この間群馬サファリパークに行った時に思ったことがあるの。
オスのチーターは私たちがみてる間中、ずっとウロウロしてた。
止まったのはおしっこをしてた時くらいだと思う。
まあ、私がこのオスのチーターを見てたのは10分くらいだったとは思うのだけどね。
だけど、以前違う動物園でチーターを見た時もずっと動いてたの。
しかもその時のチーターは向かい側にいるシマウマを見ながら歩いてたのね。
ずっと視線の先にシマウマがいるように感じたの。
だから彼とハンターの血が騒ぐのかなって話してたんだ。
こんな狭い場所にいるのは本来のチーターからしたら嫌なことなんだろうねとも話してたの。
でもチーターは絶滅危惧種だし、繁殖させることも難しいという。
なので、人間が繁殖の手助けをすることも必要なのかなとも話してたんだ。
まあ、そもそも絶滅の危機に追いやったのは人間なんだろうけどね。
群馬サファリパークでは2021年にオスのチータを迎え入れてから繁殖計画がスタートしてたらしい。
で、2022年の12月11日の無事に出産されたみたいなんだ。
赤ちゃんが産まれて、すくすく育ってるのをみるとやっぱり嬉しいなって思う。
あの赤ちゃんたちは野生の環境を知ることなく一生を終えるのだろうけど、それでも危険がなくて、ご飯にも困らない環境で育つのだから「可哀想」ではないのではないかなって思うんだ。
虐待されてたり、不衛生な環境だったりしたらそれはもちろん良くないし、そういう環境にはいてほしくはない。
だけど、チーターが生きやすいような環境で人間の愛情を受けて育つことが出来るのであれば、思いっきり走り回ることは出来なくても「可哀想」とは違うのではないかなって思うんだ。
私はね。
前にも似たようなことは書いたけどね。
水族館にいる生き物は狭い空間に閉じ込められて可哀想だ、と思う人もいると思うのだけど、生き物たちが人間のことを好いてくれてたらその場所はもしかしたらとても楽しい場所なのかもしれない。
天敵もいないし、食べるものにも困らない。
そして楽しく遊ぶことが出来る場所なら、それはそこで産まれた生き物たちにとっては幸せな場所なのかもしれないよね。
家のみるくもお転婆な子なので、もしかしたら、野生で育った方が伸び伸びと暮らせたのかもしれない。
でもそれと引き換えに天敵に襲われるリスクは上がる。
家にいたら、安心して寝ていられるし、ご飯にも困ることはない。
何がその子にとって幸せと感じるのかは、もちろんわからない。
言葉が通じないわけだからね。
だけど、人間が愛情を持って生き物に接していたら、生き物たちは幸せだと感じてくれるのではないかなって思ったんだ。
そんなことを考えながらイルカのショーをみていたのだけど、最終的にはイルカと接してる人間たちの方がもしかしたら楽しいのかもって思ったの。
愛を与えてもらってるのは人間なのかもしれないな、なんてことも考えちゃったんだ。
そんな嬉しそうな人間をもっと喜ばせようとしてくれてるのかもしれない。
イルカって賢いっていうものね。
そんなことを考えていたら、ジャンプするイルカちゃんや回転するイルカちゃんはやらされてるのではなくて、自分の意志でしてるのかもしれないよなって思ったの。
賢いイルカの側から考えたら、したくなかったらしないのではないかって思うからさ。
人間が生き物に痛い思いをさせていたり、脅していたら論外だけど、そんなことをしたら人間も襲われる可能性があるよね。
だから、人間だって相対する生き物に愛情を持っていないとすることが出来ない仕事だと私は思ったんだ。
イルカも人間も楽しんでくれてるのなら、それは一緒に生活するうえでこの上なく嬉しいことなのではないかな。
それは、イルカにかかわらず、色んな場面でそう思うんだ。
人間が違う動物と共存していくことは人間のエゴも含まれているのかもしれない。
だけど、それも人間の接し方次第なのではないのかな。
だから、私はどんな生き物でも、その生き物の「側」をついつい考えるようになってきてしまったんだ。
お互いに愛情を持っていたら違う生き物でも心を通わせることはきっと可能だよね。
私はそう信じてるんだ。
水族館だって、動物園だって、人間の楽しみのために作られたものなのだろう。
本来はなくても良い場所なのだろう。
だけど、実際はあるんだよね。
現実として世界中に存在してるんだよね。
それを今更なくすことって難しいんじゃないのかな。
だって、今そこで生活してる生き物たちは、そこに人間が訪れてお金を消費することで、その利益で、生活してるんだよね。
利益が出なくなってしまって、仮に閉園になってしまったら、そこにいる動物たちは殺処分になってしまうかもしれない。
それが生き物たちの幸せに繋がるのだろうか?
殺処分されてしまうくらいだったら、私は水族館や動物園を訪れてそこでお金を消費して、生活してる生き物たちの環境を良くしたいって思うんだ。
これは私のエゴなのかもしれないけどね。
でも、動物園や水族館で働いてる人たちは動物が好きじゃないとそういう仕事をしようとは考えないと思うので、そういう施設で生活してる動物たちは「可哀想」ではないのではないかと思ってるんだ。
それよりも私は、人間の身勝手で捨てられてしまった犬や猫を「可哀想」だと考えてしまうし、飼われていても人間が食べているものを欲しがるからって与えてしまい不健康にさせてしまうことの方が「可哀想」だと思ってしまうんだ。
もしくは無知だったり、経済的に困難なためにきちんと避妊や去勢をせずに多頭飼いをして繁殖させすぎてしまい、飼育崩壊状態になってしまうことの方が「可哀想」だと考えてしまう。
だから私は飼い主がいない猫の保護活動をしていきたいと考えてるんだ。
結局は私のエゴなんだとは思うけどね。
でも私は、動物がほどよく本能のままに生活出来て(たとえ草原で思いっきり走れなかったとしても、動物園等は動物特有の習性を考慮した環境づくりをしてるよね)安心して暮らせている環境であれば「可哀想」とは思わないんだ。
だって「可哀想」と思ってしまったら、その子たちが産まれてきたこと自体が「可哀想」ということなの?って思ってしまうから。
そう思うこと自体が「可哀想」だと感じてしまうの。
人間がその環境を作ったのだから、動物たちには幸せな環境で生活して欲しい。
私は、覚悟もなく飼いはじめて、中途半端に可愛がって、最期まで看取ることをしない人間に憤りを感じる。
そういう人間のもとで生活してた動物たちのことは「可哀想」だと感じてしまう。
動物に対する人間の愛情を感じられないもの。
愛情のない場所で生活する生き物は種類関係なく「可哀想」だと私は思ってしまうの。
せっかくこの世に産まれてきたのであれば、やっぱりどんな生き物でも幸せであって欲しいもん。
動物の本当の気持ちは私にはわからない。
わからないからこそ、「可哀想」なんて上から目線で考えるのではなくて、もっと環境を良くさせられないかなって考えるようにしてるんだ。
実際民間の動物園や水族館って経営難でもあると思うから、せめて少しでもそこでお金を消費して、利益を生んで、動物たちに還元出来たらいいのにって思ってる。
どうか、悪徳経営者は一人も存在しませんように。
正解は絶対にないんだ。
人間が自分たちの楽しさを重視した挙句に作ってきたものたちが、環境や生態系に影響を与えてるのは事実だからね。
だけど、その環境の中にいる生き物たちには、幸せでいて欲しい。
「可哀想」だなんて私は思いたくないんだ。
難しい問題ではあるのだろうけどね。
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