YOSHIKIは“違法性”を匂わせ『ダンダダン』に苦言も…“芸能人パロディキャラ”に「事前の許可」は必要か?
芸能人パロディキャラクターのグッズ化は難しい?
さらに別の観点で、このような問題もある。作品内の芸能人パロディキャラの人気が出て、フィギュアなどのグッズ化の話が持ち上がることがある。 作品内の一要素としての表現であればパブリシティ権を侵害しないが、独立したキャラクターグッズとなると「専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合」に当たる可能性が高まる。 芸能人のパロディキャラは、アニメ化や映画化はできても、グッズ化の段階でパブリシティ権のハードルが立ちふさがることがあるのだ。 ただし、この場合「本当にその芸能人の肖像を利用しているといえるのか」という観点での検討も必要だ。たとえば、ロックシンガーやヴィジュアル系バンドには、その分野のステレオタイプといえる見た目の特徴がある。 「白いジャケット姿で、タオルを肩にかけ、マイクスタンドを傾け、スピーカーに片足をかけている」 「革ジャンに、金髪を真っすぐに立て、白い顔に極端な目張り、細身で、雄たけびを上げている」 こうした抽象的なステレオタイプ表現に頼れば、矢沢永吉さんやX JAPANのメンバーを元にしていると言われればそうとも見えるが、90年代のヴィジュアル系バンドをイメージした架空のキャラクターだと言い切ることもできなくはないだろう。
事前の許可が「当たり前」との思い込みはかえって失礼
アニメや漫画の作者や制作者が、パロディキャラを登場させるにあたって、礼儀として、あるいは事実上のトラブルを回避するために、事前に本人の承諾を得ることはよくある。 特に仕事上の付き合いや上下関係がある相手であれば、誰に言われるでもなく、あらかじめ本人に伝えることは、礼儀として大事だろう。トラブル回避のための許可取りは、かえってヤブヘビになるリスクもあるが、実務を円滑に回すためのビジネス処世術として有効な場合もあろう。 法的評価にかかわらず、制作サイドの判断で、自主的に、ひと声かけにいくことは大いに結構なことだと思う。 だが問題は、そんな風に周りに気を遣われることが常態化しているのであろう一部の芸能人等が、事前許諾を「当たり前」だと思い込み、「オレにひと言挨拶に来い」などと尊大な態度を取ることや、無許諾のパロディキャラが登場する作品を違法・不正なものであるかのように決めつけることだ。 そうではない。制作サイドは、本来は不要な許諾を、礼儀やトラブル回避を重視して、わざわざ取りにきてくれているのだ。そこに感謝こそすれ、「許可を取って当然」といった態度を公に表明したり、ましてや、あたかも違法であるかのように喧伝して作品や作品の制作者をおとしめることには、抑制的であるべきではないだろうか。 その芸能人にファンがいるのと同じように、作品にもファンがいて、表現を練り上げ、盛り上げるために努力する作家やスタッフがいるのだ。その人たちへの礼儀や配慮もまた、必要であろう。 「俺が見えないのか すぐそばにいるのに」という歌詞は、確かに私たちの心を撃ち抜いた。しかしこの言葉を、ビジネスシーンで不用意に大御所が使えば、指揮系統に混乱を招く、面倒くさい他部署のお偉いさんである。「いや、あなたの承認を得るルールにはなっていませんから」と言わねばならないのだ。 ■友利昴 作家。企業で知財実務に携わる傍ら、著述・講演活動を行う。ソニーグループ、メルカリなどの多くの企業・業界団体等において知財人材の取材や講演・講師を手掛けており、企業の知財活動に詳しい。『江戸・明治のロゴ図鑑』『企業と商標のウマい付き合い方談義』『エセ著作権事件簿』の他、多くの著書がある。1級知的財産管理技能士。
友利 昴