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続く学知の植民地主義 旧帝大による琉球人遺骨盗掘問題〈2〉
琉球併合、日清戦争、韓国併合などにより日本が帝国を拡大した地域で、東京帝大の人類学者、鳥居龍蔵の姿があった。1897年に台湾の円山貝塚を調査した時に、鳥居はピストルを携帯した。多くの原住民族の遺骨を盗掘した。鳥居のように「ピストルを携帯する研究者」が象徴しているのは、植民地における研究が侵略行為そのものであるということである。研究者が植民地で収集した遺骨、情報、モノはそのまま植民地政府による統治や日本軍による戦闘のための材料、戦術情報として利用された。鳥居は日本軍の保護を得ながらフィールドワークを遂行した。
1904年7月、東京帝大の研究者・鳥居龍蔵は帝大生であった伊波普猷の案内で琉球調査をした。伊波は鳥居に対し、自分は近々琉球に短期間帰省するが、ともに琉球に行き、人類学的調査をしてはどうかと提案した。『東京人類学会雑誌』にも、「鳥居理科大学助手には、今回東京帝国大学の命により琉球に出張せらるる事となり」と記載され、鳥居は東京帝大の公務として琉球調査を行い、琉球人遺骨を盗掘したことになる。
鳥居の日記『沖縄乃たび』には次のような記述がある。1904年7月7日、「石棺の中にある人骨を集めた」。7月8日早朝、「伊波が来訪しともに中城村にいった。中頭中城護佐丸城址に石棺が78個あった」。「土のB、Cから人骨多く採取す」。同日記には、遺族から遺骨収集の了解を得たとの記述はない。鳥居は伊波普猷の案内、世話、「了解」があったので、ピストルを携帯せずに遺骨を盗掘することができた。
1929年、沖縄島の各墓地から琉球人遺骨を盗掘した京都帝大助教授・金関丈夫も鳥居による遺骨盗掘について次のように書いている。「私は先年東京で、伊波普猷氏、松村瞭氏博士などからも、親しく同様の実見談を聞いたので、琉球人骨は集まるものと見込みをつけた。現に東京帝国大学人類学教室には、鳥居龍蔵博士が中城城下で採集した頭骨が十数個も所蔵されている」。「城下の岩洞に『そうしのし』と呼ぶものがある。『そうしのし』の意味は不明であるが、中に夥しい人骨が散乱している。鳥居龍蔵が往年、東京帝大人類学教室に持ち帰った人骨も、ここに獲たものであるという」(『琉球民俗誌』)
鳥居が盗掘した琉球人頭骨は、京都帝国大学医学部の足立文太郎教授が分析したことも知られている。(許鴻梁「琉球人頭骨の人類学的研究」1948年)
鳥居は琉球において遺骨を盗掘するだけでなく、御物城から中国製青磁片を収集した。沖縄師範学校、沖縄高等女学校の男女生徒の皮膚の色を調査したが、その際、鳥居は自らの調査のために伊波普猷を助手として使った。また琉球の男女、ノロ、百按司墓、浦添ようどれ等の写真を撮影し、歌謡、神言等を録音した。
墓からの遺骨盗掘は、旧刑法において「墳墓発掘罪」として処罰の対象になった。しかし鳥居が処罰されなかったのは、1879年以降、琉球が日本の植民地になり、「日本人研究者」が遺骨を盗掘しても処罰されない場所になったこと、そして伊波普猷が帝大生という権威を使って遺骨盗掘を「了解」したからであると言える。(敬称略)
(松島泰勝、龍谷大学教授)
研究目的で持ち出された琉球人遺骨を東京大学も保管しているとして「ニライ・カナイぬ会」などが返還を求めている。京都大、台湾大は保管していた遺骨を今年5月までに沖縄側に移管した。背景に琉球遺骨返還請求訴訟で「遺骨はふるさとに返すべきだ」と付言した2023年の大阪高裁判決がある。遺骨返還を巡る国内外の状況について、松島泰勝龍谷大教授に寄稿してもらった。
1963年石垣島生まれ。龍谷大学経済学部教授、ニライ・カナイぬ会共同代表。博士(経済学)。専門は島嶼独立論、琉球先住民族論。著書は『学知の帝国主義』『琉球 奪われた骨』『琉球独立への道』『琉球独立宣言』など。
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