「信じてる人がまだいるのか」参政党・初鹿野議員 国も認めている「南京事件」を否定で批判続出…専門家は「歴史事実を誤魔化してはいけない」と警鐘
また、「当時の中国の警察庁長官」とは誰のことか、という問いには「王固磐」と回答しているが、《当時の、中国の警察庁長官は否定しました》という自身の主張には触れず、根拠となる出典も示していない。 「そもそも“警察庁長官”という呼び方の役職はありません。そして、日本軍が占領した時点で、政府の上官も漢口の方に撤退しているので、南京に国民政府はもうないわけです。ただ、治安維持のために南京に“警察隊”が残ったのです。初鹿野氏は“警察隊”のことを指したのかもしれませんが、この“警察隊”が日本軍に集団的に連行されている場面の写真がありますが、全員処刑されています。 また、念のため中国で最も権威のある徐友春主編『民国人物大辞典・増訂版』(河北人民出版社、二〇〇七年)というものすごく分厚い上下巻ある辞典で調べましたが、王固磐という名前はありませんでした」 初鹿野氏の回答にある《当時の南京の状況の写真は朝日新聞にも掲載されました》については、 「難民キャンプの入り口で、日本人が難民の子どもにわずかな硬貨や食べ物を配り、集まってきて喜んでいた様子の写真などが当時の朝日新聞に掲載されていましたが、“日本の正義”を強調するためのプロパガンダ記事で“ヤラセ”と言われています。こうして“日本軍は市民から歓迎されている”と報じたのです。これらのことは、難民の救済に奔走した南京安全区国際委員の外国人たちが日記や手紙に記録しています。その一方で、この間にかなりの日本兵士が裏の塀をよじ登り、難民キャンプに侵入して10名ほどの婦人を強姦した写真は1枚も撮らなかったといいます。 当時は厳しい陸軍の検閲制度があったので、日本軍に都合の悪い内容は報道できませんでした」 最後に、笠原氏は初鹿野氏をはじめ、「南京事件」そのものがなかったとする国会議員たちの言説に次のように警鐘を鳴らした。 「極東国際軍事裁判(東京裁判)において、松井石根中支那方面軍司令官は、『焼くな、犯すな、殺すな』の三戒を遵守させずに、日本軍の蛮行を放任した『不作為』の戦争責任を問われて死刑に処せられました。日本はサンフランシスコ平和条約の第一一条【戦争犯罪】で東京裁判を受諾(acccepts the JudgmeBTS)して、独立が認められたのでした。現在、日本の国会議員がそのことを無視し、無知としかいいようのない南京事件否定説をバラまいていることは、日本政治の国際的評価を貶めている行為にほかなりません。不都合でも歴史事実を誤魔化してはいけないんです」