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「発明なのだ!」2025年8月13日の日記

・こちらのブログで大変興味深い論考が書かれていて、興奮しながら読んだ。

・以前、オモコロチャンネルで「この漫画の表現がすごい!」みたいな話をする回があり、私はpanpanyaさんの作品『グヤバノ・ホリデー』に収録されている作品を引き合いに出し、そこで行われている表現を「発明」と称した。


・で、当該ブログでは、「リアルな背景とシンプルなキャラクターの対比という手法」「主(観)と風景(客観)を描き方の違いによって表現するというルール」が「発明である」という主張を、豊富な(本当に豊富な!)先例をもとにして反証し、退けている。詳しくは実際に読んで頂くとして。

・ここにおける中核的な主張については、私はほぼ全面的にそれを受け入れたいと思う。つまり「リアルな背景とシンプルなキャラクターの対比という手法」「主(観)と風景(客観)を描き方の違いによって表現するというルール」はいずれも発明とは呼べず、数多くの先駆的作品の延長線上に位置するものである。

・ただ、それをもって私の考えたことの全てが誤りだったとは思っていない。この誤りはどちらかといえば「突き詰めずに語って口がすべったこと」に原因があり、私が「この漫画はここがすごいぞ」と感じた部分については、しっかりと革新的である可能性が残るためだ。上記記事をふまえ、改めてpanpanya作品の「なにが発明なのか」を考え直してみようと思う。

・以下、なんとなく、ですます調になります。


■主-客の変換を明示的に示すという発明

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『グヤバノ・ホリデー』p133より


・私が動画で引用したうち、もっとも「すごい」を強調した箇所はここです。比較的リアルに描かれていた鳩が、持ち上げるとえんぴつ書きに切り替わってしまう部分。

・これについて当該ブログでは、


「比較鳩学入門」において、離れて観察する鳩は実写的に描きながら、手に持った鳩はシンプルで記号的に描いたことがその例とされています。
しかし、そういった表現はpanpnayaの専売特許ではありません。
おそらくは、多くの漫画家が「主(観)と風景(客観)を描き方の違いによって表現するというルール」をうっすらと順守しています。
ただ、それを読者にもはっきりとわかる形で表現していないだけだと思います。


・と延べ、主-客を軸にしてデフォルメされた描写とリアルな描写が入れ替わる実例を挙げています。それはその通りで、多くの漫画家はそれを印象をあやつるテクニックとして活用しています。

・ただ、記事で書かれているように、ほとんどの作者は「それを読者にもはっきりとわかる形で表現していない」んですね。「比較鳩学入門」では、それがあるコマで明示的になるという一種のユーモアになっていて、これは珍しい手法であると思います。

・まあ「驚いた時だけリアルな顔になるギャグ」みたいなのは定番だし、シーンによって画風を変える演出と表現すればさほど珍しくないんですが、これはそういうのとは様相が違います。

・というのは、panpanya作品ではかなり初期からこのデフォルメとリアルの描き分けを行っていたのですが、この作品においてほぼ初めて直接的にその入れ替わりを表現しているのです。

・つまり、自分で設定したルールに従いながら、その例外が生じたときにどのような処理を行うのか……という実例を変わった演出として見せているわけで、自分の作風に対するメタを示しているとも解釈できます。このような茶目っ気の出し方をしている例をあまり知りません。

・あ、似たものなら一個思いついた。


・『ちいかわ』で、モモンガと仲良くなったモブキャラがいたんですが、あるシーンで明確に個別性を得て、アイデンティティが確立すると同時に、キャラクターデザインも獲得するんですよ。『ちいかわ』では外見に明確な個性のあるちいかわ族とシルエットのような黒いモブキャラが分けて描かれていたんですが、その「ルール」を逆手に取った演出です。手法は異なりますが、構造としては似ているのではないかと思います。


・上記の理由から「比較鳩学入門」では、この部分においていえば新しいことが行われているというふうに主張を修正できそうです。


■キャラクターを立てないという手法

・……とはいえそれはその1コマの演出がちょっと新しいだけであって「デフォルメされたキャラクターがリアルな風景にいる」という手法は別に新しくないんじゃないの、とは言えると思います。現に私は動画で

リアルに鯉が描かれている一方で、キャラクターはめちゃくちゃシンプルな鉛筆書きで描かれているというね。これの対比がまずかなり発明。この人以外にやっている人はいないじゃないかな。

・と言ったようです。口が滑ってるな~。


・ただ、せっかくなのでちょっと粘って、修正を試みてみます。

・私がいくら不勉強とはいえ「リアルな風景にシンプルなキャラがいる」演出が単体で斬新だと思っていたわけではありません。父親が『ガロ』なんか好きだった影響で自宅には水木しげるもつげ義春もありましたし、小学生の頃からページをめくっていました。だから当然「デフォルメ × リアル」の演出技法だって知っていたわけです。なのになんであんなこと言っちゃったのか。

・で、私の脇の甘い発言を改めて見返してみると、

リアルに鯉が描かれている一方で、キャラクターはめちゃくちゃシンプルな鉛筆書きで描かれているというね。

・と言っており、たぶん私の発言の重心が「鉛筆書き」にあることに気づきました。


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『グヤバノ・ホリデー』139p


・panpanya作品はこういうふうに、シンプルだけじゃなくキャラが淡くて薄い鉛筆みたいな描線になっていることが多いのです(例外もかなりありますがいったんおいておく)。たぶん私が感じた「発明」要素はこのへんにあるのではと思います。

・とはいえ、作中で画材を使い分ける演出もまた先駆者がいるはずです。鉛筆書きだから新しいと言いたいのではないのです。正確には、その手法で与える印象のほうに新奇性を感じています。


・該当ブログでは「リアルな背景とシンプルなキャラクターの対比という手法」が読み手にどのような印象をもたらすか、という実例をいろいろ挙げています。

・たとえば水木しげる漫画では、コミカルなキャラクターをリアルな背景に紛れさせることで妖怪の存在を際立たせています。「異なる者」であることを示す演出としてこの手法はよく使われます。

・また、「私マンガ」にも言及されています。「私マンガ」はマンガにおける「私小説」に相当するものです。たとえばつげ義春のマンガに登場するキャラクターもデフォルメされていることが多く、『おやすみプンプン』では写実的な世界にプンプンという鳥のようなキャラクターが読者にだけわかる例外者として紛れています。

リアルな背景はこれが現実世界の話であると読者に信じ込ませ、作者自身をデフォルメされ記号化された身体として描くことは、その身体が誰のものでもない、誰にでも代入可能な存在であることをアピールします。

・とあるように、この記号化の手法によって、世界の認識をする主体である「私」を世界から切り離すことができます。panpanya作品もまた「私マンガ」的側面があることは間違いありません。「私マンガ」への言及は『ユリイカ』のpanpanya特集で可児洋介氏もしていたところです。


・しかし、ここで私はつげ義春作品やおやすみプンプンのような「私マンガ」とpanpanya的な「私マンガ」には、根本的なスタンスの大きな違いを感じます。

・いわゆる「私マンガ」の系譜においてキャラクターがデフォルメされた姿で描かれるのは、肥大した自意識の裏返しという側面があるように思います。世界の受容体としての「私」が肥大化しきったがゆえの空洞化です(ネット実録漫画の主人公が白ハゲばかりと揶揄されてた時期がありますが、人がなぜ自分をマネキンのように描きたくなるか、なぜそれを揶揄したくなるか考えてみるとわかりやすいかもしれません)。そこで「私」を見せたいからこそ、中心にある私を「覗き穴」化しているといえます。

・一方で、panpanya作品の主要キャラクターが常にデフォルメされた鉛筆書きの少女である理由は、そのような自意識とは別にあるように思えます。

・これに関係しそうなことを、panpanya氏本人が『ユリイカ』のインタビューで次のように語っています。


── 人間の深みを描きたくないのは、それが作品にとってノイズになるというお考えなのでしょうか。
panpanya
 ある意味そうかもしれません。自分がそのような部分を描くのが苦手であり、そもそもあまり興味もない。自分以外の他人を作品として生み出して、その人には出生からそこまで生きてきた人生があり、その心の機微や、しかもそんな他人が複数居て、その人らが会話して関係性や思惑があって……なんて、想像を絶することです。少なくとも自分には、そういうものを実感と整合性を持って描ける気がしなかったのです。まあ描けなくてもいいかと思う一方、登場人物というのは大抵のマンガに居るものですから、避けられない要素でもあります。うまく描けない、描く気がないからといって、そこが欠点や不足、ノイズとして見えて本来描きたいものの邪魔をしてしまうのが嫌だったので、それならば逆に人物の描写を削ぎ落とすことを作品の構造に組み込んでしまおう、と思いました。


panpanya; 青柳菜摘; 中田健太郎; 雑賀忠宏; 酉島伝法; 木下知威; 西村ツチカ; 可児洋介; 犬のかがやき. ユリイカ2024年1月号 特集=panpanya (pp.75-76). 青土社. Kindle 版.

・この証言を加味すると、panpanya作品においてキャラクターがデフォルメされた鉛筆書きになった理由がなんとなく見えてきます。氏はそもそも「人間の深み」への興味が薄く、書きたい題材が別にあり、その描写のノイズにならないよう、人物を匿名化しているわけです。これがいわゆる私小説的アプローチと大きく異なることは明らかです。

・実際、panpanya作品の主題はほとんどの場合「都市のディテール」にあり、情緒的な描写は最小限です。主人公の少女は、読者の興味をディテールへ導くための案内役にすぎません。キャラクターを異物として存在させたり、読者に「私の世界」として感情移入させるのではなく、ただストーリーを追ってほしいという作者の意図がうかがえます。マンガらしい明るさと賑やかさを保ちつつも、キャラクターに重心が偏らないよう調整されているのです。

・このような創作姿勢の結果として「緻密な背景に、輪郭の淡い鉛筆書きの少女が佇む」という独特のスタイルが確立されたとすれば、これは十分に「発明」と呼べるのではないでしょうか。

・もちろん、個々の描写レベルで見れば先駆者がいることは事実です。また、作風までひっくるめて語るならば、どんな作家も唯一無二の存在といえてしまいそうです。

・しかし、panpanya作品には明確な意図に基づいた珍しい工夫がいくつも施されているのは確かですし、工夫の総体が自己参照しながら進化し続けていることも含めて独特だと思います。ここまで徹底して「自分のルール」で遊んでいる作家は珍しい。「情緒的な描写は最小限」と書きましたが最近の作品ではエモい描写とか、ロボットバトルめいた短編もあったりして「自分の作風でやらなそうなこと」をルール内で柔軟に取り込んでいる気配があります。工夫によって希薄化したキャラクターが一周してマスコットになっている点なども面白いですね。


・そういうところも含めて好きですごいマンガというわけです!


・以上! 以下は全然関係ないこと書きます。ですます調も終わります。

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購入者のコメント

1
もちもち
もちもち

先生の発言に反論するかのようなブログなのに、興味津々に読んでそこから再考するところがとても素敵だと思いました。自分の感情を言語化してスッキリさせないと気が済まないような先生の性を感じました。

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「発明なのだ!」2025年8月13日の日記|品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)
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