R As Well

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R As Well
@Luzwell
丸くて、柔らかくて、頭からブルーベリーソースをかけられている。
インターネットJoined November 2010

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ヘミングウェイの小説で『清潔で、とても明るいところ』という短編があり、つまるところぼくたちのような人間には夜中まで酒を出してくれる清潔で明るい場所が必要だという話なのだけど、ぼくにとってはずっとインターネットがそれだったのだなと思う。
電車の中で、よその子のベビーカーと向かい合う形になり、うちの子どもが相手の目を見つめながらゆっくり蒸しパンをかじったところ、相手の子もこちらをジッと見返しながら手に持っていたヌイグルミにハムッ……と噛み付いた。
web会議をしていた相手の人が「わたし作業鈍くてイライラしますよね、すみません」と謝ってきて、過去にこの人を傷つけた人がいるなと思った。
コンビニで買った牛乳を自転車のカゴにそのまま入れて家路をキコキコ漕いでいたら、すれ違う人たちが「そういえば牛乳ってまだあったっけ?」などと話すのが何度か聞こえ、図らずも牛乳のリマインドをして回る人として善行を積んだ。
会社だと「やべ」「あー、どうすっぺ」「うーん」みたいな独り言だけど、在宅勤務中は何かあるたびに「えげげ、えげげ」「ぽぽぽ」みたいな奇声を上げつつ痙攣したりしてるから、このままだと社会に戻れなくなる可能性がある。
ぼくは察しが悪い方なので、「賢明な読者諸兄は既にお気付きのことと思うが」と書かれているとき、既にお気付きだったことはほとんどない。
子どもが「もしもSwitch2がお金だったら、Switch2を買ってもお金が減ったことにならないのになぁ」と言っていて、"資産"という考え方にたどりつきそうな雰囲気を出していた。
動物園でハイエナを怖がっている子どもに、妻が「もし飛び出してきても、ママが囮になっている間に◯◯ちゃんを逃がすから大丈夫だよ」と話したら、子どもは「ママが食べられちゃったら……エーン!」と泣いたあと、小さな声でぼくに「食べられるのはパパにしてほしい」と申し訳なさそうに頼んできた。
高校のときに、友だちが「ハァー、音楽聞いて歌いながらでもいいから勉強やらないと」とこぼしていたのが妙に印象に残って、やる気が湧かないときに何もやらずにいるよりはハチャメチャに非効率なやり方でもやれる方法でやった方が断然マシという教えとして今も活きている。
料理中、「あぶねー、包丁を研いでいないおかげで助かったぜ」と思うときが結構ある。
出先で小学校の前を通りがかったら、小学校高学年くらいの男女数人が何やら話していて、ひとりの男の子が「恋というのは、相手のことを思うと胸が痛むことで……」などと妙な説明をしているところに別の男の子が「コイキング!」と言いながら体当たりをしていた。
近所の図書館が「貸出ゼロ特集」としてこれまでに貸出が一度もない本から選書したコーナーを設けていて、誰も読んでいない本を読むなんて最高だなと思って何冊か借りてみた。
ラーメン屋さんで「すみません、大きいのしかないんですけど」と一万円札を出したら、「今日一万円を出してくるお客さん多いんですよね、お給料日とかでもないと思うんですけど」とため息をつかれて、今日一万円札を出したみんなを代表してぼくが謝ることになった。
昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かったとはあんまり思わないけど、表現の省略が幅を生んでいた部分もあるかなと思う。ポケモンでも、静止画の方は「特徴や躍動感を強調した象徴的な姿勢」で静止させ続けることができるけど、最新の3Dモデルでそれをやると変になるので棒立ちで逆に迫力が落ちる。
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電車の中で変なおじさんに「いってーなおい、おい、テメーだよコラ」と絡まれたオタクっぽい男の人が「で、電車が満員で仕方ないのであり、わ、私のせいではありませんが?」とか一生懸命反論していてエラかった。彼はこのあとこの出来事をすごくカッコよく脚色してインターネットに書いたと思う。
昔チャットサイトで、みんなでなぞなぞを解いているところに荒らしが入室してきたから、「待って、今なぞなぞやってるから」「解けたら荒らしていいよ!」とか言っていたらすぐに答えを書いてきて、みんなですごいと褒めると「ただ検索しただけだよ」と言いながら嬉しそうにしていたことを思い出した。
職場のチャットのステータス欄にみんなが「在宅勤務」「休暇」とか予定情報を入れているのを最近知って、「元気」と入っている自分のステータスをジッと見ていた。
小学生のとき、運動がとにかく下手で体育とかも嫌いだったのだけど、大人になってから参加したソフトボールで「こうやって肩から動かすんだよ」と一言アドバイスを受けた瞬間にボールが遠くまで速く飛ぶという体験をして、こんな簡単なことすら教えてくれなかった体育の授業って何だったんだと思った。
ぼくは6歳のときに旅先の北海道の山道で一人で迷子になり、仕方なくヒッチハイクで滞在先まで帰った経験があるのだけど、その話をTwitterに書いたら「嘘松刑事」というアカウント名の人がリプライしてきて、詳細な状況について尋問をされたあと、「嘘松ではないと判断します」と言われたことがある。
「水が100℃で沸騰し、0℃で凍るなんてキリがよくて不思議だ」というような発言を馬鹿にするツイートというのはよく見かけるけど、実際にはこういう疑問に自力で辿り着くのはすごいことだと思う。
カルロス・ゴーンが二度と日本の司法に訴えられないことを逆手に取って、ゴーンくん饅頭を作ったりして荒稼ぎしよう。
「かゆくても掻かない方がいいよ」というケースが多すぎるので、人体の側でかゆみの調整を考え直すべきだと思う。
サイゼリヤで料理を待ちながら間違い探しをしていたら、子どもが「ここが似てると思う」と言って間違いの箇所を指差していて、もちろん誤った日本語の使い方ではあるけど、確かに「似ている」ということは「同じに見えるけど少し違っている」ということだなと感心した。
宇多田ヒカルは、人と人との間には絶対に埋められない距離があるということを認めた上で、少しだけ指先が触れ合う奇跡のような瞬間や感情の交錯のことを歌っているのが好きだね。
高校時代に仲良くしていた女の子と、別々の大学に入った後もたまに連絡をとっていたのだけど、先輩から「チア部に知り合いいるなら紹介して」と強く頼まれ、渋々ながら深く考えずにその旨のメールを送ったら、その後彼女から一切連絡が来なくなり、これが「信頼を失った」ということなんだなと悟った。
妻がお風呂から戻ってくるのを待っている子どもが「ママ、きないねぇ」と言っていて、まだカ行変格活用を知らないなと思った。
宇多田ヒカルの「無理はしない主義でも少しならしてみてもいいよ」って本当に良い歌詞だと思う。
たぶんいまトイレットペーパーを慌てて買っている人の9割は「マスク生産に材料が使われるからトイレットペーパーがなくなるらしい」なんて全く信じていなくて、「デマで買い占めが発生していてトイレットペーパーがなくなるらしい」という不安に煽られて店舗に殺到しているんじゃないかな。
妻はぼくのことを森の奥に生えている小さなキノコのように思っているので、ぼくが嫌なことを言われたことなどを話すと、怒って「そいつのfacebookを荒らすから早く実名を教えろ!」と暴れだす。
たとえば、子どもと公園で遊んでいて「もう帰ろう」と声をかけると、「パパ、バイバイ。○○ちゃんは、一人で遊んで帰るからね」みたいなことを無垢な笑顔で言ってきたりするのだけど、そういうとき、自分の満たされた暮らしを少しも疑うことがない、愚かな無邪気さにゾッとしてしまうことがある。
古い時代の西欧では、ミツバチの「女王バチ」がオスかメスかという論争が大きく取り上げられ、顕微鏡の発展によってメスであることが明らかになると、今度は「女王バチは王ではなく母親である」のような、人間の考える"正しい生き物"の範疇で何とか解釈しようとする議論が隆盛したということがあった。
ぼくのいた高校は歴史上誰も東大を受験したことがなかったので、東大に受かるための勉強法を先生たちも誰も知らず、仕方なくぼくのために先生たちみんなで予備校の東大対策講座を受けに行ってくれたりした。
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この「荒らし」はそのまま荒らさず部屋に残り、「普通にチャットするの久しぶり」と書いていたが、結局それくらいで発言はなくなり、やがて何も言わず退室して行った。ぼくらは楽しいチャット仲間として受け入れるつもりだったが、彼はそのようには上手く出来なかったようだった。
「箸の持ち方が汚い人は無理」「焼き魚の食べ方が汚い人は無理」みたいな話を妙に誇らしげに披露してくる人は、小さいときに親や先生に褒められたことを、大人になってもいつまでも自慢してくる子どものような感じなのかなと思う。
「説明が下手な人」の特徴として、「A→B→C→Dという論理展開があるとしたら、BとCをすっ飛ばしてAとDだけ話してしまう」という論理の飛躍の点がたびたび挙げられるけど、ぼく個人の体験としては「前提を共有しない(Aを抜かす)」「結論を言わない(Dを省略する)」の方が遭遇して困ることが多い。
おれは、どんな気持ちで選手村を脱走して名古屋を目指したんだろうと考えたら、そしていまどんな気持ちで過ごしているんだろうと考えたら、笑う気になんて少しもなれないよ。何でも笑ったらいいというものじゃないよ、本当にさ。
三島由紀夫の小説を読んでいるのだが、授業をサボる場面で「学校を怠けている時間の、下ろしたてのシャツのような肌ざわりが、周囲の日ざしや微かな風のそよぎから感じられた」という描写があり、「学校を怠けている時間」という無形物を身体感覚に置き換えてそこから情景描写につなげる神業がすごい。
新卒の頃、毎日仕事で苦しんでいたとき、偉い人に「仕事は面白いか?」と聞かれて、「はい!」と返事したら、がっかりしたように「レベル低すぎない? 俺は若いときめちゃくちゃつまらないと思ってやってたけどね、その仕事」と言われ、気まぐれクイズみたいなのやめてほしいと思った記憶がある。
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同様に、講義などで「ここまで聞いて、「あれ?」と思った方もいらっしゃるかと思います」などと言われるとき、「あれ?」と思っていたことはほとんどない。
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ラインナップを見ると、一口に「貸出が一度もない」と言っても、「特定の興味・職種でないとまず借りない」「大型本で借りにくい」「子ども向けだがテーマ自体が難しい」など様々な方向性での”貸出ゼロ”があるということがわかって面白かった。
先日わけあって社内でアマガエルを捕獲して、外に放しに行く途中ですれ違う人たちに「ふふふっ、実はね、今この手の中にアマガエルがいるんですよ」と話して回ったのだけど、全員薄い愛想笑いを返してくるだけだったのでびっくりした。もっと楽しいことがたくさんある生活なのか?
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その後、彼とDMで会話をして、「万能感から、自分の想像外の話を全て嘘だと決めつけるのは勿体ないよ」というような話をしたら、まだ続けるようなことを言っていたものの数日で更新をやめたので、ぼくは彼が「意外と嘘ばかりとも言えない」というシンプルなことに気がついたんじゃないかと思っている。
「けりをつける」と言うときの「けり」が、文末につく過去の助動詞「〜けり」のことだったの全然知らなかったな。完全に「蹴り」だと思っていた。
「博物館で父親は盛り上がっているが、母親は冷めた目でついてきている」みたいなイメージは自分の体感とはだいぶ違っており、むしろ父親の方が子どもに対して基本的に"ノリ"が悪く、子どもに付き合って何かやってあげたりしているのは母親の方が多い印象がある。
「マジヤバい」などの言葉を使うと「パパ、ダメな言葉だよ」と指摘してくれる子どものお陰で、「誇張ではなく本当に危険」「真剣に素晴らしいと思う」などとより誤解のない語彙で会話がされている。
「80点で良いから終わらせるのが大事」という精神で40点の成果を繰り返しているので、さすがに職を失うかもしれません。
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「見知らぬ全員を代表してなぜか謝ることになる」というあるある面白話であって、ラーメン屋さんに怒ったり「5日が給料日の人もいる」とか揚げ足を取るような話ではないです。
いわゆる欧米の「はっきりものを言う」とは「自分の主張を明確に伝える」ということであって、その伝え方自体はpoliteであるべきだけど、日本人の中には「相手のことを気にせずストレートに言うこと」だと思っている人が多いため、主張が不明瞭且つ失礼になっている人が多いのではという話になった。
「九九もできなかったけど無脊椎動物の研究がしたくて勉強して九州大に入ったけどやりたい研究ができないので辞めてここに入学したけど金が尽きて休学して鳶をやって親方にお世話になって樹脂以外の材料は大体扱えます最近自作したものはチェロ」という人の後に自己紹介の順番が回ってきたことがある。
「司会者を紅白に分けない」「今年のテーマはカラフルである」ということがつまりどういうメッセージなのかは特に説明しなくて、まるでメッセージなんかないように曖昧に濁すのが「体裁は整えたいが波風は立てたくない」という葛藤を感じさせる。
子どもを抱っこして、「これは冷蔵庫。食べ物を冷やしておけるんだよ」とか「これはコンロ。つまみをひねると火が出るんだよ」とか一個一個説明して回っていたが、初心に帰って眺めてみると魔法みたいな道具ばかりだ。
子どもがまだ2歳児クラスのとき、会うと必ずハグをするほど大好きな男の子がクラスにいて、一度登園ついでに教室を覗いたら、他の子がオモチャを取り合って騒がしく遊ぶ中、その子は教室の床に仰向けに寝転がり、自分の両腕を枕にして天井を見ていて、これは確かに大好きになっても仕方ないと思った。
面白かった本について聞かれたので井上円了の『妖怪学』を紹介して、「19世紀にこっくりさんの謎を科学的に解明した上に、発祥がアメリカであることまで突き止めているんですよ!」と言ったら、「暇な人がいるもんですね」と言われたので、心に住んでいる小さなハムスターが巣穴から出てこなくなった。
「十分な睡眠さえ取っていれば、あとは明日の自分がなんとかしてくれる」という信頼のもとに就寝。
ぼくが東大に合格したときはお祭り騒ぎで、どのくらい騒ぎになったかというと、普段給食の献立が表示されている電光掲示板にぼくの合格速報が流れたり、突如創設された「校長賞」みたいな謎の賞が授与されたりした。
日本語がかなり上手い日本語ノンネイティブの同僚2人が、「お申出ください」という文言を見ながら「これなんでしょう、おもうしだし……?」「『しんしゅつ』だと思うよ。送り仮名がないからね」などと話しており、高度に語学を習得している人の会話で面白かった。
同僚でAIBOを家族のように可愛がっている人がいて、AIBOを本物の犬のように深く愛していることがわかるだけにその人と話すときは細心の注意を以て語彙を選び取っているつもりなのだけど、それでもふと無意識に出てきた言葉で傷つけてしまったのが表情で伝わってくることがある。
サンタとかは信じていなかったのに、昔父親が言っていた「電柱を食べたことがある」という嘘は完全に信じていた。
「子どもの出産を条件に奨学金の返済を減免する」と書くと当然反発は大きいが、「奨学金の返済を理由として出産を躊躇う人が減るように、出産・育児で収入が減った人の奨学金の返済を減免する」と言うとそこまで変な話には思えず、誰のための制度なのかを明確にすべきということなのだと思う。
シッターさんが用事があって途中で交代することになり、次のシッターさんに「今この子は本屋さんをやっていますが、ここに並んでいる本たちは今は売っていません。55年後になったら売るそうです。この折り紙は船と飛行機で、お店から移動するのに使います」と丁寧に子どもの設定を引き継ぎしていた。
アフガニスタンの件で、街中から女性の肖像が次々消されているというニュースに「これがフェミの望んだ世界だなw」みたいなコメントをしている人がいて、その残酷さに言葉を失うというか、何もかもを遊びの範囲でしか理解することのない幼児の鈍感さみたいなものを目の当たりにした気持ちになった。
『植物とは何か』という本で「植物の本質は、命や個体の切れ目が曖昧であるというその不死性にある」という指摘を読んだことがあり、この概念を昆虫とかまで拡大したら、たとえばミツバチが形成する群体なども多数の命の集まりではなく、切れ目の曖昧なひとつの命として見たりもできるのかもしれない。
昔、人事システムのサンプルデータに古典文学の著名作家たちの名前が登録されていたことがあり、中身を見てみると、泉鏡花の上司が尾崎紅葉になっているなど意外なほど芸が細かく(泉鏡花は尾崎紅葉の弟子だった)、こういった遊びを密やかに仕込んだ誰かに思いを馳せたということがあった。
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別に「そこでぼくは変わった!」みたいなボケナスなことが言いたいわけではなく、ずっと似たようなことは繰り返していて、色んな人を傷つけたり見限られたりし続けているんだけど、それでも、彼女はとにかく良いヤツだったから、信頼を裏切られるみたいな体験をさせたくなかったという後悔がある。
以前読んだミステリー小説で、電車を降りるときに、乗り越しの不足分だけを精算して、帰りの電車賃をSuicaにチャージしなかったことで、帰るつもりがない(すなわち、自殺しようとしている)ことが探偵役に看破されるというシーンがあったのだけど、ぼくは普通にこういうところがあるなと思った。
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大学進学以降は彼女とそこまで仲が良かったわけではないし、客観的に見たらくだらない話でもあるけど、「過去に戻れるならどこを修正するか」で思い浮かぶ無数の地点のうちのひとつになっている。
最初にトイレットペーパーを買い占めたやつはデマで買い占めたかもしれないけど、実際に買い占められてしまえば「買い占めでトイレットペーパーが買えなくなる」という不安でみんなが店舗に走るので、めちゃくちゃな理由でも一旦買い占めが発生すると雪崩を起こすように買い占めが進むんだと理解した。
大好きなパンを食べていた子どもは、「すごくおいしいよ、パパもちょっと食べてみて」と言って、指先に乗るごくごく小さな欠片をくれた。
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昔勤めていた日系の古い会社で、結婚している社員に支給される家族手当だったり社宅だったりというものがあったのだけど、これが男性の場合は無審査で支給・貸与されるが、女性だけ配偶者側にそういった制度がないかの確認が求められ、自分が大学とかで受けてきた教育と現実の差に困惑した記憶がある。
前も書いたけど、大学生へのアドバイスは「夜は寝て、昼は起きていた方がいい」しかない。
村上春樹の小説の良いところ、「他人と自分は常に断絶していて、他人の言葉や行動についてその理由や気持ちを教えてもらえることは基本的になく、ましてや確信できるときは永遠にこない」という諦念が徹底していることに尽きるなと思う。
公園で、子どもが他の子どもに「おはよう、ぼくは○○ちゃん。この子は、パパ」と言ってぼくを紹介したので「よろしく」と挨拶した。