川藤幸三さんは阪神一筋19年。現役時代の成績で特筆すべき数字は少なくても、とことん熱く、豪快な性格でファンに愛された。引退した1986年のシーズンに初めてオールスター戦に出場。代打で鮮やかな安打を放った。巨人戦には人一倍、思い入れが強い。
「2000試合までの過程の中でわしみたいな選手でも、阪神の一員として巨人に向かっていけた。ありがたいところに入れたおかげだなと思っている」
両球団にとってだけでなく、プロ野球全体にとっても特別なカードと言える伝統の一戦。その一員として歴史を刻めたことは、大きな誇りだ。
「ファンが後押ししてくれるし、マスコミの取り上げ方も違う。パ・リーグのスター選手が4打数4安打2本塁打とか活躍しても、わしが甲子園や後楽園でヒーローになれば、(新聞の)1面に出るのは補欠のわし。お前らはいいな、とよく言われた」
特別な一戦に臨む選手たちの意気込みはすさまじかった。
「プロに入って一番初めに、先輩たちから『阪神に入った限りは巨人戦を意識しないと駄目だし、巨人戦で役に立つ選手になれ』と言われたことは覚えている。言葉に出さなくても、巨人戦になればどの連中も気構えが違った。阪神だけの独りよがりかなと思っていたけど、長嶋(茂雄)さんもやっぱり甲子園の阪神戦は違っ たと。『藤村(富美男)さんを目指して野球をやっていたから、阪神戦には活躍しなきゃいけない、ヒーローにならなきゃいけない』と話してもらった」
長嶋茂雄と村山実、王貞治と江夏豊―。川藤さんが入団した1968年当時、戦いを彩ったライバル対決は印象深い。
「ファンが見たいと思う、楽しみな勝負が詰まっていた。江夏さんに、何で王さんを意識したんだと聞いたことがある。そうしたら村山さんに『わしは対長嶋に命を燃やす。だからお前は王や』と言ってもらったんだと。だからそういう意識を燃やしていったという話は聞いた」
野球人生を変えた代打サヨナラ打
自身の野球人生を切り開いたのも巨人戦だった。1978年9月5日、新浦壽夫投手から放ったサヨナラ安打だ。
「ベンチに野手で残っていたのがわしだけで、監督が『しょうがない、行ってこい』と」
意気揚々と打席に向かったが、巨人のリリーフエースの投じる球にバットが動かなかった。
「1、2球目は手も足も出ない。3球目、イチかバチか投げた瞬間に振ったら、サードの頭を越えてサヨナラヒットになった」
ここから勝負強さが開花。代打でサヨナラ安打6本というセ・リーグ最多記録も打ち立てた。
「巨人戦でヒーローになって、野球人生が変わっていった。それまでは、わしの打撃なんて首脳陣は見ていない。あの一本のおかげで、次のチャンスが来る。きっかけは巨人戦だった」
82年には角三男投手からもサヨナラ安打。巨人が誇った抑えのエース二人に対し、右の代打として「打てなければクビ」という覚悟を持って対峙(たいじ)した。
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