第4回「南京大虐殺はでっちあげ」加害展示とがめる言説 各地で撤去相次ぐ

小川崇 坂本純也

 戦時中の加害行為を否定する言説は後を絶たない。当事者がいなくなりつつある今、記憶を共有する施設の展示はどうあるべきなのか。

 被爆資料やパネルなどを展示する長崎原爆資料館長崎市)。リニューアルをめぐって3月に開かれた運営審議会で、委員の一人が発言した。

 「南京大虐殺の歴史的事実関係をどう考えているのか。裏付けは何もない。でっちあげですよ」

 資料館には現在、南京事件も含めた旧日本軍の侵略や加害行為の展示がある。原爆投下に至る歴史を、多角的に伝えている。モニターで流れる映像では、「南京占領では、日本軍は中国兵捕虜や一般市民を殺害・暴行するなど、大虐殺事件を引き起こした」と字幕で説明している。

 委員は続けて、南京事件の展示を続けるかどうか、事務局を務める長崎市の担当者に問うた。担当者は「現時点で決まっていることはない」と答えた。他の委員からは、発言に対して「全く幻だということを歴史的事実として認めることはできない」といった異論も出た。

 「でっちあげ」と主張したのは市民団体「長崎の原爆展示をただす市民の会」の渡辺正光代表(88)。被爆者団体の代表や歴史研究者、公益団体の代表者ら20人からなる審議会のメンバーの一人だ。

 1996年の開館以降、団体は展示内容の見直しを繰り返し求めてきた。市は開館当初、団体の指摘を受けて一部の展示を見直した経緯があり、審議会の構成団体の一つとして委嘱しているという。

 後日の取材に、団体の担当者は「核兵器の使用が許されないことを伝える施設に、日本軍の歴史の展示は必要ない」と語った。

 南京事件は日中戦争における日本軍の加害行為の象徴とされ、中国政府が犠牲者数を「30万人」と主張。日本の外務省は、被害者数は諸説あるとしながらも「非戦闘員の殺害や略奪は否定できない」としている。第1次安倍政権が中国と行った日中歴史共同研究でも、日本側は虐殺行為を認めている。

 リニューアルにともない、市は対象となる展示物をいったん撤去する方針だ。南京事件について説明するモニターなども含まれる。鈴木史朗市長は今月1日の会見で、「運営審議会の意見を伺いながら具体的な展示内容について検討していきたい」と述べた。

 加害展示の維持を求めて結成された市民団体「世界に伝わる原爆展示を求める長崎市民の会」は4月、市側に文書で申し入れを行った。団体の関口達夫さん(75)は「加害の展示が薄まる。日本の負の歴史を消そうという動きがあり、議論は資料館だけの問題にとどまらない」と語る。

 資料館での加害展示は、どのような経緯でなされてきたのか。

 1988年12月、当時市長だった本島等氏(在任1979~95年)が市議会で、資料館の前身施設の老朽化を理由に、建て替えの方針を発表。資料館建設に関わった元市職員の田崎昇さん(81)は展示内容について「本島さんの意向が大きかった」と振り返る。「戦争に対する反省がないと、核兵器廃絶の主張が説得力をもたないと考えていた」。自民党県連幹事長も務めた本島氏は90年の平和祈念式典で、外国人被爆者に向け、初めて「謝罪」という言葉を盛り込んだ長崎平和宣言を読み上げた。

 本島氏の理念は、後任の伊藤一長氏(在任95~2007年)にも受け継がれた。伊藤氏も議会で、加害展示の重要性を指摘し、「自らの反省なくしては核兵器廃絶の訴えは決して世界に届かない」と訴えた。

 戦時中の加害行為の展示をめぐっては、各地で撤去・縮小の動きが続いている。

 戦後70年の15年には、大阪大空襲の被害を伝える大阪国際平和センター(ピースおおさか)がリニューアルされるのにともなって従来の加害展示が撤去された。一部の府議らが「偏向した展示物が多い」と批判し、運営する財団法人が縮小を決めた。

 群馬県では昨年、戦時中に労務動員されて亡くなった朝鮮人の追悼碑が撤去された。追悼式で「強制連行」などと発言したことが、設置条件に反すると県が判断した。

 全国の歴史資料館や平和博物館を調査してきた東京大空襲・戦災資料センターの元学芸員、山辺昌彦さん(79)は指摘する。「全国的に加害展示が少なくなっている。ただ、戦争の全体像を伝えるためには欠かせないもので、自治体が外部からの抗議を恐れて自主規制するようなことはあってはならない」

 長崎原爆資料館は被爆60年と70年の節目に合わせ、それぞれ一部改修したが、展示内容は開館時から大きく変わっていない。被爆80年のリニューアルの議論の結末は、まだ見えない。

     ◇

 長崎原爆資料館 1996年開館。前身は55年に開館した長崎国際文化会館で、老朽化にともない、長崎市の被爆50年関連事業の一環として建て替えられた。地上・地下各2階。地下2階に常設展示室と企画展示室、同1階に平和学習室やホールなどがある。被爆の惨状や原爆が投下されるに至った歴史、核兵器開発の歩みについての展示を行っている。

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この記事を書いた人
小川崇
長崎総局
専門・関心分野
戦争・平和
坂本純也
西部報道センター|平和、司法
専門・関心分野
国内政治、司法、平和・原爆
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    小松理虔
    (地域活動家)
    2025年8月14日10時53分 投稿
    【視点】

    加害の歴史の「展示」どころか「事実の認定」すら拒むような動きが生まれていることにどのような背景があるのか気になっています。そういう動き自体は以前からありますが、なぜ今そうした動きがじわじわと支持を集めるようになっているのか。単純に時間が経過したからなのか。その当該国に対する印象が変わったからなのか。 それとは少し角度が異なりますが、戦争について語ること以外の、いま現実に起きている社会課題についても、自分は直接的な加害者ではないけれど、社会の一員として、その課題の構造に知らず知らずのうちに加害者側で関わってきてしまったということが起こりえますよね。そんなとき、マジョリティが持っている「わずかな加害責任」を考えようというような論調が生まれることがありますが、強い拒否感を表明する人たちが少なくありません。 自分は直接は関わってはいないけれど、無関係とは言えない加害責任みたいなものをどう扱えばいいのか。どうなったら、それを背負えるようにならないのか、あるいは背負えないのか、みたいなことをじっくりと考えてみたいと思いました。

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