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「新人賞の応募作を下読みはちゃんと読んでるのか問題」について考えてみました

新人賞、自信作だったのに1次選考にも通らないこと、よくあります。そういうとき、よくないこととは分かっていても、1次選考を担当された方を批判したくなります。

そういう気分になるのは私だけではないようです。実際、インターネットの掲示板には下読みへの不満がいろいろと書かれています。数ページ読んだだけで落選させているのではないかとか、流し読みをしているのではないかとか。たまに下読みらしきひとが、そうした書き込みに「そんなわけはない!」という反論をされています。ただ、疑われているだけに簡単に信じてもらえるわけがないですよね。

私は落選時は別として、いつもは「下読みの方がおっしゃってる通り、きちんと読んでいらっしゃる」と思っています。ただ、それでも落選した応募者が少なからず下読みの方々を疑っているわけですから、どこか読み手にも落ち度があるかもしれないと思って、表題のことについて考えてみたのです。

その結果、確かにきちんと読んでいるけれども、読み方がよくないから応募者から疑われているという結論に至りました。

最近、私は数人の文芸評論家の仕事作法について調べていました。ここ最近、書評家の仕事の雑さについて不満を持っていたからなのですが(注)、この方法で読むと小説の良さを見落としてしまう可能性があるよなと思うことがいくつか見られたのです。

例えば、読書して気になったところをマークして、その箇所について集中的に言及するという批評の仕方。これは意図せずして書き手を馬鹿にしています。「取り上げたところ以外は削除しても構わない」と言っているようなものですから。

小説というのは全体像があってのものですので、部分だけを取り上げてここはよかったというのは読み方としておかしいんですよね。例えば、織田信長の生涯を書いた小説について「桶狭間の戦いが面白かった」とだけ書くのは不案内もいいところです。歴史教科書の、「ここテストにでるよ!」って話じゃないんですから。「信長の人生は波乱に満ちていたが、桶狭間の戦いで勝利を収めたことが彼の人生を方向付けたのだった」(実際は違いますけどね)というのであるなら、全体と部分がはっきり書かれているので、よい批評となります。

細かくメモを取る方法はよいのですが、これはこれで問題があるんですよね。読み手の能力の問題もありますが、これだと複数のテーマが絡まる小説をどうやって把握するのでしょうか? 小説は丁寧に読みすぎると近視眼的な読みになってしまいがちなんですよね。この読み方だとどうしても、テーマの構造を理解するのは難しくなりますよ。現代はいろんな事象の集合体といえますから、現代文学のテーマが複雑になることは至極当然です。にもかかわらず、テーマが複数あると処理できなくなる読み方をするのは、端的に言って現代的じゃないですね。このような読み方の結果として「単純化な現代」が純文学として並べられるとしたら、これほど悲しいことはありません。それだったら、新聞の社会面や雑誌のルポルタージュを読んでいるほうがよっぽどいいですよ。

それとやはり最近のヒット曲のように憶えやすい部分をいっぱい入れる作品のほうがウケるのかもしれません。2年前の大ヒット曲ですがYOASOBI『夜に駆ける』みたいに印象的なメロディーを速いテンポでいくつか組み合わさると記憶に残りますよね。新人賞受賞作ではないですが、高瀬隼子さんの『水たまりで息をする』はそういう感じですね。一昔前の、イントロが長い曲とかは歌い出す前にスキップされる。そんな感じで読み捨てられている可能性もありますね。

とまあ、いろいろと書評家への不満を書き連ねました。不満というよりは、いくら下読みが懸命になって小説を読んでも適当に読んでると思われても仕方がないと思う原因ですけれども。

私がここまで書いていいたいのは、下読みの能力の低さではないです。下読みのひとたちの裏をかくことが、我々書き手にとって重要なのだということです。テーマをひとつに絞ったり、感想文に書きたくなる箇所を散りばめたり。下読みが勝手に想定している「一般読者」の知性に合わせたり。

書評家たちはデビュー作でしか書けない小説を評価したがっているようです。その一方、大体の応募作はデビュー作じゃなくても書けるんです。出来の良し悪しは別として、二作目以降にしたほうがよい作品。だから、一作目は特別なものを書かなくてはいけない。そんな目で応募作を書いてみたら、いままで書いたことのない小説が書けるかもしれません。


注:今年は日本の小説をいくつか読み、その後でtwitterなどでレビューを読みました。正直なところ、みなさん読み手としてひどかった。直近で読んだ『鴨川ランナー』に対してもプロアマ問わずいろんな感想・批評を読みましたが、「下読み中」のひとだけがまともで、ほかはみんなダメでしたね。でもなあ、杉江さんは小説の良さを素人にも分かりやすく伝えたいから知らないふりをしたのかもしれませんけど、ポストコロニアリズムの指摘ぐらいはしてほしかったですね。杉江さんはそうじゃないかもしれないですけど、文学理論を知らない書評家、多過ぎなんですよね。これは冗談抜きでやばい。まあ、これも本当は1つコラム作らないといけないぐらい深刻な話なんですが、実は文学理論を勉強するなら文学部よりも社会学部に入ったほうが絶対にいいという状況はほんまになんとかせんとあかんとだけ言っておきます。

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「新人賞の応募作を下読みはちゃんと読んでるのか問題」について考えてみました|はたやノート
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