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やきとりなのに豚? 東松山の名物に息づく戦後の記憶を語り継ぐ女将 #戦争の記憶 #ydocs

太田信吾映画監督・俳優・演出家

北海道室蘭市、愛媛県今治市と並び、「日本三大やきとりのまち」といわれる埼玉県東松山市。実は、この地の「やきとり」は鶏肉ではない。どの店でも、「豚のカシラ肉」が使われ、地元民に愛され続けている。このスタイルが根付いた背景にあるのは、戦後の闇市と地域の復興の歴史。「豚のカシラ肉のやきとり」を生み出した父を持つぺ・ジョンヒさん(71)は、毎日父の開いた店に立ち、味を守る。一方、この先、歴史をつないでいけるのか、危機感も抱いている。少子高齢化などにより賑わいを失いつつある街。やきとり店の数も減少している。若者に記憶をつなぐ、ぺ・ジョンヒさんを追った。

◉日本三大やきとりのまち「東松山」

東松山「大松屋」のやきとり 撮影:太田信吾
東松山「大松屋」のやきとり 撮影:太田信吾

「日本三大やきとり」は、それぞれ独特の味がある。豚肉と玉ねぎを交互に串打ちし、洋がらしを添えるのが室蘭なら、鉄板で香ばしく焼き上げ、皮目をパリッと仕上げる「鉄板焼鳥」が今治だ。対する東松山の「やきとり」の最大の特徴は、鶏ではなく豚のカシラ肉を使うこと。その串焼きにたっぷりと塗られるのは、ニンニクのきいた辛味噌だれだ。このスタイルが根付いた背景には、戦後の闇市文化と地域の復興の歴史が深く関わっている。

東松山市でかつて栄えた駅前商店街にあるやきとり店「大松屋」のカウンターの奥、黒いTシャツに深緑のエプロンという飾らない装いで炭火と向き合っているのが、店主のペ・ジョンヒさんだ。串を返す手元には、迷いがない。立ちこめる煙と香りの中、ジョンヒさんはかつての街の賑わいを思い起こす。

「昔は、駅前も商店街もすごく賑やかだったんです。やきとり片手にみんな笑っていて……。でも今は、店も人も減ってしまった」

◉東松山では「豚のやきとり」が風物詩。その元祖が彼女の父だった

大松屋 現店主のペ・ジョンヒさん   撮影:太田信吾
大松屋 現店主のペ・ジョンヒさん   撮影:太田信吾

東松山名物「豚のやきとり」を生み出したのは、ジョンヒさんの父ぺ・サングさんだ。ぺ・サングさんは1956年、東松山に「やきとり大松屋」を開いた。

在日1世としての彼の歩みは、日本統治下の朝鮮半島で日本語を学び、学問にも秀でていた若き日から始まる。やがて徴用によって1943年に北海道に渡ったサングさんを待っていたのは、極寒の地での過酷な労働だった。命の危険さえ伴う環境に耐えかねたサングさんは北海道から逃れ、各地を転々とした末、1949年に寄居町を経て、1956年に東松山周辺にたどり着く。

吉見百穴(吉見町) 撮影:太田信吾
吉見百穴(吉見町) 撮影:太田信吾

戦時中、東松山周辺では、米軍の空爆に備え、古墳時代の遺跡である「吉見百穴」の地下に中島飛行機大宮製作所の疎開工場が建設され、多くの朝鮮人労働者が動員された。戦後も彼らの一部は地域に留まり、在日1世のコミュニティが自然と築かれていった。サングさんは終戦後にこの地へ流れ着き、埼玉県内でパチンコ店などの商売を経て、東松山での暮らしを始めることになる。

サングさんは東松山で一念発起し、当時の日本では食肉として流通していなかった豚のカシラ(こめかみと頬肉)を串に刺し、炭火で焼いて提供し始めた。それまでは捨てられていた部位だったこともあり、安価で手に入ることが一番の理由だった。辛味噌ベースの独自のタレ、いわゆる「みそだれ」は、朝鮮の味の記憶を手がかりに、彼自身が編み出したものだったという。

「自信がある『この味で勝負してみよう』という気持ちだけで、やきとりを始めたそうです」

素朴で力強い味は、戦後の混乱期を生きる人々の腹を満たし、在日1世にとっては故郷の味を思い起こさせるものだった。いつしか、異国と故郷をつなぐ「ごちそう」として親しまれ、地域の人々の暮らしを支える日常食になっていった。やがて高度経済成長期という時代背景も後押しして多くの客が訪れる店に成長し、東松山には「やきとり」を看板に掲げる店が増えていった。サングさんは、そうした仲間たちと共に東松山焼鳥組合を立ち上げ、技術を惜しみなく伝え、地域の活性化にも尽力した。

戦後間もない混乱期、物資は不足し、朝鮮半島出身者に対する偏見や差別も根強く残っていた。働き口を得ることすら難しい中で、家族は食べていくために必死だった。サングさんの傍らにいつもあったのは、妻・タツ子さんの姿だ。

ぺ・ジョンヒさんの両親(故人)
ぺ・ジョンヒさんの両親(故人)

「店では母が前に出てお客さんを迎えて、父は黙々と焼く。うちはいつもそういう分担だったんです」(ジョンヒさん)

サングさんが1980年代に他界すると、タツ子さんと次女のジョンヒさんが店を守り続けた。焼き台の前に立つとき、ジョンヒさんはいつも父の気配を感じるという。

「父の味を、私は身体で覚えてるんです。タレの匂い、炭の加減、火の強さ……」

開店当初から父が使っていたタレは、今も継ぎ足しながら使っている。みそだれを入れる缶や道具も、そのままだ。ジョンヒさんにとって、やきとりを焼くという営みは、自らのルーツを抱きしめ、そうした時代を生き抜いた家族の歴史を、地域の味として未来につないでいく行為そのものなのだ。

◉街は変わった。工場は減り、若者もいなくなった

現在の東松山市中心部空撮 撮影:太田信吾
現在の東松山市中心部空撮 撮影:太田信吾

東松山駅周辺は、かつては買い物客らでにぎわい、週末ともなれ、やきとりを片手に歩く人々の笑い声があちこちで聞かれたという。ただ、近年は人通りがめっきり減り、空き店舗も目立つようになった。東松山焼鳥組合の組合長を務めている青木萃美さん(86)は、「『やきとりのまち』って言われても、今の若い子たちにはピンと来ないかもしれないですね。後継者が減ってきちゃってるから」と話す。

東松山焼鳥組合の加盟店は最盛期には65店舗を数えたが、今や15店舗(2025年8月13日現在)に減ってしまった。「焼く人」の数も減り、まちの象徴だったやきとり文化そのものが静かに姿を消そうとしている。

ジョンヒさんも「飲食業をやっているおいっ子に教えられることは教えたけど、自分がやめた後もうやきとり屋が続いていくかはわからない。強制はできないから」と危機感を口にする。

戦後まもなくから受け継がれてきた「やきとり文化」と、そこに込められた生活の記憶や在日一世の物語。それらをどう残し、伝えるかという問いが、ジョンヒさんの胸に芽生えていた。

◉「私が語らなければ、この味も、物語も、誰にも届かなくなってしまう」

大松屋を訪れた松山中学教員 撮影:太田信吾
大松屋を訪れた松山中学教員 撮影:太田信吾

その問いに答えるには、どうしたらいいか。ジョンヒさんが出した答えが、コロナ禍で長らく中断していた地元中学生による「職場訪問」の復活だ。大松屋を継ぐ前、ジョンヒさんは朝鮮学校で教職に就いていた経験がある。若い世代に地域や歴史を伝えることへの思いは、その頃から変わらない。

やきとりはただの食べ物ではなく、地域の歴史や暮らしそのものだ。父サングさんが命を削って始めた商売であり、戦後の在日一世が生きた証でもある。「私が語らなければ、この味も、物語も、誰にも届かなくなってしまう」という思いに、中学校側が応えてくれた。

2025年7月30日、松山中学校の3年生5人が、大松屋を訪れた。

地元中学生たちの職場訪問 撮影:太田信吾
地元中学生たちの職場訪問 撮影:太田信吾

生徒からの「なんで東松山のやきとりは豚肉を使うんですか?」という素朴な問いに、ジョンヒさんがにっこり笑って答える。

「戦後まもなく、食べるものが本当になかった時代にね、父が安くて手に入りやすかった豚のカシラ肉を工夫して始めたの。それが、この街のやきとりの始まりだったんですよ」

初めて見る豚のカシラ肉や、大きなホーロー缶に入ったみそだれ。中学生たちは興味津々のまなざしを向けながら、串打ちの作業を間近に見つめる。黙々と手を動かすジョンヒさんに、生徒たちは次々と質問を投げかけていく。

「大松屋さんの辛味噌の特徴はどんなところでしょうか?」

「近年の客層の変化はありますか?」

ジョンヒさんは、カウンターの向こうから熱心に質問を投げかける中学生たちに丁寧に答えながら、こんな言葉も漏らした。

「東松山市は、やきとり音頭を作ったり、地元の祭りでやきとりの屋台を出したりして、街を盛り上げようと頑張っているでしょう。うちの親父も関わっていた焼鳥組合もいまだに続いているし。ほんと、みんな必死なんですよ……」

職場訪問で生徒からの質問に答えるジョンヒさん 撮影:太田信吾
職場訪問で生徒からの質問に答えるジョンヒさん 撮影:太田信吾

ジョンヒさんの言葉が伝わったのか、大松屋への訪問を終えた生徒会副会長の小池さん(15)はこう語る。

「歴史が好きで色々と知識を持っているつもりでしたが、地元の食文化であるやきとりの歴史は知りませんでした。学校に戻って今日来られなかった友人や、家族にも今回の学びを伝えていきたいと思います」

◉「東松山を再び活気のある街に」ジョンヒさんの願い

職場訪問を終えて帰路に着く生徒たち 撮影:太田信吾
職場訪問を終えて帰路に着く生徒たち 撮影:太田信吾

授業の後、生徒たちが感想文を寄せてくれた。

「やきとり屋さんって、ただ肉を焼いてるだけだと思ってたけど、その裏にいろんな歴史があるんだなって思いました」「地域の歴史を食で知った」「戦後のことを初めて実感した」「家でも家族に話してみたい」――そこには、この街の記憶に触れた言葉が並ぶ。

「なぜ豚のカシラ肉なのかを知ることは、この地域の歴史を知ること。その歴史を知ることで地元への愛着が生まれ、愛着があるからこそ、この街を残したいという気持ちになる。そうやって一人ひとりの心に宿った小さな記憶や驚きが、東松山の活気を守っていくんだと思うんです」

そう語るジョンヒさんだが、ふとこんな本音も漏らす。

「でも、彼らもいずれこの街を去ってしまうのかな……。子どもたちが大人になって、どこで暮らすか、どんな仕事を選ぶかは自由。でもね、心のどこかに東松山っていう名前が残っていて、『あ、あそこにやきとりのおばちゃんがいたな』って思い出してくれたら、それで十分なんです」

焼き台の火に照らされたその横顔には、亡き父が残した味と、母と共に支えてきた年月の重み、そして未来への静かな決意が宿っていた。

翌日の営業のための仕込みに余念がないジョンヒさん 撮影:太田信吾
翌日の営業のための仕込みに余念がないジョンヒさん 撮影:太田信吾

ディレクター・撮影・編集 太田信吾
プロデューサー      前夷里枝 塚原沙耶
編集           井手麻里子

記事監修         国分高史


取材協力         大松屋、桂馬、小柳商店、埼玉朝鮮初中級学校
協力(50音順)      埼玉県平和資料館、吉見町、東松山市、吉見百穴、
             猪瀬浩平、河嶌太郎、金範重、竹中香子、パク・ソナ、中島麻由子
リサーチ         Kim Jinseul
資料提供         粟国村役場、埼玉県立文書館、埼玉県立滑川総合高等学校、熊谷市立熊谷図書館

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「#戦争の記憶」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。戦後80年が迫る中、戦争当時の記録や戦争体験者の生の声に直接触れる機会は少なくなっています。しかし昨年から続くウクライナ侵攻など、現代社会においても戦争は過去のものとは言えません。こうした悲劇を繰り返さないために、戦争について知るきっかけを提供すべくコンテンツを発信していきます。

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【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

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ありがとうございます。
映画監督・俳優・演出家

ベスト エキスパート受賞

2025

1985年長野生まれ。早稲田大学文学部卒業。『卒業』がIFF2010優秀賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13)がYIDFF2013をはじめ、世界12カ国で配給。その他、監督・主演作に劇映画『解放区』(14)、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2022優秀芸術賞受賞の『現代版 城崎にて』(22)。俳優としても、舞台や映像で幅広く活動。

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