッパン(国家一般職)”の係長である。
「ぼくさぁ、再来月45歳になるんだよね。」
「あ、そうなんすね。おめでとうございます。」
ということは、30代の私と10歳も年齢は変わらないことになる。
「あんまりおめでたい気持ちになれないよね、この年になるとさ。アラフィフなんだよ。」
まあそりゃそうか、と思う。私だとて、別に誕生日を迎えて今さら嬉しいも悲しいもないのだし。790円の定食に箸を伸ばしながら、彼がぽつりと言った。
「最近、同世代と飲むとね、たまに話題になるんだよ。早期退職の話。」
早期退職。
ニュースで見聞きする言葉ではあるけど、私がこれまでいた職場には存在しない制度だ。へえ、国家公務員にもそんなのあるんだ。という純粋な驚きがあった。
(※筆者は某省で新人として働いている身であり、色々と疎いのである。しかしであるがゆえに観客の視点Audience Surrogateとして機能するものと思料したりしなかったりしています。)
*「年齢構成の適正化」という建前
霞が関の早期退職制度は、その概要によれば、45歳以上62歳未満の職員が対象となる。つまり、Kさんは”再来月から”この制度の対象になる、ということである。
毎年募集があり、応じれば自己都合よりも割増の退職金(最大15%)が支給される。再就職については官民人材交流センターを通じてパソナ等の民間支援会社が書類作成から面接対策、求人開拓まで無料(税金)で支援してくれる。
至れり尽くせり……とまでは思わない。だが、「去るためのレール」は最低限、整備されているといっていい。
そしてこの制度の公式な目的は、国家公務員の「年齢別構成の適正化を通じた組織活力の維持」を図ることである。だがこのもっともらしい建前は、最初から破綻している。
「ぼくらの世代はさあ、10次面接とかあったんだよ。ヤバいよね。いま思えばよくやったよ。しかも全然採用数いないのよ。」
事実として、45歳前後の世代は、「人員構成上の谷」である。
いわゆる氷河期世代(概ね1970〜1985年生まれ)と呼ばれ、国家公務員も御多分に漏れず2000年前後の時代において採用数が絞られていた。
彼らの地獄のような就職前線については、もはや例を揚げる必要もなかろうと思う。だから、むしろ人材は足りていない。
つまり「年齢別構成の適正化」の対象に氷河期が入っている時点で、理屈として成立していない。
*霞が関のカースト──総合職と一般職の断崖
ところで、霞が関の大卒以上級のプロパー官僚には、総合職(旧I種)と一般職(旧Ⅱ種)が存在する。
この二者には、(ここでも)建前として職務設計上の差がある。
すなわち総合職の仕事は「政策企画・立案」であり、将来の幹部候補としてジョブローテーション、人材育成が施される。
これに対して一般職の仕事は「実施・執行・事務補助」であり、専門職といえば聞こえが良いが、要するに構造的に出世できず、その生涯を係長・課長補佐で終える者が大多数の存在である。
だが、「そんなに仕事内容が違うのか?」というと、実はそんなことはない。一般職も総合職と同等の業務負担を担っているのが現実である。
例えば総合職ほど頻回ではないとしても出先(地方支分部局)への全国転勤→本省へ回帰→また地方へ、という漂流的人事は珍しいことではない。
本省にいれば、国会対応に際して資料作成・夜間待機など能力に応じて本来的には総合職がすべき仕事を担うことは少なくない。
にもかかわらず、単に昇任はないか、あっても極端に遅い。仕事をしても地位・報酬には反映されない。ただそれだけの不遇な区分、それが一般職であり、つまるところ制度設計というより「試験のデキ」が永遠に影響し続ける文化的カースト構造である。
このカーストは、官僚という人種に「国民のために働いている」という使命感を持ち、 「全体の奉仕者」的職業倫理を強度に内面化している(そして勿論この教義を他者に対する道徳圧としてまき散らす)者が多い、ということに支えられている。
民間出身の私は、「そんなものは犬も食わない。」と思うが、どうやら官僚の多くはそう思わないらしい。これはドグマの問題なのだから、「それは間違ってると思う。」といくら言っても意味はない。「これは、こういうもの。」なのだ。
そしてこの考えが、早期退職制度にも通底している。
*早期退職制度の本音は、一般職を「消耗前提の使い捨て」とすること。
霞が関における早期退職制度は令和になってから始まった、まだ6年しか歴史が無い新しい制度である。すなわち令和時代の一般職は、最初から実務者として使い潰すことが想定されている。
20年前後という長きにわたり散々酷使された挙句、さしたる昇進もないまま45歳(50歳)となり、給与水準が高くなり始め、組織にとって人件費負担を若手に割きたいインセンティブが生まれ、思考も行動も柔軟性がなくなり、昇進した30代の総合職にとって「使い辛い年上の存在」となった頃、退職金と再就職支援で“穏便に退出”して頂く機能。
それがもはや失われつつある天下りに代替する「早期退職制度」である(逆に言えば、天下りがなくなったから、一般職を吐き出す構造が必要になったということだ。)。
しかしこれにシュプレヒコールを上げても意味はない。
国民は一般職のキャリアプランに関心はない。ポスト構造と予算配分は固定化されており、総合職中心の運用が定着し、人事権を握るのもまた総合職なれば改革する動機を持つものが外にも内にも存在しないからだ。
*まるで同調圧で無用者に安楽死を求めるディストピアみたいだ。
早期退職制度は形式上「希望制」となっている。
しかし実際には、構造的に出世が塞がれた中堅層にとって、「いる意味」を失わせる制度設計となっている。人事評価は頭打ち、後輩はどんどん昇進していく。そんな中で「割増金も出すし、再就職支援もあるから、辞めてもいいんだよ?」という空気が漂う。
天下りが消えたことも、早期退職制度が導入され、そして真っ先に間引かれるのが「氷河期世代」だったことも、何もかも偶然に過ぎない。
偶然に過ぎないが、その不遇について否応なく考えてしまう。
Kさんは言った。
「まあ、寂しい思いはあるよね。就職からずーっと総合職と扱いが違って、コンプレックスだったのは事実だよ。でもさあ、今さら『出てってくれるかな?』みたいなこと言われるとさ、腹も立たないよ。忙しいのにも疲れたし、帰郷しようかと思うこともある。でも帰郷しても今より忙しくない仕事ってあるのかな? 待遇が下がっちゃうんだったら今までやってきたこと何だったの? ってなっちゃうよね。出てった人たちのその後も、あんまり良い話、聞かないんだよ。」
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