異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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25話『彼方の休日』

「まったく、勿体無いのう」

 

 九郎は笹の敷かれた桶に秋刀魚を三匹入れて大川沿いに歩いていた。

 朝方の魚売りより購入した活きの良い新鮮なものである。嘴はやや黄色く目は澄んでいて、体に傷も見当たらない。脂も乗っていて腹がぷっくりとした美味そうなものであった。

 秋の味覚とばかりに喜んで九郎は購入したのであったが、

 

「店で焼くと煙がこもるから駄目、とな」

 

 お房から調理拒否を申し付けられたので仕方なく他所で食おうと持ちだしたのである。

 三匹あるのだから友人知人と食おうと思うので、石燕か晃之介か影兵衛あたりのところに持って行こうと思い、その中で一番良いものを食ってなさそうな晃之介の道場へ向かうことにした。 

 彼は狩猟民族のように時折狩りに出かけて、その時は獣肉を野人の如く食うのであったが、それ以外の日は質素な食生活であった。

 柳川藩立花家から毎月分割で生活には充分な金を貰っているのだが、この前の野分の際に破損した道場周辺の修繕費にかなりかかったようで、やはり困窮という程ではないが節約をしているのである。 

 天命か、金の身につかない男だ。

 亡き父から、

 

「裕福は敵だ。富の偏りは悪だ。今こそ革命だ」

 

 と、教わった記憶を捏造して耐えている彼の事情は良いとして。

 

「む、そうだな。ハチ子も呼ぶか。三匹あるのだから」

 

 九郎は六天流道場の門人である少女の顔を思い浮かべて、足をまず藍屋に向ける。

 新しく出来た湯屋の前を通り藍屋にたどり着くと、丁度店の中から茜色の着物の少女──お八が出てきた所であった。風呂敷に入れた小さな荷物を持っている。

 お遣いへ行く途中かもしれないと思いつつ、声をかける。

 

「よう、ハチ子や」

「九郎? あ、丁度、今……会いに行こう……と」

 

 振り向いたお八だったが、言葉尻が下がっていき誤魔化すような笑みを浮かべる。

 

「己れに何か用があったのか?」

「い、いや別に!? 大した事ぁねーぜ! ちょっとした野暮用だ野暮用!」

「ふうむ?」

 

 何故か慌てたように云うお八に首を傾げる九郎であったが、

 

「ま、よいさな。それより昼飯はまだであろう? 晃之介の所で共に食おう」

「そうだな。食うぜー」

 

 九郎の誘いに素直に応えるお八を連れて並び、道場へ歩き出した。

 お八は九郎の持つ桶を覗き込みながら、

 

「今日の飯はなんだぜ?」

「秋刀魚の良さそうなのが入ってな。焼き秋刀魚におろし大根、白い飯というごーるでんとらいあんぐるだ」

「秋刀魚? へえ……あたし、食ったことないぜ」

「なんと」

 

 意外そうに聞き返す。

 お八は「ん」と頷いて、

 

「下魚だから食卓に上らなくてなあ」

「目黒の秋刀魚とか有名ではないのかえ。殿様が食ったという話だが」

「いや? 聞いたことないけどよ」

「じぇねれーしょんぎゃっぷ」

 

 感慨深く九郎は唸る。

 当時は秋刀魚は下魚で江戸の庶民の間でも下層が多く食べる代物であった。そのように印象付けられたのならば見栄を張りたがる江戸の人々はことさら、貧しく無いのであれば進んで食うものでないと認識している。 

 お八のような大店の育ちであれば一度も食う機会が無いのも頷ける話である。

 また、目黒の秋刀魚という将軍が庶民の味に感動した系で有名な巷説が生まれたのもこれよりやや時代が下っての話なのであった。

 さて……。

 二人はつらつらと雑談をしながら足を進め、昼九ツ(十二時頃)前には晃之介の寂れ道場へたどり着いた。

 道場の裏から木を割る音が聞こえた。薪が少なくなっていたので用意しているのであろう。

 音のする方へ行くとやはり、晃之介が手慣れた動きで素早く無骨な鉈を振るい、薪を割っていた。

 九郎が親しげに呼びかける。

 

「おう、センセイよ。昼飯を食いに来たぞ。秋刀魚を食おう」

「師匠、野菜も持ってきたぜ」

「お前らか。助かる」

 

 と、お八は荷物の風呂敷を開ける。鮮やかな緑色の葉野菜が包まれていて、青臭いような土のような瑞々しい香りがした。

 見たことはあるが、なんの野菜だったか九郎は訪ねる。

 お八は得意気に、

 

「小松菜だぜ。将軍が小松川に鷹狩りに出かけた際に食って美味かったもんで名づけたって野菜らしい」

「ああ、確かに冬菜だなこれは。おひたしにするか」

 

 九郎がぽんと手を打ち、嬉しそうに云う。

 旬は冬菜という別名の通り冬なのであるが、一年を通して生育させられる為に昔から親しまれていた野菜である。将軍に献上されてその名をつけたのは綱吉とも吉宗とも言われていて、それ以前は葛西菜とも呼ばれていた。

 冬場でも青々と葉をつけ腐ること無く、また当時[江戸患い]と呼ばれていた脚気の病にもビタミンB1をそれなりに含むために効果がある大事な野菜でもある。

 そうして三人分の米を炊き、秋刀魚を焼いて大根を下ろし、おひたしを添えて昼飯を用意する。

 程よく焦げ目の付いた秋刀魚が、ぴちりと脂が跳ねる程あつあつの身に醤油をかけて箸で崩して飯に乗せ食う。旨い。わしわしと進む飯が胃に超特急なのである。

 脂気がたっぷりある秋刀魚を中和するように、辛い大根とこきこきした食感の小松菜がすっきりとして合う。

 それにしても、と九郎は飯のお代わりをしてがつがつ喰らうお八を見ながら、

 

(おなごながら、良く食うな……)

 

 と、感心する。

 お房はまだ九つだからか飯のお代わりをする事は珍しいし、石燕はもっぱら酒を飲むのでしっかり健康的に飯を食うお八を微笑ましく思う。

 

「はっはっは、たんと食べて大きくお成り」

「何を言ってるんだ九郎。お前も年の割に小さすぎるんだからしっかり……九郎?」

 

 晃之介が言葉を投げると、九郎は箸を止めて渋い顔をした。

 

(……そうだ、己れもこのままじゃ大きくならんのだ。どうにかしないといかんが……)

 

 己の不老である境遇を思い出して少しばかり思い悩む。

 緩やかに身体情報が固定されているので急性以外の病気には滅多にかからず、暴飲暴食でも太ったり痩せたりアル中痛風になったりしないという便利さはあるものの体がまったく成長しないという条件はいずれ厳しくなるだろう。

 死なない人間など、恐れられるだけならまだしも妖しげな組織に拉致されてターヘルアナトミアされたら堪らない。実行は杉田玄白だが黒幕は幕府だ。なにせ幕って付いてるから間違いない。

 いざとなれば狐面でも被って将翁のような年齢不詳キャラになろうか……。

 などと考えていると、隣に座るお八が身を乗り出して、

 

「さては、はらわたが苦かったんだな? あたしが食べてやるぜ!」

「むっ。これ、一番旨いところをだな……行儀が悪いぞ」

「いいじゃんよ」

「ええい、晃之介に貰え、晃之介に!」

 

 と、二人は正面で食っている晃之介へ向き直ると、

 

「どうした?」

 

 当然そうな顔で晃之介は秋刀魚の頭から骨ごとばりばりと食っていた。

 九郎は瞠目して、

 

「頭から齧っちゃうのか……」

「? ああ。骨が強くなるぞ」

「そうかもしれんが……ううむ」

 

 何処か納得がいかない顔で唸る。

 さすが、山育ちだけあって顎や歯が丈夫だ。

 お八も呆れたように師匠を見て、とりあえず九郎から秋刀魚を奪うことは諦めたようで、小松菜のおひたしを残った飯の上に乗せ、茶をかけて食べている。

 

「そうだ九郎。いささか、お前に頼みたいことがあったんだ」

「別に構わぬが」

 

 承諾する意思を見せて、九郎は先を促した。

 晃之介とはお互いに色々と貸し借り無しで物事を付き合わせる仲である。

 大きな体を竦ませるようにして晃之介は、

 

「実は……」

 

 と、切り出した。

 

 

 

 ****

 

 

 

 来月に江戸在住の剣客を集めて、老中・松平乗邑(まつだいら・のりさと)が催す剣術の仕合が行われる。

 これには徳川吉宗の武芸を励ませる意向もあり、彼のまだ小さい二番目の息・宗武も見学に来るのだから将軍家の御前試合という形になる。

 江戸でも有名な道場に通う旗本家などから剣術達者が多く参加するのであるが、なんの因果か士籍(武士としての身分)を持たぬ晃之介も出ることになったという。

 

「お主も一端の剣術使いだのう」

「立花様から御推薦があったようでな」

 

 得意気に晃之介は鼻を鳴らす。

 彼が毎月出稽古をしている柳川藩の上屋敷ではすっかり人気のある男になっているらしい。また、藩主の立花鑑任からも気に入られているために今回のような推薦を受けたのである。

 大名や幕府の大役が剣術仕合に人を推すのは、家中の剣士の強さを知らしめるつもりもあれば、晃之介のようにまだ知られていない達人の後ろ盾となっていることを表明する為に出させる事もある。どちらにせよ、自慢ではあるのだが。

 余談だが本多家では当主の本多忠良が「我輩が出るって! 我輩が!」などと駄々をこねたので家老から軟禁させられている。

 

「俺のような若輩が御前仕合に出るなど、ありがたいことだ」

「やっぱ師匠はすげえな! お大名の次は老中の前で剣を振るなんて、大したもんだぜ」

「門人は増えぬがな」

「……なんでだろうな?」

 

 晃之介も首を傾げる。

 察した九郎は相手の要求を先読みして、

 

「ははぁん、己れの手腕でこの道場を流行らせて欲しいのか? それならまずはチラシを湯屋に貼ってだな。うむ、チラシ貼りは得意なのだ。何せ己れが若いころ初めてやったバイトが、電話ボックスにピンクチラシを貼る仕事だったぐらいだからな」

「いや、別にそれは頼むつもりはないが……ぴんくちらし?」

 

 懐かしがる九郎であったが、この時代では意味不明な発言であった。

 訝しがりつつも晃之介は、

 

「頼みというのは、練習の手伝いをして欲しいんだ。お八に教えるのもいいが、たまには俺も打ち合わないと勘が鈍るからな」

 

 最近はお八の練習ばかりで、時折山野で狩りをしているものの剣の腕を仕合に向けて砥がねばならない。

 どのような江戸の強者が現れるか、あまり剣術家同士の交流がない晃之介にはとんと予想がつかないのだ。

 なお、利悟や影兵衛などの町方・火盗改同心は、盗賊や殺しを取り締まるなど[穢れ]を扱う下級役人なので御前仕合のような華々しい場所には出る事は出来ないのが慣例である。

 九郎は晃之介の頼みを快諾する。

 

「なんだ、そんなことか。任せておけ。よし、飯を食って休憩したら立ち会おうぞ。ハチ子も見ていくであろう?」

「おう」

 

 九郎は食い終わった茶碗を井戸端に持って行き、水をかけて軽く濯いで置いた。

 そしてごろりと道場の床に転がる。

 

「食ってすぐ動くのは消化に悪いからのう。それに下手に腹を打てば死ぬわ」

「一理ある。よし、お八。九郎に膝枕を」

「え!? あ、あたしが!? べっ別に嫌じゃないけどちょっと……ええ!?」

「そこの押入れに膝枕が入ってるから出してやってくれ」

「入ってるって!?」

 

 急に慌てだしたお八を不審がりながらも指示を出す。

 膝枕が押入れに入っているという謎の言葉に疑問を持ちつつ、道場の押入れの襖を開けるとみつしりと無数の『膝茂君』──つまり膝の模型がつめこまれていた。

 精巧に作ってあるだけあって、見た瞬間ぞわりとお八の背筋が粟立った。

 

「怖っ! し、し、師匠なにこれ猟奇的なんだぜ!?」

「無駄に沢山入っておるのう」

「何故か藩邸に行く度にお土産として持たされてな……捨てるわけにもいかんだろ」

 

 九郎にも幾つか渡したのだが、それでもまだ余りある。

 うす気味悪そうにお八は押入れの戸を閉めて、やや悩ましげに思案して九郎の枕元に来て座った。

 

「おほん」

「?」

「ごほんごほん!」

「風邪か?」

 

 少し顔を赤らめて自分の膝をばしばしと叩いて咳払いしているお八を九郎は見上げながら尋ねた。

 いや、十中八九、顔の紅潮と喉の不具合からして風邪であろう事は疑いがない。

 体調不良だというのに無理に外に連れ出したか……? と九郎は自らの迂闊に表情を暗くする。

 九郎は立ち上がろうとしつつ、

 

「確か将翁の奴が近くの廃寺に泊まりこんでいたな。呼んでくるから……」

「いいから寝てろぜ!」

 

 上げようとした九郎の頭を引っ掴んで、自分の太ももに押し付けてお八は叫んだ。

 うっすらと汗ばんだ手で押さえつけられて、九郎はなにがなにやらわからぬといった様子で彼女を仰ぎ見る。

 

「あ、あの膝の張型よりは……その……マシだろうからな! 感謝しろよな!」

「むう……?」

「今までも何度か思ったんだが、九郎は驚異的に察しが悪い時があるな」

 

 開いた口が塞がらぬ様子でため息を吐きながら晃之介は九郎に云った。

 人間年を取ると幾らかの感情が子供帰りすることがある。九郎が時折見せる若気の至り的行動もその為だろう。つまり、老人性ボケが発症しているのだ。

 当の九郎は心外そうに、

 

「失敬な。わかっておる。つまり、病気の子供は居なかった……そうであろいたたた。脇を突くなハチ子」

「知ーらーなーいーぜー」

「ぬう……本気のくすぐりを受けてみよ」

「んなっ、ちょっ、九郎何処触ってんだあはははは!? やめっうしゃしゃしゃ!」

「休めよ、お前ら」

 

 暴れる九郎とお八に向かって、うつ伏せに寝たままの晃之介はぼやくのであった。

 ちなみに夜寝るときも彼はうつ伏せである。ちょっと死んでるみたいとは九郎の言だ。

 こうして半刻ほど休息するのであった。

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 大体の剣の腕前は九郎と晃之介は伯仲している。

 膂力では九郎に分があるが、技量では晃之介が勝ると言った違いはあるものの、打ち合えばほぼ互角だ。

 その日は[係り撃ち]と呼ばれる、交互に相手に打ち込み、また相手は防御をするといった組撃ちの稽古を行った。

 最初は順番正しく撃ち合いをしているようで、傍から見ているお八にもわかりやすかったのだが白熱していくうちに交差する剣の速度が増していき、どっちの順なのかわからぬ具合に、瞬きをする間何回も撃ちあう。 

 一息でお互いに十五、合わせて三十の攻防が発生していく程に激化した。

 道場には木剣と木剣がけたたましく打ち合う音が連続し鳴り響く。 

 どちらも決まった打ち方ではなく、心底相手を打ち倒さんばかりの勢いと凝った剣筋を持って木剣を振るい、また凄まじい反射と判断で受け止めていく。

 幾つかお互いに受け止めきれないものは寸止めらしき手心は加えるのだが勢いが完全に止まるわけではないため、容赦なく肉に剣先が食い込む。そこで止めるのではなく痛みを無視し反撃に出て稽古は続くのだ。

 次第に必殺技まで叫びだすのだから本気具合が分かるというものである。つまりは、双方のりのりなのだ。

 しかし特に九郎などは、

 

「オーク惨殺伝説」

 

 とか、

 

「コボルト虐待神話」

 

 などと珍妙な技名なのだから、どうもしまらない。

 彼の習った傭兵剣術[シグエン流]の正式な技ではあるのだが、名付けの団長は少し変な男であったらしい。馬鹿正直に技名を叫ぶ九郎も九郎であるのだが。

 かの団長は命名神信仰者であるために、彼が流派や技名をつけると加護が発生して様々な補正がかかるという特性を使ってわかりやすい名前にしたのである。まあ、向こうの世界限定であるけれど叫ぶのは癖なのだろう。

 とにかくそのお互いに容赦無く撃ちあう鍛錬を、剣術を習い始めてまだ半年に満たないお八は、

 

「なんだかわからないけど、とにかく凄えー」

 

 としか理解できないものの、口を半開きにして見入っていた。

 どちらも引かぬ。

 攻撃と防御の順番を守りつつ、どちらの動きも連動させ相手に通しに行く。

 動きを止めた方が無数に降り掛かる打撃で致命を得かねない尖さと疾さだ。

 集中力と反射を研ぎすませ続ける、互角ならではの稽古があった。

 

 一方で……。

 道場の外からこっそりと中を覗くようにして、激しい勢いの稽古を伺っている二人組の男が居た。

 笠を深く被っているがっしりとした侍と、身なりの良い町人髷の初老の男である。

 門の影に隠れている二人は中の三人にも気付かれていない。

 どこかの商屋の主にも見える、初老の男がぼそぼそと呟いた。

 

「あれが相手の録山殿だ……」

「ほう……」

 

 低い落ち着きのある声で侍が返す。

 鋭く光る目を中で闘鶏の如く打ち合っている晃之介へ向けたまま、殆ど唇の動かぬしゃべり方で云う。

 

「筋はいいが……まだ剣が若いな。怖れを知らない剣は強さでもあるが、わしに言わせれば拙い」

「ならば、御前試合……勝てるな?」

 

 確認するように初老の男が告げると、侍は笑いを漏らしながら踵を返し道場から離れる。

 笠を伏せながら、追う初老の男に自信を持って告げる。

 

「さて……勝負はその時にならねばわからぬ。しかし、確実に勝てる手はある……」

「その手とは……?」

 

 く、と口の端を吊り上げて決め顔で断言する。

 

 

「──八百長を持ちかけよう。念の為に」

 

 

「おい! なんださっきまでの思わせぶりの強気態度は!? 馬鹿かお前! 打たれて死んじまえ! この木偶の坊!」

 

 などと、口喧嘩して去っていく影があった。

 

 ともあれ……。

 やがてキリがないので鍛錬を終えた二人であったが、確かに晃之介には充実したような気分があった。

 剣は一人では強くなれないというのが彼の持論である。師か、弟子か、或いは実力の近い剣友があってこそ腕が磨かれる。

 

(良い友人を持ったものだ)

 

 と、上半身裸になって打たれた所に濡れ手拭いを当てている九郎を横目で見ながら思った。

 

「痛いのう……まあすぐ治るのだが」

「大丈夫かよ。おっ、ここも打たれてる」

「ぬっ、こら強く押すでない」

 

 肌蹴た九郎の体をお八も拭っていた。

 不老の魔術効果により自然回復する程度の怪我はやや早めに治り、身体情報が最適化されていくので痕も残らないだろう。

 甲斐甲斐しく九郎の怪我を慮る弟子に晃之介が、

 

「……俺も打たれてるんだが」

 

 控えめに声をかけたが、絞った濡れ手拭いを渡されるだけであった。

 ちょっと顔を曇らせつつも濡れ雑巾で打たれた箇所を冷やす晃之介である。

 

「そうだ九郎。脱いだんなら丁度いいや」

 

 お八は[藍屋]から持ってきた包みを広げ、その中に入れていた着流しを袖を広げながら九郎の前に出した。

 変わった文様の描かれた藍染めの生地だ。少し九郎に大きいようなサイズであるが、きっちりと折り目正しく作られている。

 恥ずかしそうにしながらお八は、

 

「九郎に作った着物一号、完成したからよ……その、着ろよな!」

「ほう……大したものだハチ子や。ありがとうよ」

「あたしにかかれば大したことないぜ!」

 

 どん、と無い胸を叩きながらお八は嬉しそうに云った。

 九郎は興味深そうに、着物に描かれた謎の文様を眤っと見る。

 何処かで見たことがあるような、無いような……そんな気分だった。

 

「この模様は?」

「あー……あたしの思うままに刺繍したんだ。母ちゃんにはヘンテコだの何だの言われたけど。あたし独自の模様っていうか……や、やっぱり変か!?」

「いや、悪くないと思うぞ。己れもよくわからんが……気に入った」

「……ありがと」

 

 ぽつりとお八が告げて、顔を軽く横に振るった。

 そして広げたまま九郎の後ろに回り、

 

「と、とにかく着てみてくれ。ほら」

「慌てるでない。自分で着れるわい……ぬ? 少し大きめだな」

「九郎ぐらいならすぐ背が伸びるからさ、大きく作ったんだ」

「おかんか、お主は」

 

 子供の学生服を買うような科白に思わずツッコミを入れる九郎であった。

 しかしながら粋な着こなしというと、多少袖捲りするぐらいが丁度良い。着心地も違和感が無く、動きやすいので九郎も、

 

「ほう……」

 

 と頷いて腰帯を締めて頷いた。

 肩を回したり背を伸ばしたりして、何か落ち着くような気分が服からするのを体感する。

 大層気に入ったようだ。

 

「ど、どうだ?」

「ハチ子……お主修行したな」

 

 称賛の言葉を送ると、彼女もふんぞり返った。

 

「まあな! 褒めていいんだぜ!」

「おうさな、よしよし」

「えへへ」

 

 九郎が尻尾振る犬をにやるような気分で彼女の額の辺りをごしごしと撫でると、お八も笑みを零しながらその手を掴んでぎゅっと自分の頭に押し付けるのであった。

 それを横目で見ながら晃之介は庭から取ってきた渋柿をもしゃもしゃと齧り、甘いような苦いような居心地悪そうにしていた。自分の道場だというのに。

 なんとなくその背中からは、

 

(哀愁がただよっていた……)

 

 ではないか。

 イチャつき行為は出来れば外でやってほしい。欲を言うなら、地球の外で。

 

 

 

 

 ****

 

 

 

 

 九郎とお八は晃之介の道場を後にして、のんびりと歩きながら江戸の町をぶらついていた。

 いましも、日本橋の辺りに差し掛かっただろうか。

 特に目的があって歩いているわけではない。ただ、期待薄だが探している物はあるために物が集まりやすいこの界隈に九郎が訪れたのだ。

 お八も特に用事があるわけではないので、九郎に付いて行っていた。

 

「何を探すんだ?」

「鏡を、な」

「鏡ぃ?」

 

 短く答えるとそのまま聞き返された。

 

 

 正確に言えば紫の鏡を探しているのだった。

 つい先日、お房の術後の診断として安倍将翁が店を訪れた時に、どうもお房の運勢が近頃悪そうだということで彼の占いで見てもらったのだ。

 なにせ、橋から落ちたり腸をひねったりと一つ間違えれば命を落とす事件が二度も起きた。その点で言えばお八の実家もかなり盗賊が連発して運が悪い気がするが。

 そして彼が占った結果のラッキーアイテム的道具が、紫の鏡と白い水晶である。

 紫は安らぎを意味する高貴な色であり鏡は運勢を反転させる意味合いを持つ。また、水難は水の卦、病気は木の卦が悪く起こることなので金気を上昇させて安定を図る。白色と鉱物である水晶はどちらも金属性なので吉なり……とのことだった。

 両方揃えなければいけないとも言われた。そして、白い水晶は将翁が持っていた為にその場で買ったのだったが、もう片方の紫の鏡を探さねばならないために、九郎は暇を見つけてはあちこちの店に寄っているのである。

 しかし中々に、紫に塗った鏡などは売っていない。

 いっそ石燕辺りに頼んで作ってもらおうかと頼んだ事もある。彼女は高価な顔料も所持していて手先も器用だから簡単だろうと思ったのだが、

 

「照魔鏡と交換ならばいいよ」

 

 などと言われてしまった。

 照魔鏡とは妖怪や魔物の真の姿を映し出す道具妖怪だ。呪いで犬に姿を変えられた王女も此の鏡があれば一発である。 

 石燕の描いた[百器徒然袋]にも掲載されておりそこでは、

 

「照魔鏡と言へるは もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば その影のうつれるにやとおもひしに動き出るままに 此かゞみの妖怪なりと 夢の中におもひぬ」

 

 と解説されている。

 しかしまあ、それを見つけるのと紫の鏡を見つけるのどちらが大変かわからぬ。

 お房の運勢改善のためだとは言うのだが、

 

「むしろ不吉な気がしないかね? 紫の鏡」

 

 と、いって渡すのを渋っているのであった。

 

 

 さておいて……。

 お八が九郎の手を引いて言う。

 

「よく知らねーけど、鏡なら前に通りかかったこっちの道に店があった気がするぜ?」

「鏡屋……こんな所にあったのか。少し寄ってみよう」

 

 日本橋の大通りから外れた小路に面したところにその店はあった。

 繁盛しているこの界隈では珍しく、やや古ぼけた様子のこじんまりとした店であった。屋号の看板、[うんがい堂]と掲げられている。店の中に鏡が並んでいるのが外からでも分かるため、鏡屋と知れた。

 きしむ引き戸を開けて、薄暗い店内に入ると埃をわずかに被った古鏡といったような品物がずらりと並んで店内に漏れ込んだ光を淡く伝えている、独特の雰囲気がある。

 新しく作られた鏡を売る店より、見つかりそうな予感がする。

 無数の鏡の向こうからこちらを覗き返す反射が不気味なのか、お八はやや縮こまって九郎の背中に張り付いていた。

 

「……いらっしゃい」

 

 言葉と裏腹にそこまで歓迎していなそうな気配を滲ませながら声がかけられた。

 置物のように番台に溶け込んでいたのは、店主らしき男である。年の頃三十前後か、書生風に括ったぼさぼさの髪をした幽霊みたいな印象をしている。それも、偏頭痛で死んだ不機嫌な悪霊のようなムスッとした顔つきだ。

 こちらに向けているのか怪しい声で埃が沈んでいる店の大気を震わせる。

 

「見ての通り、うちは鏡を扱ってる店だ……なにかお探しかい?」

「うむ、紫の鏡を探しているのだが……」

「紫鏡? それはまた、変わったものを……」

 

 幽霊のような店主の顔が険しくなった。

 

「あまり縁起がいいものではないけど本当に必要かね」

「そうなのか? 紫は高貴な色と聞いたけれど」

「紫は確かに格式の高い色とされている。ただ、鏡に塗るというのはあまり褒められないのではないかな。

 鏡の語源は[影見]だ。物事の裏や落とされた影を映し出すという性質を持つ鏡と、安定や中庸を司る紫色を組み合わせるというのは、自分はどうも奇しい造形だと思う。紫に影を落とせば黒に染まる。黒は死の色でもあるからね。

 しかし、そんな鏡を欲しがる人物と手放す人物がそれぞれここに来るのはどういう巡り合わせなのだろう」

 

 ぼそぼそとした声で喋る店主は聞かせるというより自分に問いかける如く早口だったが、九郎は声を返す。

 

「あるのか?」

「普段は無いのだが、一つだけあるよ。取ってくるからお客さん、少しお待ちを」

 

 幽霊店主がのっそりと店の奥に入っていった。

 見送りつつお八は九郎の袖にしがみついて、

 

「な、なんか妖しいなこの店……」

「まじっくしょっぷを思い出すのう」

「買うもの買ったら早く出ようぜ」

 

 不気味そうにお八が震える。

 ややあって出てきた幽霊店主から紫の鏡を購入した。セット販売として白い水晶の欠片も渡されたが、それは代金に含まれていないようなので既に持っている事は言わずに素直に受け取った。店主の薀蓄が続いたが、やはり白い水晶が対となって霊的な意味を持つようだ。将翁の説とはまた異なってはいたが。

 出る頃には西日が店の中に差し込み飾ってある鏡に乱反射して幽玄の如き明かりを灯していてなんとも妙な雰囲気の店であった。

 帰り道、何やらすっかり怯えたお八を励ますように九郎は、

 

「ハチ子や、これをやろう」

 

 懐から取り出した小さな白水晶をお八に渡した。

 先ほど店から買ったものではなく、以前に将翁から購入したものである。

 透明度が高く日に当てるときらきらと輝いて見える。

 二つ水晶があるならば片方はくれても大丈夫だろうと考えた。

 

「くれるのか? えと、こんな高そうなものを」

「気にするでない。お主から服を貰ったのだからお返しじゃて」

「お返しってされるほどじゃないけどな……九郎には助けてもらったから……でもまあ、いっか」

 

 お八は快活に笑った。 

 西に沈んでいく太陽を背に、眩しく輝くような気持ちのいい笑顔だ。

 

「絶対大事にするからな! また、あたしが他の服も作ってやるから……九郎も大事にしろよな! 破れたらあたしが縫ってやるから、ずっとだぜ!」

「お、おう」

「約束!」

「わかった、わかった──ちゃんと大事にする。もし破れたら、お主に頼むさな」

「任せとけ!」

 

 嬉しそうにお八は九郎に寄り添った。

 九郎は一瞬、何処か懐かしい気配を彼女から感じて安らぐように頬が緩んだ。

 昔実家で飼っていた柴犬を思い出したのかもしれない。やけに強気だが、すぐ懐いてくる可愛い犬だった。お八を見ているとそんな構ってやりたさが浮かんでくる。

 並んで帰路に付く。お八の顔が西日に照らされ染まっていた。 

 

 

 

 

 

「だが、約束は守られずに後悔と苦渋に満ちた余生を過ごすことになるのであった……」

 

 

「後ろからごっつ不安を煽るものろーぐが聞こえてきた!?」

「うわああ!? せ、石姉!?」

 

 

 喪服で影に溶け込んだ女絵師(略して喪女)が卑屈な笑みを浮かべながらアベックに不吉な予言を齎す(江戸三大七不思議の一つ)現象が起こったが、まあいつものことではある。

 気にせずに、現れた喪女も連れて三人でけんちん汁を食べに行くのであった。こう涼しくなってくると、唐辛子をひりりと振りかけ効かせたのがまた、おいしい。

 

 

 

 

 

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